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◆舟に乗っておられるままで、

2014年09月14日 07時43分16秒 | 聖書

イエスをお連れした。(マルコ四・三六)

その夜、イエスは海軍提督として、親しく一隊の船団を守られた。舟がどれほど小さくても、主と共に航海するのはまことによい。私たちがキリストの群れに加わって航海する時も、なぎばかりとは限らない。時には主ご自身の乗っておられる舟すら大風にもまれることがあるからである。したがって、私たちの小舟が波にもてあそばれることが少ないことを期待してはならない。私たちがイエスと共に行くならば、彼と同じ境遇に満足しなければならない。波がイエスに荒ければ、私たちにも荒いであろう。私たちが陸地にたどり着くのは、以前主が経験されたように、あらしの中を通って木の葉のように波にもてあそばれた後である。
あらしが暗いガリラヤ湖上に吹いたとき、人々は顔色を失い、今にも舟が難破するのではないかと恐れた。こうして一切の人間的な頼みの綱が切れたとき、眠っておられた救い主が起き上がって、一言で大あらしを静められた。そのために主が乗っておられる舟も、その他の舟も共に安きを得た。
イエスは海の星であられる。私たちの心がイエスをいかりとし、舵とし、灯台とし、救助艇とし、港とすることができますように。
主の教会は、提督の乗られる旗艦である。私たちはこの教会の集いに出席し、この旗艦の将校である教職者を励まそうではないか。常に私たちはイエスの航跡に従い、信号に注意し、主の海図に従って舵をとり、呼べば答えられる所におられる主を覚えて、決して恐れないようにしたい。護送船団のうち一そうたりとも、難破するものはない。大提督がすべての舟の一つ一つの舵をとり、目指す港へ安全に伴われるのである。
信仰によって、私たちはいかりづなを解いて航海に出る。そしてイエスと共に苦難の海に乗り出す。風波は容赦しないだろう。しかし、それらはすべてイエスに従う。だから、外にどんな突風が吹いても、信仰により、内には幸いな平和がある。ゆえに、私たちは主にあって喜ぼうではないか。主の舟はすでに港に入った。こうして私たちもまもなく港に入るであろう。

 


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