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ヨブ記9章21-26節

2016年09月30日 07時38分47秒 | 聖書


9:21 「私は潔白だ。しかし、私には自分自身がわからない。私は自分のいのちをいとう。
9:22 みな同じことだ。だから私は言う。神は、潔白な者をも悪者をも共に絶ち滅ぼされる。
9:23 にわか水が突然出て人を殺すと、神は罪のない者の受ける試練をあざける。」



 義であられる神の前には、誰も立ち得る人はいない。

自分もその一人である。

しかし、神の憐れみで、その信仰の故に、神は憐れみを注いでくださった者の言葉を、その恵みによってお聞きくださることも知っている。

 しかし、私にはわからないことがある。

このような信仰を持って生きる者を、神は信仰を持たない人と同じように扱われ、苦しみのどん底に陥れられる。

しかもそれは、神が罪のない者、信仰を持って生きようとしている人を、あざけっておられるように感じられるほどだ。

それは一体なぜなのか、というのです。

 主は恵み深い、主は哀れ深い、それなのになぜ、主にある者が、このような苦しみと悲しみの内に置かれるのか、その理由が、私にはわからないというのです。

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