二年前の金曜日の朝、オフィスに着いてマックを開けた時は驚きました。あのような大災害が起こりえると本気で考えたことはありませんでしたし、それをいきなり目の前の映像に映し見るということはショック以外の何ものでもありませんでした。
もう二年が経つのですね。東北地方太平洋沖大震災で犠牲になられた方々に深い哀悼の気持ちを示したいと思います。また直接間接に大きな被害を被られた方々にも心よりのお見舞いを申し上げます。
私はその翌々日の日曜日に教会でお話しをすることになっていたのですが、金曜土曜は何も考えることができず、ただネットの映像を見入っていたと思います。かろうじて日曜の役割を終え、その夜になってからやっと「何かしなくては」と考え始めました。
こちらに在住している70人ほどの邦人の皆さんも、様子は大体同じだったようです。日本に住んでいたことがあったり、留学していたことのあるアイスランド人の人たちも一緒になり「何かできること」を探し始めました。
短い時間のうちに、赤十字の協力が決まり、義援金呼びかけの具体的なことも決まりました。ダウンタウンの中心にある建物を借りて「ガンバレ Nippon!」のオープンハウスを開きました。普段はあまり邦人の集いに参加されない日本人の方もいらっしゃるのですが、その時はさすがにほとんどの邦人の方が揃ったと思います。
結果、大勢のアイスランド人(とこちらに住んでいる人たち)が義援金カンパに協力してくれましたし、連帯と支援の気持ちを示してくれました。教会での祈りの夕べにも多くの方が来てくれましたし、この時は本当に「小さな社会」のありがたい一面に触れさせてもらったと思います。
「ガンバレNippon!」のオープンハウス
世界中のいろいろな国に住んでいる邦人の方々の多くに共通する感情ではないかと想像するのですが、あのようなことが起っている時に遠く離れて暮らしているということ、何もすることができないでいるということは、罪悪感を伴う焦燥感になります。
もちろん、実際に被災された方々の困難とは較べるべくもありませんが、在外組の私たちは私たちで自分の気持ちをしっかり保つ必要があります。実際に何かの取組みに参加できるということ、何かすることがある、ということはその人たち自身にとってとても大切なことだと実感しました。
その他にも多くのことを考えさせられました。この震災は私にとっても大きなショックでしたが、それはやはり私が日本人だからだと思います。私はことさらの愛国者ではありませんが、それでも日本人だと改めて感じさせられました。
スマトラ沖の大災害の時は心は重くなりましたが、二年前ほどの長く続く悲嘆にはなりませんでした。アフリカでは五歳未満の子供だけをとっても毎日二万人以上が亡くなっています。私はそのことを知ってはいますが、東北大震災時のような強い動揺は持っていません。
もちろんスマトラ沖の大災害やアフリカの子供たちの状況を軽く見ているということではありません。真剣に考え、なされている活動を支援する気持ちは強く持っています。それでも正直に自分の心を覗き込んでみると、やはり「同じ」ではないのです。私たちはやはり近いところの悲しみから感じていかざるを得ないのでしょう。
自己中心的で悲しいことかもしれません。ただ、それが必ずしも否定的なことだとも思いません。もし私たちが世界の全ての人の悲しみを同じように感じることができたとしたら、それは人間として生きるにはあまりに重すぎることだと考えます。必要なことは全ての重荷をしょいこむことではなく、限りのある、そのような自分であることを知っておくことであろうと思います。
逆に気仙沼の皆さんからの元気寄せ書き
震災に関しての応援活動は秋口まで続きました。こちらの郵便局の協力もあり、アイスランド中から寄せられた0,5トンもの手編みのニット(セーター、靴下等)が気仙沼市に送られましたし、教会の青年協議会の若者たちも廃品回収等で被災地の小学校への援助をしてくれました。
「震災後」はまだ続いているのでしょう。失われてしまったものはもう戻らないのでしょうが、それでも残った方々がしっかりとした復興の礎となられることを信じます。
またアイスランドに在住する邦人のひとりとして、アイスランドの皆さんの暖かい支援と思いやりに改めて深く感謝いたします。
もう二年が経つのですね。東北地方太平洋沖大震災で犠牲になられた方々に深い哀悼の気持ちを示したいと思います。また直接間接に大きな被害を被られた方々にも心よりのお見舞いを申し上げます。
私はその翌々日の日曜日に教会でお話しをすることになっていたのですが、金曜土曜は何も考えることができず、ただネットの映像を見入っていたと思います。かろうじて日曜の役割を終え、その夜になってからやっと「何かしなくては」と考え始めました。
こちらに在住している70人ほどの邦人の皆さんも、様子は大体同じだったようです。日本に住んでいたことがあったり、留学していたことのあるアイスランド人の人たちも一緒になり「何かできること」を探し始めました。
短い時間のうちに、赤十字の協力が決まり、義援金呼びかけの具体的なことも決まりました。ダウンタウンの中心にある建物を借りて「ガンバレ Nippon!」のオープンハウスを開きました。普段はあまり邦人の集いに参加されない日本人の方もいらっしゃるのですが、その時はさすがにほとんどの邦人の方が揃ったと思います。
結果、大勢のアイスランド人(とこちらに住んでいる人たち)が義援金カンパに協力してくれましたし、連帯と支援の気持ちを示してくれました。教会での祈りの夕べにも多くの方が来てくれましたし、この時は本当に「小さな社会」のありがたい一面に触れさせてもらったと思います。
「ガンバレNippon!」のオープンハウス
世界中のいろいろな国に住んでいる邦人の方々の多くに共通する感情ではないかと想像するのですが、あのようなことが起っている時に遠く離れて暮らしているということ、何もすることができないでいるということは、罪悪感を伴う焦燥感になります。
もちろん、実際に被災された方々の困難とは較べるべくもありませんが、在外組の私たちは私たちで自分の気持ちをしっかり保つ必要があります。実際に何かの取組みに参加できるということ、何かすることがある、ということはその人たち自身にとってとても大切なことだと実感しました。
その他にも多くのことを考えさせられました。この震災は私にとっても大きなショックでしたが、それはやはり私が日本人だからだと思います。私はことさらの愛国者ではありませんが、それでも日本人だと改めて感じさせられました。
スマトラ沖の大災害の時は心は重くなりましたが、二年前ほどの長く続く悲嘆にはなりませんでした。アフリカでは五歳未満の子供だけをとっても毎日二万人以上が亡くなっています。私はそのことを知ってはいますが、東北大震災時のような強い動揺は持っていません。
もちろんスマトラ沖の大災害やアフリカの子供たちの状況を軽く見ているということではありません。真剣に考え、なされている活動を支援する気持ちは強く持っています。それでも正直に自分の心を覗き込んでみると、やはり「同じ」ではないのです。私たちはやはり近いところの悲しみから感じていかざるを得ないのでしょう。
自己中心的で悲しいことかもしれません。ただ、それが必ずしも否定的なことだとも思いません。もし私たちが世界の全ての人の悲しみを同じように感じることができたとしたら、それは人間として生きるにはあまりに重すぎることだと考えます。必要なことは全ての重荷をしょいこむことではなく、限りのある、そのような自分であることを知っておくことであろうと思います。
逆に気仙沼の皆さんからの元気寄せ書き
震災に関しての応援活動は秋口まで続きました。こちらの郵便局の協力もあり、アイスランド中から寄せられた0,5トンもの手編みのニット(セーター、靴下等)が気仙沼市に送られましたし、教会の青年協議会の若者たちも廃品回収等で被災地の小学校への援助をしてくれました。
「震災後」はまだ続いているのでしょう。失われてしまったものはもう戻らないのでしょうが、それでも残った方々がしっかりとした復興の礎となられることを信じます。
またアイスランドに在住する邦人のひとりとして、アイスランドの皆さんの暖かい支援と思いやりに改めて深く感謝いたします。