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第一列王記20章28、43節(第一列王記19章)

2015年04月30日 06時22分19秒 | 聖書

★ときに、ひとりの神の人が近づいて来て、イスラエルの王に言った。「主はこう仰せられる。『アラムが、主は山の神であって、低地の神でない、と言っているので、わたしはこのおびただしい大軍を全部あなたの手に渡す。それによって、あなたがたは、わたしこそ主であることを知るであろう。』」

イスラエルの王は不きげんになり、激しく怒って、自分の家に戻って行き、サマリヤに着いた。

■O:今日のコラム
ハレルヤ!私達の主は山の神でもあり、低地の神でもあり、すべてに満ちておられる、すべての上にたつ、万軍の神です!!

23節にアラムの王の家来達が、山で負けた経験から、平地だったたらイスラエルに勝てると言い、翌年にアラムはイスラエルに戦いを仕掛けます。

平地だから勝てると言って、アラムは手を引いたかと言うと、そうでもなく、この前よりも万全な状態で戦いに備えました。前の戦いは、お酒でどんちゃん騒ぎをしていた時だったので、今回は、その時に失った数の軍勢、馬、戦車を補充して、戦いに出てきました。

27節では、アラム軍とイスラエル軍をこのように描写しています。
「彼らは二つの群れのやぎのようであったが、アラムはその地に満ちていた。」
アラムとイスラエルの軍勢の差をみなさん、想像できますでしょうか?

しかし、私達の神様は、山でも低地でも関係なく勝利をなさるお方!それをもって、「わたしこそ主である」と人々に示すのです。すべては、主ご自身の名の為です。

ちなみに、この時代のイスラエルの王アハブは、今までのイスラエルの王よりも主の目の前に悪を行った王でした(第一列王記16:30参照)。なのに、神様は彼に大勝利を与えました。彼が良い王だからというわけではないのです。彼が良い王でも悪い王でも関係なく勝利を与えた理由。それは、彼がイスラエルの神こそ主であることを思い知らす為でした。

神様は、私達の山も低地もどんな戦いをも勝利することができます。それは、私達がよい行いをしたからや、いい子にしていたから、そのご褒美に戦ってくれるのではなく、ただ、主の主権、主のゆえに主が戦い勝利されるのです。

なので、自分が悪い事をしたから、神様は助けてくれないなどと思わないでください。神様は、そんなにちっぽけな神様ではありません。あなたが悪くても悪くなくても、この戦いを戦うと決めたら戦い、勝利されるのです。それは、皆さんに「わたしこそ生きている神、主である」と知らせる為。もし、自分が悪いと思っているなら、悔い改めて、この神様を恐れ、そして、神様のもとにかえりましょう。

43節のイスラエルの王アハブのようにならないでください。神様が勝利を与えたのに、その後、自分の間違いに神様から叱責を受け、怒ってしまったアハブ王にならないでください。自分が良い悪い関係なしに、主の前にへりくだり続け、主を認めていきましょう。


■A:考えてみよう
今、山、または低地で戦っているでしょうか?神様はあなたがどんな状況にいても、主の御名を呼ぶと助け戦ってくださるお方です。失望せずに、主を待ち望みましょう。しかし、それと同時に、主を信頼し、主を誇り、主を認め、主を愛し、主としっかりと関係を持ちましょう。悔い改めるべき時は、悔い改め、勝利を得たときは、主にすべての栄光を捧げ、主の御名を高く掲げていきましょう!!


■P:祈り



イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。


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