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「すべての懲らしめは…

2015年07月27日 16時19分11秒 | 聖書

悲しく思われるものですが…訓練された人々に平安な義の実を結ばせます」(ヘブル12:11)

愛とは、暖かさ優しさと同時に、厳しさがある。
親は子供を愛しているからこそ、正しくしつける。
子供が要求するからと、何でもかんでも子供の意のままに与えはしない。
子供にとっての益を考える。
神はその愛する者を懲らしめ、訓練されると、はっきり言われている。
訓練とは心地良いものではない。
楽で快適なら訓練になどならない。
訓練とは心身圧迫され、厳しく辛いものだ。
どこが神の愛と思えるほどのものだ。
好き勝手、気ままにしたい自我が、厳しい訓練を受けて初めて、自制、柔和、従順に変えられる。
懲らしめは、決して喜びではなく、痛く悲しいものだ。
厳しく苦しい、辛い、悲しい所を通ってこそ「平安な義の実」、真実な平安を知る。
そして、痛い、苦しい試練の中で、初めて御言葉の意味を知る。
御言葉が命であり、力であり慰めだ。
御言葉そのものが食べ物だ。
御言葉によって生きる。
これは苦しみの中でしか経験できない。
荒野で「苦しみ、飢えさせ、マナを食べさせられた。
人は主の口から出るすべてのもので生きる」事を体得させるためだ。
それは真の「平安」に至る。これ以上無い苦しみ悲しみの中で、本当の平安、本当の喜びを知って行く。
神の愛だ。
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訓練の中で神の愛の厳しさを知る。
愛とは厳しいものだと思う。
しかし、砕かれ、造り変えられる。
本当に感謝しかない。
訓練が無ければ人間ですらもあり得ないと感じる。


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