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◆私は、そんなに愚かで、

2015年07月28日 06時54分53秒 | 聖書

わきまえもなく、あなたの前で獣のようでした。(詩篇七三・二二英訳)

これは神のみこころを求めていた人の告白である。そして彼はその内面生活を語って、「私は、そんなに愚かで、わきまえもなく……」と記している。「愚か」ということばは、普通考える以上の深い意味をもつ。アサフはこの詩篇の前半に「私が誇り高ぶる者をねたみ、悪者の栄えるのを見た」と書いている。これは、彼の愚かさの中に罪が含まれていたことを示している。彼は愚かであったと書いているだけでなく、「そんなに」と、それを強調している。それは罪深い愚かさであった。弱さのゆえであると大目に見るべきものではなく、そのかたくなさとわがままな無知のために責められねばならないものである。彼は不敬虔な者たちの繁栄を見、いかに恐るべき末路が彼らを待ち受けているかを忘れて、彼らをねたんだからである。
私たちは、アサフにまさって自分が賢いと言うことができるだろうか。完全の域に達したと明言できるだろうか。あるいはまた、神から懲らしめを受けた結果、そのむちがすべてのわがままを取り去ったと公言してもよいだろうか。ああ、これは実に高慢なことである。もしアサフが愚かであったとすれば、自らを顧みる時、私たちはさらに愚かではないか。
信者よ。過去を思い出せ。神があなたにこよなく忠実であられた時、あなたは神を疑った。神がさらに大いなる祝福を与えようとしてあなたに一時的な患難を与えられた時、あなたは愚かにも「父よ。そうしないでください」と叫んだ。またしばしば神の摂理を悟ることができず、神のみこころを誤解して、すべてのことを働かせて益としてくださるのに、「こんなことがみな、私にふりかかってくるのだ」とうめいた。いかにしばしば快楽のために罪を選び、その快楽があなたの苦痛の原因となったことか。
私たちが自らの心を知るならば、必ずその罪深い愚かさを認めるだろう。そして自分の愚かさを知ったならば、アサフの「私をさとして導き……」との堅い信念を自分のものとしなければならない。

 


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