蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

神話学第4巻裸の男Homme Nuの紹介の下 2 歴史神話学 対 構造神話学

2024年06月16日 | 小説
(2024年6月16日)今回は少し回り道する。趣旨は「歴史神話学」を構造主義の観点からレヴィストロースが批判する中身の解説。前回に引用のあったDemetracopoulouの北米神話考察を、レヴィストロースが、彼の視点から、解釈する。彼女の人となりと写真は本稿の最後尾。

前回の引用文に戻る « Selon notre auteur, cette idée serait celle d'un inceste catastrophique qui menace l'ordre du monde、et dont les victimes cherchent à se venger. Mais outre que cet énoncé simpliste laisse échapper toute de la substance concrète du mythe » (同書188頁)この著者によれば(イシス神話の思想は)彼女には、破壊的な近親姦が発生し裏切られた女が世界を破滅するーとの説明であろう。この単純すぎる理解は、各共通項目が厳格に進行しているとの事実、そして神話に盛り込まれる具体的肉質を見逃す…
文の前に彼女は「歴史神話学」の立場をとる « cet auteur applique en s’inspirant des principes de l’école historique » が挟まれる。そしてレヴィストロースはあえて「その学説を食事作法の起源で否定した」とも加えた。「食事...」の一節に立ち戻る。まずは歴史神話学とは « En comparant les valeurs numériques, on s’efforce de dégager des types qui distinguent de déterminer leur centre de diffusion » (食事作法の起源 188頁)数量的価値を比べながら、いくつかの類型を設定し、それによって伝播の中心を探る。
数量的価値とは登場者、出来事ごとの出場回数である。類型とはそれら神話叢が共通して取り上げる「筋道」かと(部族民は)理解する。(実はこの手法は印欧語族の神話を比較して、その祖先の探索に用いられた、らしい。ネット雑識です)。


写真1 歴史神話学を表す同心円(188頁)。月の嫁神話には本筋(Forme fondamentale)があって、それに種々の挿話が付け加えられる。図ではヤマアラシの誘い、太陽と月の対話、マキバドリが同心円を形成する。小さい円ほど(伝播神話での)登場回数が少ないから、地域時間が限定される。主要要素(本筋)はどの神話も採用するから地域限定はない(以上は歴史神話学の旗手Thompsonの主張をレヴィストロースが翻訳した一節)


写真2 様々な登場者、出来事の頻度を数値化した文。

ヤマアラシが樹上から誘う(95%)、月に変身(45%)、太陽に変身(25%)などが読める

Demetracopoulouは歴史手法をイシス神話に応用した。類型として « un inceste catastrophique qui menace l'ordre du monde » « les victimes cherchent à se venger » 1近親姦と世界の破局 2女の復讐に分けられる。 この類型はイシス神話、アビ女神話の主要素でもあるから、レヴィストロースに於いても同意かと察する。しかし « chaque détail est rigoureusement motivé » 「各々の要素は、厳格に動機づけられている」が続くが、この文は何を意味するのか。実はこの一句がレヴィストロース構造主義的神話解析と歴史神話学の違いを、端的に、述べている。

なぜなら;そもそも歴史神話学では登場物、出来事は« valeurs numériques » 数値化されるだけの物でであり、何らかの主張することも進展することもありません。ここでの物とは客体です。これが「単純すぎる理解は、各共通項目が厳格に進行しているとの事実を見逃す」(引用文から)につながる。ここが« cet énoncé simpliste laisse échapper toute de la substance concrète du mythe »「単純すぎる解釈は神話の具体的な中身すべてを見失う」を理解する鍵となる。 « chaque détail est rigoureusement motivé » 各々の要素は厳格に動機づけられている(上引用)の理解は「要素は厳格に動機づけされ進行する」。「孤立した少年」や「隠された少年」など事象を物、客体として固定し、神話叢の中での登場頻度を数値化するのは、意味をなさない。両者は共通の分母(des dénominateurs communs=引用文)に共通化(identifier)されているから、それを探るのが神話学であると、レヴィストロースが諭している。

噛み砕いて言うと「上下婚を犯し家族に忌み嫌われた少年」はそれ自体が主体要素である。「兄妹婚の結果生まれた家族に慕われる英雄」も主体であり、主体ならばこそ進展変遷するけど、共通する分母に支配される。その分母を探るのが神話学じゃ!と語る。
ではdénominateurs communs共通分母とは何か?レヴィストロースは教えない(賢人は良き答えを出す人ではない、良き質問を与えるのだ=本人の弁。答えを教えない、君たちが考えなさい―いつもの事です)。部族民(蕃神ハカミ)は首と頭を捻った。これぞレヴィストロースの主題、文化とは畢竟「族内婚と族外婚、別の語で系統と同盟、またにして近親姦と族外姦、それらの対峙、対立、相克」に支配され融和を模索するのであると。彼の第一作親族の基本構造Les structures élémentaires de la parenté に立ち返った思想風景です。

家族に美少年故に愛でられ、地下穴に隠されるenfant caché 隠される子と « une image symétrique avec celle d’un garçon haï, et isolé par lui (la famille) dans la brousse rn haut d’un arbre : l’enfant caché est donc l’inverse du dénicheur d’oiseux » 家族に嫌われ高木に追われ遺棄される少年(M1バイトゴゴ)は正逆として対称している。


(英語Wikipedeiaから引用)Dorothy Demetracopoulou Leeは、アメリカの人類学者、作家、文化人類学の哲学者でした。オスマン帝国の首都コンスタンティノープルのギリシャ人家庭の生まれ、教育を受け、結婚し、米国で4人の子供を育てました。写真はネットから拝借。

神話学第4巻裸の男Homme Nuの紹介の下 2 歴史神話学 対 構造神話学 了(6月16日)
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