トンサンの別荘

初代iMacが壊れ、本宅「マック鈴木家へようこそ」が更新できなくなったので、2010年9月27日よりこちらで情報発信。

確かにすばらしいポスターだ。愛知県の人権週間啓発ポスター。

2018年11月29日 10時02分03秒 | 日記

11月29日(木) 晴れ

今日見たTwitterから。



2年前の記事だが・・・

わたしの「ふつう」と、あなたの「ふつう」はちがう。愛知県の人権週間啓発ポスターがすごく良い


確かにどれも良いポスターだ。
トンサン的には、この中で「インターネットにおける人権問題」に特に関心がある。

人間は自分の素性が知られないとつい勝手なことを言ってしまうものだ、無責任に。
だからトンサンは、ブログでもFacebookでも顔写真を載せている。


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2 コメント

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「ふつう」に対する問い (最近の通りすがり)
2018-11-29 19:28:18
人によって「ふつう」が違うといった着眼点が良さそうですね。
こういった「ふつう」に対する内容はLGBTだけでなく
もう1つのマイノリティの精神・発達障碍者辺りにも当てはまりそうな気もします。

「ふつう」が同じだという前提でいると、それが違った人を見ると変だとか
中には不審(自分に何か危険を及ぼすのではないだろうかと一種の脅威のようなものを感じるのでは)
だとかなどとなってしまう場合があり、
例えばそれが自己責任論と結びついてしまうなりして、
寛容性が少なくなっていることに拍車を掛けているのではないかと思いました。

割と都会の地域になると現実社会でもネット空間の様に歩いている人に
「あいつやばい(変な)人」などと声掛けをして、
何かの脅威ではないかと触れて回っている人を時折見掛けたりします。
体験談ですが人口密度が多くなっているとネット空間と同様に勝手な人々がどうしても多くなってしまう気がします。
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寛容性が少なくなっている・・・ (トンサン)
2018-11-30 09:31:45
確かに現在は、寛容性が少なくなっているようにも感じますね。
みんな右へならへの教育からきているのかも・・・
でも僕はだんだんと大人になっていくにつれて、学校で習ったことがすべて正しいのではないなと感じてきました。
みんなそうやって大人になっていくのだと思います。

人々に寛容性が少なくなってきているのは、心の余裕が少なくなってきているからでしょう。
心の余裕は、昔も今も変わらないと思うので、文化が進んで生活が豊かになっても、心の豊かさとは別のものなのでしょうね。

「人口密度が多くなっているとネット空間と同様に勝手な人々がどうしても多くなってしまう気がします。」
⇒ 都会の方が多種多様な人がいるため、「人と違う人」は目立たなくて住みやすいのでしょうね。
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