レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

筋トレと語学学習は裏切らない! ...か?

2021-10-10 00:00:00 | 日記
こんにちは/こんばんは。アイスランドでは相変わらず荒れ模様の天気が続いていました。レイキャビク界隈に限って言いますと、三日強風の日が続いて、一日穏やかな日がやってくるという感じです。

その間に、時折陽の光が降りてくるような。十月は以前はとても寒くなることがあったのですが、ここ数年は地球温暖化の影響か、そのような十月の冷え込みはなくなっていました。

ああ、二年ほど前に、それでも急な冷え込みで動けなくなり「アイスマン化」したのを覚えています。でもあれは、十一月間近だったような。

「そしてワタシはアイスマンとなった...」




清涼感アップ用のピック
Myndin er eftir Hari_Nandakumar@Unsplash.com


政治ですが、選挙から二週間経ちましたが、まだ組閣は終了していません。っていうか、組閣の「そ」がようやく始まるかどうか、というくらいののんびりさです。

続投が確定視されているカトリーン現首相は、「十一月には新政権が明らかになるでしょう」とか呑気なコメント。

実はこれ、先週書きました「開票時の数え間違い」とそれにつれて明らかになった北西選挙区での「投票用紙手抜き管理」問題のせいで、現在四人の落選候補から、個別に訴えが起きていることも関係しています。

選挙管理委員会はすでに「これで決まり」と、再投票の可能性を否定していますし、まあ大方の議員さんは同調しているように見受けます。そうでしょうね。自分が当選しているのだから、それを覆しかねないことはしたくないでしょう。

ですが、四件の訴えの顛末が見えてくるまでは、何というか「喉に刺さった小魚の骨」みたいな感じで「ごちそうさま。さあ、次へいきましょう」とはなれないのです。「だから十一月くらいまでは、あまり先へ進めない」ともカトリーン首相の弁。早くスッキリしてもらいたいものです。

金曜日には痺れを切らした?アルシンキ(国会)が、そのホームページに当選議員のリストを公式に掲載しました。既成事実的に訴えを押しのけようという企みに見えないこともない気がします。




国会は痺れを切らして当選議員リストを公開
Myndin er ur Visir.is


さて、今回はまたアイスランド語について少々。別にアイスランド語でなくても良いのですが、新しい言葉の学習関連です。

実は私の娘の娘が(「孫」という言葉は私の辞書にはありません)夏に一歳になりました。子供によっても差はありますが、このくらいから子供っていろいろしゃべり始めますよね。

実はこの子がしゃべり始める前から、私を「ミスターT」と呼ばせようとしていたのですが、結局私を見ると「じっちゃん」と呼ぶようになってしまいました。敗北...  ですが、呼ばれてみればそれはそれで嬉しいもので。

私の子供たちふたり(今は成人)の場合を思い出してみると、言葉の能力は均一に伸びていくものではなく、あまり進歩が見られない日々が続いた後、突然ドカッとしゃべり始めるようなことが、何度もあったように思います。

ふたりとも、生まれた時から日本語とアイスランド語で育てられました。私は日本語だけで話しかけ、お母さんがアイスランド語だけで。そういうバイリンガル環境の子供たちは、それなりの学習の特徴というものがあります。

うちの子供たちもそれなりに苦労はしたと思いますが、成人した時点ではすべて乗り越えてくれています。子供たちとは今でも日本語だけで話しをしています。

子供たちにとってはアイスランド語も母国語ですが、ワタシにとっては、それは「ザ・外国語」です。昔も今も。で、今度は私自身の体験です。

アイスランド語については、自身の体験も含めてこれまでに何度も書いてきました。ですから多少重複する部分があったとしてもご容赦ください。m(_ _)m

三十年近くこの地で生活しているにもかかわらず、私のアイスランド語は「まあまあ」の域を出ていません。

読み書きはそれでも生活の上では十分な域に達していると言えるでしょう。リスニングは、トピックによってだいぶ左右されます。

一番難しいのは話すことで、単語が複雑に変化し、互いに影響しあいますので、瞬時に文法的に適合する文を準備することは、私にはほとんど不可能なものです。

ですから、話しをするのは全般的に苦手です。礼拝のお説教のように、用意されたスピーチはまだ準備のしようがありますが、その場でのフリートークはものすごくハードルが高いのです。ほとんどあきらめの境地。

アイスランド語との苦闘 「ジェラード保安官がアイスランド語をしゃべったら」




「逃亡者」の中でのジェラード・USマーシャル捜査官
Myndin er eftir Slashfilm.com


職場での気楽な雑談時でさえ「これはどのように言うか」を心に留めてからでないと話しができないような日常でした。そういうのが、そうですねえ、十五年くらい続いてきたでしょうか?

自分でも、それはそのようなものとして付き合うこととし、現実として受け入れて生活するようになりました。それでも、口がなめらかになるように、アルンナルドゥル・インドリーザソンの小説とかを、ちょっとずつ音読したりすることはありましたが。努力はしてるんだよ、今でも。

その一方で、七年ほど前から、難民の人たちとの集会を始めたのですが、そこでの言語は英語が主役。私は英語も別に母国語ではないし、だいたい英語を話す社会で暮らしたことさえない。雑談時はいいのですが、きちんとしたお話をするには準備が必要となります。

いかに大雑把な文法で英語を済ませてきたかを今さらながら思い知らされます。例えば、定冠詞か不定冠詞か?というお馴染みの課題もありますし、加えてAを付けるか何もなくていいのか?というのは必ずついて回ってくる疑問です。いまだに未解決。

そういうわけで、英語にも注意を向けないといけない生活となりました。「やばいな、これではアイスランド語はますます向こうへ押しやられてしまう」と自分でも不安になったくらい。

それからさらに二、三年経って、今いるブレイズホルトゥス教会にオフィスが移りました。当然そこではスタッフ会議じゃなんじゃとアイスランド語での仕事も多いのですが、ある日気がつきました。「フツーにしゃべってるじゃん!」

そうなんです。ここにきて、会話が以前よりはずっとスムーズにできるようになっていたのです。もちろん、それでもFrabaer(素晴らしい)には程遠いのですが、そんなに事前に考え込まなくとも、大概のことは言えるようになっていたのです。




私が使っていた古典的な文法書 私には役に立ちました


これ、正直に言いますが、自分でも気がついていなかったことなのです。ある日、そうなっている自分に気がついたのです。

その原因がなんなのか、皆目見当がつきません。アイスランド語より、英語の文法を調べるような日々になっていましたから。

もしかしたら、英語の学習刺激が脳内の言語学習領域に侵入してきたので、それにより、それまでハイバーネート状態に陥っていたアイスランド語の学習部分が刺激されて、活性化したのかもしれません。(まったくの空想ですので、念のため)

ですが、これも先に述べました「突然ドカットくる」体験のひとつであることは確かです。何かちゃんとした理由があるはずなんですよね。知りたいものです。

というわけで、語学学習がなかなか進まずにイライラしたり、落ち込んでいる方もあろうかと思います。ですが、必ずその投資は帰ってきますので。あきらめずにチャンネルを開いておくことをお勧めします。

特に高齢者の方。筋トレと語学学習は、高齢者にも必ず報いてくれます。ただ、筋トレは結果がすぐに付いてきますが、語学は多少時間差があるようです。大切なことは、それでも無駄にはならない、ということをわきまえておくことでしょう。頑張りましょう!


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。

藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

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Facebook: Toma Toshiki
コメント (2)
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