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『「子どもたちよ。

2016年05月05日 16時36分12秒 | 聖書

食べる物がありませんね」彼らは答えた「はい、ありません」』(ヨハネ21:5)

「自分が変えられるためには、自分の本当の姿を直視する必要がある」とは、よく言われている事だ。
主を裏切ってしまったペテロ、主が捕らえられた時に逃げてしまった弟子達、彼らはガリヤラに戻った。
が、ペテロは、なすすべなく漁に出ると言うと、他の弟子達も従った。
ベテラン漁師であるはずのペテロ達だが、何もとれなかった。
夜が明ける頃、主が岸辺に立たれ「食べる物がありませんね」と言われた。
彼らにとれば、岸で見知らぬ人が言っている言葉だ。
「何もとれないのか」と。
彼らは答えた「はい、ありません」。
何一つ無い、ありのままを認めた。その時、舟の右側に網をおろしなさい。
そうすれば、とれます」との言葉が臨み、その通りに従った時に、大漁を見た。
私達も、主のみわざを見る前に、ありのままの姿を認めさせられる。
「何もありません」、惨めであわれで、プライドは砕かれ傷つき、ぼろぼろかも知れない。
しかし、その惨めな自分を認める事が、大きな祝福の始まりだ。
惨めな自分は見たくない、触れたくない、直視したくない、ごまかしてしまいたい。
しかし、何も無い自分を認めるからこそ、その後の神の大きな祝福を自分の栄光にする事はない。
神に栄光を帰して行く者とされる。
「はい、ありません」と自らの真の状態を恐れずに認めよう。
そこから大いなる主のみわざが始まる。
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「はい、ありません」は一番見たくない、決して認めたくない、痛い言葉だ。
プライドゆえに認められない。
しかし、そこで初めて真に神に出会う。
そここそが実は大きな恵みの場所である事を経験する。


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