昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

多田神社03宝物殿

2007-07-13 | 歴史・文化遺産
鉄筋コンクリートでできた立派な宝物殿があった。拝観は有料であるが、現在修理中とかで公開していなかった。以下の写真は神社の冊子からコピーしたものである。

左:宝物殿前に老木が立っている。この立て札を見ると水戸黄門お手植えの銀杏と書いてある。信じましょう。
右:横にある老樹は、キクラゲのような茸が寄生していた。食べれるかなあ。


2領の鎧と烏帽子、肖像画などがある。左の鎧の草摺りには金で笹リンドウの紋がついている。その背後の掛け軸は源頼義の肖像画である。


古文書がある。表装の手入れがしてあるようだ。
 1223年、鎌倉の北条泰時の書状があり、多田院には代官を置かずに直轄の僧(忍性)を派遣し、寺院の造営に当たらせている。
 鳴動・・とあるのは、満仲の廟がしばしば鳴動して、頼朝の頃に始まったと言う。その後、室町時代にかけて8回を数えているが、すべて瑞兆のときであったという。
 また足利尊氏は戦勝祈願の書、摂津の地の一部を寄進、尊氏の死後、その子義詮(よしあきら)によって遺骨を多田院に収めた文書がある。
 銀閣寺(慈照院)建立の足利義政の祝辞、などの古文書が残っている。

多田銀山を諸領している領地であったことも、幕府直轄になったとも考えられる。

左:源満仲公24歳の時の御神影。
右:源満仲公75歳の時の御尊影。

満仲59歳の時に、出家を望むが許されず、四男美女丸を出家させた。満仲の出家は65歳であった。号を「満慶」という。

源家の宝刀「鬼切丸」である。信州戸隠山の鬼を満仲が退治したときの刀といわれる。刀懸けの塗りの蒔絵がよく出来ていそうだ。

 戸隠山の裏に「鬼無里(きなさ)村」があるが関連があるかなあ。鬼無里村の伝説もいつかアップします。