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エゼキエル書29章2節

2017年05月30日 07時30分56秒 | 聖書


★「人の子よ。顔をエジプトの王パロに向け、彼およびエジプト全体に預言し、

第一コリント1章2節
★コリントにある神の教会へ。すなわち、私たちの主イエス・キリストの御名を、至る所で呼び求めているすべての人々とともに、聖徒として召され、キリスト・イエスにあって聖なるものとされた方々へ。主は私たちの主であるとともに、そのすべての人々の主です。

18~19節
★十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。」


■O:今日のコラム
しゃろーむ!5月30日の朝です。今日1日も主によって御言葉を受け取り、御言葉を宣言していきましょう。主が僕らを用いてくださるからです。

僕らはどんな立場であっても、イエス様の十字架の血潮と復活の勝利を信じる信仰によって、永遠のいのちをいただき、救われました。そして、神様の子供としての特権(権威)を持つ者とされました。天のお父さんから、王であり祭司として任命を受けた者となりました。聖徒として召され、キリスト・イエスにあって聖なる者とされたのです。だからこそ、この地に神の御国とその義とを第一に求めていき、御国とその義とを解き放つ者となっていきましょう。

王に預言することは、その土地全体に預言することになります。また、自分自身に対しても御言葉を宣言することによって、自分の霊的状態に必要な預言のことばを得ることができます。僕らが行く所に主の祝福と平安が満ち溢れるのです。この日本に、アジアに、世界に、御言葉を宣言していきましょう。

僕らは自分の無力さを見て嘆く時があるかもしれません。世の人の方が上手に物事を行っているように見えてしまうことがあります。しかし、十字架のことばは滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける僕らには神様の力です。自分を誇る必要はないのです。主を誇ることが、僕らのやるべきことです。信仰さえも主が僕らに与えてくださったものです。

僕らは自分を明け渡して、主に委ねていきましょう。そして、御言葉を預言として宣言していきましょう。



■A:考えてみよう
御言葉を受け取り、預言として宣言していきましょう。


■P:祈り



イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

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