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◆ひとりものがすな。

2016年07月17日 17時53分21秒 | 聖書
(Ⅰ列王一八・四〇)
 
預言者エリヤの祈りが答えられ、天来の火がすべての人の前で犠牲を焼き尽くした時、彼は集まっているイスラエル人にバアルの祭司たちを捕えるように命じ、「ひとりものがすな」と鋭く叫んだ。彼は、彼らをすべてキション川に連れていって殺した。
私たちは、自分の罪についてもこうしなければならない。すべての罪の運命は定まっている。その一つをももち続けてはならない。私たちが大切にしている罪は、死ななければならない。いかにそれが泣き叫ぼうと、助けてはならない。自分の子どものようにかわいくても打ち殺せ。それを打て。なぜなら、神は、ご自身の御子の上に罪が置かれた時、それを打たれたからである。あなたは断固として、かつてあなたの心の偶像であった罪に、死刑の宣告を下さなければならない。
どうすれば成し遂げられるかとあなたは尋ねるのか。イエスがあなたの力になられるのである。あなたは恵みの契約において、罪に打ち勝つ恵みを与えられている。あなたは、内なる欲に対する戦いにおいて勝利を得る力をもっている。なぜなら、キリスト・イエスは世の終わりまで、あなたと共にいると約束しておられるからである。もしあなたが、やみに対して勝利を得たいと望むならば、あなた自身を義の太陽の前に置け。神の御前ほど、罪を発見し、罪の力から回復されるのに適した場所はない。ヨブは、信仰の目を注ぐまでは、どのようにして罪を取り除くべきかを知らなかった。その時、自ら恨み、ちりと灰の中で悔いたのである。
クリスチャンの純金は、しばしば曇りを生ずる。不純なかすを焼き尽くすため私たちに必要なのは、聖なる火である。私たちは神のもとに走ろうではないか。神は焼き尽くす火であられる。主は私たちの霊を焼き尽くされるのではない。私たちの罪を焼き尽くされるのである。神の善を思って、私たちのうちに聖なる熱情を燃やし、神の目から見て憎むべき悪に対して聖なる復讐をしようではないか。神の力を受けて、アマレク人との戦いに出て行け。そして攻めなければならない敵をすべて殺せ。その一人も逃すな。
 
 

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