「主はご自分に属する者を知っておられる。」これが基礎である。あなたは生まれつきの罪のために、ある時は嘆息とうめきの中にあり、自らの暗黒のために嘆くこともあるだろう。しかし主はあなたの心の中の「光」をご覧になる。なぜなら、主がそこに光を置かれたからである。そして、あなたのたましいのすべての曇りとやみも、主のあわれみ深い視線から、あなたの光を隠すことは不可能だからである。あなたは失望してしまうこともあるかもしれない。しかし、もしあなたのたましいがキリストにわずかでもあこがれをもち、また主の成し遂げられたみわざに憩うことを求めているなら、神は「光」を見てくださる。見てくださるだけでなく、その光をあなたの中に守られる。
「わたし、主は、それを見守る者。」注意深く見守り、警戒していても、ついに自らの無力を知った人にとって、これは実に尊い思想である。このように主の恵みによって守られた光は、時が進めば、主によって、真昼の輝き、栄光の満たしにまで発展させられる。内なる光は、永遠の日の光である。