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2017年04月20日 06時13分44秒 | 聖書

歩き回って人を中傷する者は秘密を漏らす。
しかし真実な心の人は事を秘める。(箴言一一13)
ある夜おそく、同じ会社の四人が電車で家に帰りました。Aが課長の悪口を言い出すと、BもCもDも「そうだそうだ」と言い合いました。四人はいい気持ちでした。途中の駅でAがおりると、BがAの中傷をしました。「そうだよなあ。今度はAを除いておれたち三人で酒を飲もう」と、三人はいいきげんで話し合いました。次にBがおりると、今度はCが、Bの悪口を言いました。「そうだ。これからはおれたち二人でがっちり同盟を組もう」と、CとDは肩をたたき合ったのです。Cがおりて、独りぼっちになった時、Dは何ともいえず寂しくなってやりきれなくなりました。――こんなことを、ある随筆で読みました。
人の悪口を言い、人をさげすみ合うことから、何一つ永続的なよいことは生まれてきません。しかし、歩きまわって人を中傷することで、すぐ実現するように見えるものが一つあります。それは偽りの仲間です。人の中傷・悪口・軽蔑を共有することによって、親密な仲間ができたように思うのです。
人は、独りぼっちではやりきれません。どうしても他の人と心を開き合い、自分の考えていることと相手の気持ちを比べ合いたいのです。つまり、交わりを求めています。その時、真実な心のない人はほんとうの交わりによるのではなく、人をけなすことによって連帯感を持とうとします。どうにか自分の優位を保ちつつ、仲間づくりをしようとするのです。そんな人の心は愛を知りません。罪深い、くさった心です。
ダビデは、「神よ。私にきよい心を与えてください、新しい心をつくってください」と祈りました。私たちも、同じように祈るべきではないでしょうか。神は答えてくださいます。イエス・キリストは、こんなにけがれにけがれた私たちをゆるし、愛し、何一つ中傷しないでいのちを与えてくださったのです。
 

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