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◆アマツヤは神の人に言った。

2016年11月30日 07時15分03秒 | 聖書
「では、イスラエルの軍勢に与えた百タラントはどうしたらよいのか。」神の人は答えた。「主はそれよりも多くのものをあなたに与えることがおできになります。」(Ⅱ歴代二五・九)
この質問は、ユダの王にとって非常に重要なものと思われる。また試練に会い、誘惑にさらされているクリスチャンにとっても、おそらく、さらに重要なものであろう。金銭において損することは、どのような場合でも快いものではない。正しい目的の場合でも、肉はその犠牲をいつも喜んでささげるわけではない。「有効に使用できるものをなぜ失うのか。真理の価はあまりにも高すぎるのではないか。あの金を失えば、私たちはどうすればよいか。子どもたちや、少ない収入のことを考えたらどうだ」と。このようなことがクリスチャンを誘惑して、正しくないことに手を出させるのだろう。あるいは、重大な損失をもたらすことが明らかな時、良心的な行動をちゅうちょさせるのだろう。この問題を信仰の光に照らして見ることは難しい。イエスに従う人々にとってさえ、「私は生きなければならない」という原則が大きな比重をもっている。
「主はそれよりも多くのものをあなたに与えることがおできになります。」これは私たちの心配への完全な解答である。私たちの父は全世界の財宝の管理権をもっておられる。そして私たちが主のために失うものを、千倍にもして返される。主のみこころに従うのが私たちのなすべき分であり、従う時、主は必ず私たちのために備えられるのである。主は何びとに対しても債務者の地位には立たれない。
聖徒たちは、一粒の平安が一トンの黄金よりも尊いことを知っている。真実な心は、たとえ牢獄であろうと、神のほほえみさえあれば満足する。祝福に満ちたたましいは、宮殿にあっても神の不興にあえば地獄にいるように感じる。最悪の事態がやってこようと、すべての金銭を失おうと、私たちは自分の宝を失うことはない。神の右に座するキリストのもとにあるからである。現在においても、主は柔和な者に地を相続させ、正しく歩む者に良いものを拒まれることはない。
 

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