元町のバースターダストで待ち合わせている。
利幸、バーボンロックで彩香(あやか)が来るのを待っている。
眉間にシワを寄せて一口飲む、暫くして彩香がドアを押し開けて入ってくる。「私も同じものをちょうだい」
マスターが無言でカウンターにグラスを差し出す。
利幸が「すんだのか?」「そうすべて白紙になったわ、明日ニューヨークに行くわ、過去(昔の思い出を)を捨てて行くの」
利幸は黙って一口飲む、遠くを見る目でつぶやく「明日の君に乾杯」
気怠い今日が過ぎゆく。
元町のバースターダストで待ち合わせている。
利幸、バーボンロックで彩香(あやか)が来るのを待っている。
眉間にシワを寄せて一口飲む、暫くして彩香がドアを押し開けて入ってくる。「私も同じものをちょうだい」
マスターが無言でカウンターにグラスを差し出す。
利幸が「すんだのか?」「そうすべて白紙になったわ、明日ニューヨークに行くわ、過去(昔の思い出を)を捨てて行くの」
利幸は黙って一口飲む、遠くを見る目でつぶやく「明日の君に乾杯」
気怠い今日が過ぎゆく。
(Ⅱ列王3:18)
ヨシャパテがユダ王であった時、北イスラエルの王はヨラムであった。
北で、モアブの王がそむいたので、ヨラムはヨシャパテに援軍を頼んだ。
ヨシャパテは引き受け、揃って進軍して行くと、途中で水の無い所に来た。
家畜のための水も無く立ち往生だ。この時、ヨラムはネガティブ思考に入った。
この窮地に、神が自分達を進軍させたのは、敵の手に渡すためであり、神に見捨てられたのだと。
しかし、ヨシャパテは違った。神視点に立った。
神はどう思われ、神のお心はどうなのか。
主の御心を求める事のできる預言者を求めた。
状況がどんなに悪かろうと、神に頼り、神の御心を求めて行く姿勢だ。
ヨラムは「ヤロブアムの罪を彼も犯し続け、それをやめようとはしなかった」偶像礼拝の罪を犯していた。
私たちはどうだろう。偶像礼拝とは、単に像を拝む事ではなく、自己中心も偶像礼拝だ。
自分の思い通りに、自分に都合良く行く事を願う。
もしそうであれば、事態が思い通りにならない時、いら立ち、思い煩い、悲観的になる。
ヨシャパテは、自分の思い、都合でなく御心を求めた。
水が無くなった時に、二つの相反する反応が出た。
目の前に、問題が起きた時、思い煩い、ネガティブに陥って行くのでなく、神の主権を認め、「この事における御心は何か?」と祈ろう。
そこに神の御心があり、学びがあり、豊かな祝福が備えられている。
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いつも、自分視点で物事を捉えるなら、神様が介入される所はない。
事態が悪ければ、うろたえ良ければ喜ぶ。
自己中心な生活を正当化し続けるなら、水のない枯れた道をさ迷うばかりだ。
聖ペトロ・ダミアノ司教教会博士
1000/1007年-1072年
ペトロは、イタリア、ラヴェンナの貧しい家庭に生まれた。幼くして両親に先立たれたペトロは、長兄の家に引き取られたがひどい扱いを受けた。見かねた司祭である次兄が弟を引き取り、学問の道に進ませた。ペトロは大学卒業後、しばらく故郷で教鞭を取り、1035年にベネディクト会に入った。
彼の神に対する熱心さは修道院でも尊敬され、副院長を務めるなど、院内の改革を積極的に行った。また教皇の依頼を受け、各地を回って教会の改革に力を尽くした。特に聖職売買の腐敗に対して鋭い批判をした。彼の深い学識と徳の高さは多くの人々に影響を与え、1057年に枢機卿に任命された。教皇使節として重要な役割を果たし、教会の発展に貢献した。雄弁家であり、多くの著書を残している。
18:16 主は、いと高き所から御手を伸べて私を捕らえ、私を大水から引き上げられた。
18:17 主は私の強い敵と、私を憎む者とから私を救い出された。彼らは私より強かったから。
私たちが敵と戦う時、敵の数が多ければ、あるいは敵の武器がより優れていたら、また敵の資金が多けらば、勝ち目がありません。
試行錯誤をして、策を練って戦うということもありますが、不安を払拭することはできません。
そして、弱い者をあえて助けてくれる者もいません。
これが世の常です。
しかし、ダビデは、違うというのです。
主は、私の敵から私を救い出してくださった。
それは、敵が私よりも強かったからだというのです。
主は、主にある者達にいつも目を注いでくださって、守り、支え、ある時には戦ってくださって、その苦しみと不安から救い出してくださるというのです。
小さいからだめだというのではない。
少ないから希望がないというのではない。
小さい者、少ない者を、主は見て、守ってくださる、というのです。
★『アモン人のつかさたちは、彼らの主君ハヌンに言った。「ダビデがあなたのもとに悔やみの使者をよこしたからといって、彼が父君を敬っているとでもお考えですか。この町を調べ、探り、くつがえすために、ダビデはあなたのところに家来をよこしたのではありませんか。」
そこでハヌンはダビデの家来たちを捕らえ、彼らのひげを半分そり落とし、その衣を半分に切って尻のあたりまでにし、彼らを送り返した。』
■O:今日のコラム
9章で登場するメフィボシェテと、10章のアモンの王ハヌンに共通する事があります。なぜ共通したテーマを隣同士に並べるのか?というと、それを主が強く訴えたいからであると思います。メフィボシェテは、幼い頃に足萎えとなり、人に預けられていました。しかし、元王族であるにも関わらず、そこで蔑まれ、バカにされ、自分に対するイメージは最悪でした。イスラエルの文化では、犬を見下げられる存在として扱っていますが、彼は自分の事を犬どころか『死んだ犬』と表現していました。
これは、私たちにも当てはまります。私たちも王族の子、それも王の王なる方の子として生まれたにも関わらず、虐げられ、偽りを吹き込まれ続けてきました。自分はつまらない存在、役に立たない存在、嫌われている、愛されていないと。嘘です!私たちは、なくてはならない存在です。だから生まれてきました。また、尊い事に用いられる事になっています。だから、イエス様を受け入れてもまだ、地上に置かれているのです。命がけで愛されて、好意を受けるために作られたのです。
アモンの王ハヌンも同じです。ダビデが好意を注ごうと使いをよこしたにも関わらず、彼は、偽りを語る者に耳を傾け、その好意を無にしたばかりか敵対する者となり、滅びる事になりました。
私たちは、何に耳を傾けているでしょうか?御言葉に耳を傾けましょう!信仰は聞くことからです。耳を傾けているうちに、その御言葉に御霊の油が注がれ、その言葉は文字ではなく、生きて働く御言葉(レーマ)となるのです。御霊が与える剣である神の言葉(レーマ)によって私たちの心を刺し貫き、今度はその剣をもって世を変革する勇士となっていくのです。
生活の中で必ず別の語りかけが、自分の心にやってきます。偽りの語りかけが。ハヌンに対して起こった事は、私たちにも起こるのです。一見静かな日常の中に、平和そうに見える家庭や、学校や職場で、偽りが心の中にささやいてきます。どうしたら良いでしょう?その時こそ、御言葉を宣言して剣を抜く時です!そして、この偽りの声に耳を貸してはなりません。エバは、耳を貸して惑わされました。
思い巡らしてはいけません。想像してはなりません。思い巡らすなら御言葉を思い巡らすのです!その時、主の用意している好意、恵みを受け取り祝福されるのです!
このどこにでも起こる当たり前の状況こそ、霊的な戦いの主戦場なのです。私たちは神の国の側に立ちますか?サタンの国の側に立ちますか?この世には、実はこの二つの国しかありません。私たちはどちらでもありませんという事はありえないのです。教会は、ハデスの門に打ち勝つ存在として作られました。これが教会のDNAなのです。だから戦うことは、私たちにとって幸いな事なのです。
神を愛し、神の側に立ち続けましょう!私たちの戦いは、愛と喜びと平安がある戦いなのです。もちろん苦しみと悲しみも伴います。ですが、主にある愛と喜び、希望はそれ以上にあります。どのような邪悪な日に際しても堅く立つ事が出来るように、今、この時から、小さな戦場を勝利していきましょう!御言葉の上に立ち続けるのです。
■A:考えてみよう
惑わし、偽りに耳を貸さず、思い巡らさず、御言葉を口ずさみ(宣言し)、思い巡らす。必ず結果(実)が実る事を信じましょう!
『まことに、その人は主のおしえを喜びとし、
昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
その人は、
水路のそばに植わった木のようだ。
時が来ると実がなり、その葉は枯れない。
その人は、何をしても栄える。』(詩篇1:2~3)
■P:祈り
御言葉を握り続けさせてください。いつもこの岩の上に立ち続け、あなたと共に歩む者として祝福し、勝利を見させてください。神に敵対する者ではなく、主の側に立つ者であらせてください。主の恵み、好意を見る者、味わう者であらせてください。
IIサムエル記7章5-7節 goo.gl/qUuwRw
— 大西利幸 (@tosi_o) 2017年2月20日 - 07:11
詩篇18篇7-15節 goo.gl/gSvpIa
— 大西利幸 (@tosi_o) 2017年2月20日 - 07:14
◆気落ちした者を慰めてくださる神……。 goo.gl/T1vHtY
— 大西利幸 (@tosi_o) 2017年2月20日 - 07:15
◆人格の尊厳を売り渡すな goo.gl/mP8lj9
— 大西利幸 (@tosi_o) 2017年2月20日 - 07:15
今日の聖人の記念日 goo.gl/qxXL7M
— 大西利幸 (@tosi_o) 2017年2月20日 - 07:18
おはようございます。 goo.gl/ZYeGyS
— 大西利幸 (@tosi_o) 2017年2月20日 - 07:19
イエスは答えて言われた。 goo.gl/0Sc0KI
— 大西利幸 (@tosi_o) 2017年2月20日 - 16:43
◆さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、 goo.gl/hSGEju
— 大西利幸 (@tosi_o) 2017年2月20日 - 16:46