レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

ぢつと手を見る...

2014-01-23 05:00:00 | 日記
はたらけどはたらけど猶わが生活
楽にならざりぢっと手を見る

言わずとしれた石川啄木の一首です。私の教会のオフィスのデスクの上に辞書や専門書に交じって何冊かの詩集が置いてあります。その中の一冊が「啄木のうた」という小さめの本です。

確かこれは八王子の本屋さんで買った記憶があります。私は特に啄木の信奉者ではなかったのですが、もともと詩歌は好きですし「手元に日本の庶民派の歌集があってもいい」という気まぐれで買ったというように記憶しています。

ところがこの小本、読み始めると素晴らしいことが分かりました。有名な「一握の砂」からの抜粋歌集なのですが、豊かな生活感があり、また「ある時代の日本の生活はこうだったんだろうなあ」と思わせる歌が満載されています。

非凡なる人のごとくにふるまえる
後のさびしさは
何にかたぐへむ

人がみな
同じ方角に向いて行く。
それを横より見ている心。

人といふ人のこころに
一人づつ囚人がいて
うめくかなしさ

気の変る人に仕えて
つくづくと
わが世がいやになりにけるかな

ここで改めて記す必要もないでしょうが、啄木についてはうろ覚えという人もあるでしょうから、少しだけかいつまんで。啄木は1886年に岩手県で生まれました。旧制中学時代に妻となる節子と出会い、十九歳で結婚しています。

虚弱な体質で徴兵免除になるほどでした。札幌へ出てから小樽、釧路と新聞社を転々としましたが、生活は苦しいばかりだったようです。1910年、二十四歳の時に二人目の子供(長男)が生まれましたが、僅かな日の後に長男は亡くなってしまいます。

そして同じ年に「一握に砂」が出版されますが、その翌年には肺結核になってしまいます。そしてその翌年の1912年、若干二十六歳で亡くなってしまいました。亡くなってから第二の歌集「悲しき玩具」が世に出ます。妻の節子も啄木の一周忌を迎えた後に同じく肺結核で世を去っています。

というように石川啄木といえば「貧しさと病気」に呪われたような一生だったイメージが強くありますし、歌も「貧しさ」というモチーフの上に詠まれているのは確かな感じです。

ただそれでも「暗すぎて嫌」とはならないのは、そんな自分を突き放して笑っているかのようなユーモアがそこここに出てくるからではないでしょうか?「悲劇は喜劇だ」という格言を思い起こします。

すっぽりと蒲団をかぶり、
足をちぢめ、
舌を出してみぬ、誰にともなしに。

或る時のわれのこころを
焼きたての
麵麭(パン)に似たりと思ひけるかな

ふるさとの山に向ひて
言うことなし
ふるさとの山はありがたきかな

正直言って、啄木の実際の生活がどのようなものであったのか、私には想像するのも難しいことです。私自身が本当の貧しさというものを味合わずに育ってきた世代です。

それでいながら、というかそれだからこそ?啄木の歌には大切にしなければならないものを感じてしまいます。

変な話しなんですけどね、日本でなく、アイスランドに住んでいて浮ついた繁栄に右往左往している私や周囲の人々にとって大切な何か、という気がしてしまうのです。きっと「ぢつと手を見る」ことなのではないかと...

応援します、若い力。Meet Iceland


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is

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