マディと愛犬ユーリ、親友のクリスティ、それにハワイのこと

ハワイに住んでいたころ、マディという女の子が近所に住んでいて、犬のユーリを連れて遊びに来ていた。

" Somewhere, sometime (1) " (どこかで、あの時: あの有名人)

2017-10-05 17:37:38 | ハワイ

 

 昼時、食事をしようとカハラのレストランに入っていった。
 「屋内がいいですか、それとも外のテラスがいいですか?」と言うから、「外がいいですね」と言った。外のテラス席に案内された。心地よいハワイの風が頬をかすめる。何とものどかな昼下がりである。
 
 ミケロブビールとアンチラーダを注文した。やがてウエイトレスがビールを運んできた。それを飲みながら周りを見渡した。
 隣の席に老夫婦と見える二人が食事をしていて、何かの話題で盛り上がっているようだ。
 " DO NOT FEED BIRDS! "(小鳥に餌を上げないで!)と書かれたカードがテーブルに置かれているのに、まるで気づかないようで、奥さんの方がパンをちぎって群がってくる小鳥たちに与えていた。
 それとなく聞こえてくる二人の会話が気になった。マーロン・ブランドが監督といさかいを起こしたとき、二人に割って入って喧嘩をやめさせたみたいなことを言っていた。「エツ!」と思った。単なる映画ファンの話かと思ったが、まるでその場に居合わせた当事者の会話だったからである。
 ひょっとしてハリウッドの関係者かなという気がしてきたが、ちらっと見た眼鏡をかけた横顔はまるで知らない人だ。
 「サヨナラ」や「トコリの橋」のこと、グレイス・ケリーやウイリアム・ホールデンなどの私的な話題がちらっと耳に入ってきた。ひょっとするとあの有名なジェイムズ・ミッチェナーかなという気がしてきた。あの壮大なミュージカル「南太平洋」の原作者である。まさかこんな所にいるだろうかとは思ったが、それからそわそわしてしまって、トイレに行く風をしてレストランの中に入っていった。
 
 店のマネジャーに、"  Is he James・Michener ; the gentleman having lunch outside、if I may ask?  " (彼は、ひょっとしてジェイムス・ミチェナーですか?)と問いかけると、彼はいかにもという感じでうなずいて、「でも話しかけないほうがいいですよ」と言った。「わかっているよ」と私は言った。

 夕方、家に帰ってから、友人に、「今日、ジェイムス・ミチェナーを見たんだけど!」と言うと、
 "  Possibly could be !  he is in Hawaii now.  " (ありうるね!彼は今ハワイにいるよ)
 "  Where did you see him ?  "(どこで彼に会ったの?)
 "  I met upon at a restaurant in Kahala.  "(カハラのレストランだよ) 

  


" My experience in Hawaii " (ハワイの思い出)

2017-09-08 16:06:44 | ハワイ

 

 

 近所の中華レストランでは、どうゆうわけかハワイアンミュージックが流れている。中国の音楽ならわかるが、「どうしてハワイの音楽なの?」と女主人に訊いてみた。
 最近、高校時代からの親友とハワイに行ったそうだ。
 親友は前にハワイに行ったことがあるそうだが、彼女は初めてだった。レストランのオーナーをしていると、なかなか時間が取れなくて、一週間の休みなどとても無理ということだ。
  「私、今ハワイにどっぷりなのよ!」と言った。
 レストランで着ている服は、てっきりチャイナドレスだと思っていたが、「これハワイで買ったムウムウなの」
 よく見ると確かにハワイの人たちが来ているムウムウだ。

 彼女にとってハワイでの体験は心躍るものだった。
 その時のことを思い出すように、時々「アㇵ!」とかため息をつきながら話してくれた。        
 ビーチで休憩をとり、クッキイを食べていると、何処からともなく小鳥たちがやってきて、食べ物をおねだりするように肩の上に止まってきた。日本では考えられないことだ。
 夕暮れ時、ドレスに着かえ、海辺のレストランに行った。テーブル上ではキャンドルの炎が揺れていた。ブルーハワイを飲みながら心地よいハワイの風を感じていた。
 アイスクリームを食べながら街を散策した。
 ノースショアではガーリックシュリンプを食べた。ウインドーショッピングをしていて、つい買い物に精を出してしまった。
 お昼時、通りすがりのレストランでピザを食べた。そのピザがおいしかったこと。
 陽が落ちてから二人で海岸に出て泳いだ。日中は、高波が押し寄せていてサーファーたちが波乗りをしていたが、陽が落ちてくると、波も穏やかになり、揺ら揺らと体を波に任せてみた。空を見上げるとあちこちに星が見えた。
 ホテルで催されたハワイアンダンスのパフォーマンスに飛び入りして楽しんだ。

 日本に帰って、買ってきたコナコーヒーを沸かして飲みながらハワイのことを思い出しているとのことだ。
 親友に電話をして、「今度いつハワイに行く?なんて言っているのよ!」

 

 

 

 


" Any place to eat ? " (何処か食べるところがあるかなあ)

2017-07-03 09:12:12 | マディソン

 

 

 

 カリフォルニア大学のマリナム教授が学会を終えて会議場の外に出た。ほっとしたようで空を見上げながら深呼吸をした。さてこれからどうしようかなあという仕草で、"  Any place to eat ?  "  (どこか食べるところはあるかなあ!)と独り言のように言った。何か聞き取れなかったので、"  What ?  "(何ですって?)と聞き返した。

 一日前にモールで「神戸ビーフ」を買っていたことを思い出した。思わず彼女に向かって、"  What do you say to coming to my home and dining together ?  "(うちに来て一緒に食事をしない?)とか言ってしまった。"  Such wonderful !!  "(すばらしいわ)ということで、家で「すき焼き」をすることに決まった。
 「すき焼きパーティ」は人気があって、うわさを聞いた人たちが集まってくる。参加希望者が増えて困ることがある。このたびはひっそりと催すことに決めた。
 近くに住むミラーさんには声をかけた。前に何回かすき焼きパーティに来ていたこともあって、料理の手伝いをしてくれるからである。それに可愛い女の子いつも一緒にやって来る。この娘がお喋りで、その場の雰囲気を一手に引き受け、みんなを楽しませてくれる。
 急に電話をしたのだが、何はさておいてもやって来るというので、夕方ご主人を伴っていそいそとやってきた。家の中の雰囲気が一気に華やいだのは娘のニーナのおかげである。さそっくマリナム教授と話を始めたのである。

 以前は、すき焼きなどマディソンではできなかった。食材が揃わなかったのである。
 シカゴに行った序に帰りに「ヤオハン」に立ち寄り、ようやく日本の食材を買っていたのである。
 最近では、マディソンに「オリエンタル・フッズ・ストア」ができて、主に中華料理の食材が揃っているが、日本の食材も手に入るようになった。
 前日にすき焼きをしようと白菜、しらたき、えのき、ねぎなどを買い揃えていた。マディソンのモールに行けば「神戸ビーフ」も手に入る。


" Mona is living in Italy. " (モナはいまイタリアに住んでいる)

2017-05-17 22:47:53 | マディソン

 

 

            (マディソンの州議会議事堂)

 モナがイタリアに行ってから4年になる。この人は英語はもちろん、イタリア語も日本語も話せる。いったい何処の国の人なのだろう。
 小さい時からインターナショナルスクールで学んだ。そこでは、すべてが英語でコミュニケートされており、家に帰っても、日常的に英語が使われていた。生まれは神戸なのだが、日本語より英語のほうが馴染みがあった。
 今はイタリアにいてイタリア語で生活している。イタリア人の旦那との間に愛くるしい娘ができた。その可愛い娘さんが、イタリア語をしゃべっていて、話しかけてくるのだが、さっぱり何を言っているのか我々には理解できない。

 初めてモナに会ったとき、奥のほうから駆け足で出てきて、手を差しだし、"  Hello! Mr.Yamada!  "(はじめまして!ミスターヤマダ!) と言った。容貌がまさに白人だったから何の疑いもなく彼女はアメリカ人だと思ったのである。
  "  How was your trip to Madison?  "(旅はどうでしたか?)
  "  Oh, I was a kind of exhausted. You know, I started at Fukuoka, transferred at Narita. And I flew to Chicago, Then, I was on board for 11 hours.  "
(ちょっと疲れました。福岡を出て成田で乗り換え、それからシカゴに飛びました。11時間も乗っていたのですよ)のように話していたら横にいた女性が、"  Mona understands Japanese.  "(モナは日本語ができますよ)と言った。
 びっくりして日本語に切り替えると、彼女の日本語はかなりの関西弁だったのである。
 生まれは神戸で、父親は、当時神戸の大学で教えていたアメリカ人で、お母さんは日本人で中学の先生をしていたとのことである。小学校からインターナショナルスクールで勉強していて、家の中でも英語で過ごしていたようで、日本語と英語を自由に操るバイリンガルだった。

 マディソンで彼女と知り合ってからは、トシのことを「ミスター・ヤマダ!」と呼んでいたが、いつの間にか「パパさん!」と呼ぶようになった。パーティなどでトシに向かって遠くから「パパさん!」とか叫ぶものだから、アメリカ人たちも、同じように「Papa-San!」と声をかけるようになったのである。

 モナは、ウイスコンシン大学を出てから、ニューヨークで勉強して、さらにイタリアに留学した。その時、今の旦那と出会った。
 旦那さんは、レストランを2つ経営しているとのことだが、2人が出会って結婚して、モナはすっかりイタリア人になってしまった。
 彼女は、日本語(関西弁)ができるし、英語もネイティブスピーカーそのもので、さらにイタリア語も話している。
 可愛い娘さんが何やらイタリア語で話しかけてくるのだが、こちらにとっては、何を言っているのやらさっぱりわからないのである。
 近所に住むおじいちゃんとおばあちゃんが、毎日のようにモナの家に通ってきて孫を溺愛するようで、これじゃあ娘の教育ができないと嘆いていた。


  " Nonno-Chan cooked what ? " (ノンノちゃんが作ったものは?)

2017-04-14 16:44:56 | マディソン

 
 ノンノちゃんはこれから先どうするのだろう。というのは、仕事は順風満帆で問題ないのだが、ひとつ気になるのは、彼女は料理ができないのである。
 夕食は、どこかのレストランで食べるか、「ホールフッズ」で出来合いを買ってくるかである。日本のように近くにラーメン屋があったり、定食屋があるわけでない。1キロほど離れたところにメキシコレストランがあるが、それだとやはり車で行かなくてはならない。それに彼女はメキシコ料理を好きのようでもない。毎日外食だと身体的に考えても栄養のバランスからして健康的に思えないのである。

 朝6時半になるとキッチンでガサガサと音がする。夏はともかく冬場では外は真っ暗である。出勤の支度をして立ったままでトーストをかじりコーヒーを飲んでいるノンノちゃんがいる。
 "  Morning!!  " (おはよう!)  
 "  You wanna coffee?  "(コーヒーを飲む?) 
   "  Sure!  " (もちろん)
 一緒にコーヒーだけお付き合いをする。軽い朝食が済むと地下の車庫に降りていき車のエンジンをかける。電動のシャッターを開け車を動かし出て行く。いつも思うのは、研究室の仕事なのに、しかも彼女は管理職なのに朝の出勤が早いのである。

 コーヒーを沸かしたりトーストを焼くぐらいはできるようだ。もともと彼女はシカゴの裕福な家庭に生まれた。そのせいかまるで料理をしない。
 一度パーティを開いたとき、ノンノチャンがキッチンにやってきて、何かを作り始めた。大きな冷蔵庫と冷凍庫があって、中にはいっぱい物が詰まっている。絶えず誰かがやってきて、勝手に料理を作っているのだ。
 ノンノちゃんが作っているのは、春巻きみたいなものだった。餃子の皮を伸ばして、ミンチ肉、アスパラ、ニンジン、パクチーなどを詰め込んでいた。タイ料理かなあ。
  "  Your mom taught it to you?  " (お母さんから習ったの?)
  "  Mom never cooks!  "  (ママは料理をしないの!)ということだった。
 シカゴにいた時、ベトナム人の女性が料理をしに通って来ていて、その人から戯れに習ったもののようだ。
  "  Taste it!  " (食べてみて!)というから味見したら何となく東南アジアの香りがして、味もまあまあだった。
 大皿に盛ってパーティで出したら、みんなが、ノンノちゃんが作ったのなら "  I don't wanna eat.  " (食べたくないわ)とか言いながら敬遠されていた。