友はどんなときにも愛するものだ。
兄弟は苦しみを分け合うために生まれる。(箴言一七17)
「落ちぶれて、袖に涙のかかる時、人の心の奥ぞ知らるる」、この古い歌のように、今も、しみじみとそんな経験を私もしましたという人も、多いのではないでしょうか。
ある方から聞きました。落ちぶれて死んだ夫の死の床に駆けつけた男の、ただだまってぽろぽろと涙をこぼしていた労働者のままの姿に、何よりも慰められたといいます。
私の妻の友人がこんな話をしました。「私の主人の父は、子どもたちに財産を分けて、もうたったひとりになって動けなくなると、そのだれひとりも寄りつかないのです。」スポルジョンはこう言いました。「友情、その美しさをだれもがたたえる。しかし世の友情は散りゆく枯葉、消えゆく水泡。花に群れる蜂も、花が終われば寄りつかないのに似て、夢のようだ。」
・ 無条件の愛。
人にきらわれ相手にされない時も、落ちぶれて助けの必要な時も、死の床にうめく時も変わりません。
・ 実際的な愛。
口だけの愛ではなく、時間をかけて、与えられるものは与えつくしていきます。
・ 純粋な愛。
いつまでも忍耐し、最善なものを与える賢い愛です。期待し、信頼を持ち続けます。
どこに、このような愛を持つそんな友や兄弟がいるのでしょうか。ヨハネは、イエス・キリストの中に「ここに愛がある」(Ⅰヨハネ四10)と言い、「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです」(三16)と言いました。キリストこそ、真のあなたの友、あなたの兄弟です。