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◆それゆえ、

2017年12月09日 08時38分54秒 | 聖書
主はあなたがたに恵もうと待っておられ……。(イザヤ三〇・一八)
神はしばしば祈りに対する答えを延期される。聖書にはこの実例が幾つかある。ヤコブは、夜明けまで天使から祝福を得られなかった。彼はそのために夜を徹して格闘しなければならなかった。スロ・フェニキヤの貧しい女は、初めのうちは、一言の答えも得られなかった。パウロは「肉体のとげ」が取り去られるように三度も主に祈ったが、取り去られる保証は与えられず、その代わりに、「わたしの恵みは、あなたに対して十分である」との約束が与えられた。
恵みの門をたたき続けても、何の答えも得られないことがある。なぜ力強い創造主が戸を開いてあなたを中に入れてくださらないのか。父なる神は、このように私たちを待たせられる特別の理由をもたれる。
その一つは、神の力と主権を示すため、すなわち、主は与え、主は取られる権利をもつことを人々に知らせるためである。多くの場合、遅延は私たちにとって益となる。神は、遅延があなたの願望をさらに強いものとすることをよく知っておられる。私たちはこれにより、自分の必要をもう一度明確に自覚し、さらに熱心に求めるようになり、恵みの尊さをいっそう身にしみて感じるようになるのである。
別の理由としては、あなたのうちに何か悪いものがあって、主の喜びを与えられる前にそれが取り去られる必要のあることが考えられる。あるいは、神の福音のご計画についてのあなたの考えが混乱しているためかもしれない。あるいはあなたが、単純かつ全面的に主イエスにより頼むことをしないで、ある程度自分自身に頼っているためかもしれない。そのほか、神は最後にご自分の恵みの富をさらにあなたに示すため、その答えをしばらく猶予しておられるのかもしれない。
しかしあなたの祈りは、天においてことごとく記録されていて、絶対に忘れ去られることはない。ただちに答えられないにしても、やがては必ず答えられて、喜びと満足をもたらすであろう。失望して沈黙することなく、熱心な嘆願を執拗に継続しようではないか。
 

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