ALSという病気を患い、余命宣告を受けた教師と、元教え子のやり取りを記した”モリー先生との火曜日”を読みすすめています。
余命宣告され、自分の命に限りがあることを、真の意味で自覚したとき、健康に生きている人に見えないものが見えてくるのだろうか?!
わたしも数多くの書物を読んでいるので、命が有限であることは、頭では理解できています。
が、明日の朝、目覚めることがないかも知れない!という状況になることは、考えていないのが事実です。
といいつつも、今の勤務する会社で、唯一尊敬できる先輩(当時43歳)が、心筋梗塞で旅立ったのは、奥様に
『疲れているから、明日の朝はゆっくり寝かせて!』
と言い残した夜でした。
この事象が、わたしに当てはまらないと言い切れないことは、百も承知なのに、どこか他人事と考えている自分がいます。
人間は、余命宣告をされないと、本当にやりたいこと・人生で一番大事なことに向き合うことができなくなってしまったのだとすると、文明の進化を通して、失ってはいけないものを失ったと言わざるを得ません。
少しずつでもいいので、失ったものを取り戻していきたいと思う、そんな本に出会いました!
本日も最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
余命宣告され、自分の命に限りがあることを、真の意味で自覚したとき、健康に生きている人に見えないものが見えてくるのだろうか?!
わたしも数多くの書物を読んでいるので、命が有限であることは、頭では理解できています。
が、明日の朝、目覚めることがないかも知れない!という状況になることは、考えていないのが事実です。
といいつつも、今の勤務する会社で、唯一尊敬できる先輩(当時43歳)が、心筋梗塞で旅立ったのは、奥様に
『疲れているから、明日の朝はゆっくり寝かせて!』
と言い残した夜でした。
この事象が、わたしに当てはまらないと言い切れないことは、百も承知なのに、どこか他人事と考えている自分がいます。
人間は、余命宣告をされないと、本当にやりたいこと・人生で一番大事なことに向き合うことができなくなってしまったのだとすると、文明の進化を通して、失ってはいけないものを失ったと言わざるを得ません。
少しずつでもいいので、失ったものを取り戻していきたいと思う、そんな本に出会いました!
本日も最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
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