蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

歴史と弁証法Histoire et Dialectiqueサルトル批判1

2021年03月19日 | 小説
(2021年3月19日)レヴィストロース著「野生の思考La pensée sauvage1961年出版」の第9章(最終章)Histoire et dialectique歴史と弁証法 はサルトルの理性論、歴史観への批判です。実は2019年にブログ及び部族民通信ホームサイトにこの紹介を投稿している(追記に案内が)。これら記事へのご訪問は今も続いており、皆様の関心の高さが伺えます。投稿子としてはしかしながら、サルトル原書「La critique de la raison dialectique弁証法理性の批判」に接していない事、レヴィストロースの修辞にも理解至らずの解釈が多々あり書き足りなさを感じていた。サルトル原典を購入のつもりでアマゾンを開けたら、価格がこなれていない、700ページを越す、サルトル用語の連なりだろうから読めない。銭、ページ、頭の内と3重苦に苦しむが必至、原典購入は諦めました。
よって今回も原典には立ち入らずサルトル批判を解説する。
自身にも分かりやすく、かつ部族民通信を訪問していただく皆様により理解を深めてもらおうと、新たな接近様態で草稿すると決めた。前回の書き筋は頁を逐次めくり、文言と段落を分断しては訳を試み解釈を述べた。今回はレヴィストロースの基本的な主張、伝えかけを分解し論の流れをたどる。頁たどりの逐次説明に陥らず、反面、行ったり来たり頁開きの閉じ分解のナイフ裁きを試みる。これでレヴィストロース思考のオートプシを狙った。皮相観察に終わるかもしれぬ。辛辣な批判をお持ちします。


2019年7月に作成したパワーポイント図。理解が至っていなかった例とします(ヘーゲルの思弁的弁証法を改編焼き直ししたなどが盛り込まれていない)


<Ne perdre pas de vue視野を失うな>が大事について。
本著作にはこれと同じ言い回しが散見します。<Mais sans perdre de vue que la raison analytique tient une place…>しかし視野を失しななければ分析的理性が占める位置の重要さに…(300頁)<nous ne perdons pas de vue que le verbe XX…ここで視野を失ってはならない、動詞XXは…>(295頁)など。
Vueの意味は視野、視界。意を拡大し「見たモノを理解する様、Robert」です。よって「視野を失うなかれ」としたし「見て理解した内容を忘るな」に拡大できるかも知れぬ。この句が置かれる文脈とはレヴィストロースとサルトルの思考が深刻に対峙している段落です。両者の違い点に立ち戻って「視野(見たモノ)を改め確認して」の判断を探る、この使われ方と見た。
するとvue視野を日本語的に「基準点」あるいは「原点」とすればなお分かりやすい。本投稿では有馬頼義の造語と伝わる「原点」を用います。
本書の原点とは、小筆は3点を挙げる。
特異点であるならば原点は1の位置を占める。1しか無いから原点なのになぜ3点にのさばるか。この疑念に「文章の間口が広い」と答えます。
3の原点を必要とする3次元ならばで3の座標が3ベクトル。一体そいつは何か;

1 理性論。実存主義対カント主義
2 世界観、歴史とは
3 未開文明論(西欧文明論でもある)

上3点が両者の考えの分かれ道であります。それぞれで2人が別座標、正反のベクトルで歩みを進めている。その対抗の様が本章にてどのように表現されているか、言い分の食い違いを確かめ論点を解釈する。幾度かの原点復帰で本章を紐解きます。

1の理性論。実存主義対カント主義について
サルトルは宇宙、森羅万象は弁証法なる公式に支配されていると主張する。弁証法を「神」の公式と受け止め歴史、社会、事象を理解する。それが人の智であると主張する。
弁証法dialectiqueに対峙する思考に分析思考raison analytiqueを置く。これを用いて宇宙を解釈し他者に説明するのは「見せかけ屋=esthete」の怠け者の論理(サルトル本文から)すぎないとしている。
このサルトル流の弁証法を思想史の流れから紐解くと;
弁証法とは1がプラトンによる説明~4くらいにカントの解釈が続く。これらは本稿と関連が薄いから省略。5のヘーゲルによる弁証法は;
<elle est l’idée de dévéloppement elle-même, se dévéloppe dans la nature et histoire, n’est donc que le reflet de l’automouvement personel >(Dictionnaire de la langue philosophique.Puf版 dialectiqueの項から引用)
弁証法とは自然、歴史は自律で発展するとの思想である。それ自体が人個人の反映である。(個の思考が自然、歴史に反映される。唯心論の弁証法です。後のマルクス主義はこれを逆転したに留意を)
<l’idéalisme absolu comme la lois de la pensée et du réel, qui, progressant par négations successives (affirmation ou thèse, négation ou antithèse) résout les contradictions en accédant à des unifications (ou, selon un vocabulaire désuet et peu précis, synthèses) >
(Dictionnaire de philosophie, Nathan版)
思考と実際を統合する絶対思想である。それは連続する否定を通して発展しながら、統合(unification)に結びつき対立を解決する。連続否定とは受け入れ(affirmation、thèse)とその否定(négation、anti-thèse反主題)の繰り返しであり、統合を(古臭い上不確かな語)サンテーズ(浮揚と訳されていた)とする場合も。

思弁的とされるヘーゲル弁証法を紹介したが、皆様のご理解している処と同一と信じます。ここでは「受け入れ、否定、統合」のヘーゲル的思考の流れをサルトルは自己の用語に取り入れる。後に紹介する本文にて用いられる主要な用語(サルトルの語彙)のintérioriser(内省化)、extérioriser(発露)、totaliser(総合化)がまさにヘーゲルの受入、否定、統合の弁証法の仕組みを受け継いだ形となっています。
意味合いを3の要素の自律は採り入れているが、意味合いは変えている。サルトル流焼き直しはnégation否定とせず、事象を自己内に受け止め(intérioriser)、外に向かって発露する(extérioriser)となります。このところが重要で、後に説明を加えますが「実存主義、その基底である存在をしり自由を得る」に繋がります。(2021年3月19日)歴史と弁証法Histoire et Dialectiqueサルトル批判1の了

追記:サルトル批判これまでの投稿歴。ホームサイト2019年7月31日(サルトル批判)、2020年10月31日(心理分析実存主義三題噺、動画収録サイトに投稿)
ホームサイトはwww.tribesman.net、動画収録サイトはwww.ribesmytube.com.動画サイトにはPDF資料が掲載される。また動画はyoutubeにも投稿されている。検索の語は「部族民通信」でGoogle、youtube共に上位ヒットする。

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