働く主婦のじゅんこです 

自分探しから始まった幸せへの道・・いくつになっても旬な女性で生きるカギ☆

『夢十夜』に見る結末・・・

2009-09-01 06:06:17 | 文学・歴史
読書の秋。

「こんな夢を見た」で始まる有名な夏目漱石の小説、『夢十夜』がある。
漱石が41歳のとき、見た夢が元になっているそうだ。
『100年後にその真実が理解されるだろう』と本人が言った作品らしい。

その中の「第七夜」の結末はこうである。

『自分はますますつまらなくなった。とうとう死ぬ事に決心した。
それである晩、あたりに人のいない時分、思い切って海の中へ飛び込んだ。
ところが――自分の足が甲板《かんぱん》を離れて、船と縁が切れたその刹那《せつな》に、
急に命が惜しくなった。
心の底からよせばよかったと思った。

けれども、もう遅い。
自分は厭《いや》でも応でも海の中へ這入らなければならない。

ただ大変高くできていた船と見えて、身体は船を離れたけれども、足は容易に水に着かない。

しかし捕《つか》まえるものがないから、しだいしだいに水に近づいて来る。
いくら足を縮《ちぢ》めても近づいて来る。

水の色は黒かった。
そのうち船は例の通り黒い煙《けぶり》を吐いて、通り過ぎてしまった。

自分はどこへ行くんだか判らない船でも、やっぱり乗っている方がよかったと始めて悟りながら、
しかもその悟りを利用する事ができずに、無限の後悔と恐怖とを抱いて黒い波の方へ静かに
落ちて行った』・・・。

夏休み最後の日、女子中生2人が、駐車場6階から飛び降り自殺した。
大変ショッキングであり、痛ましく言葉も出ない。

苦しくても生きねばならない理由は何か。
これが見つからないと、生きることは容易でないのだろう。

しかし、飛び降りたその先にあるものは・・・・。
「無限の後悔と恐怖」と漱石は書いている。

大無量寿経という経典には
「大命まさに終わらんとして、悔懼(けく)こもごも至る」とある。
「臨終に、後悔と恐れが、代わる代わるおこってくる」。

もし、『夢十夜』に、「100年後に理解される真実」があるとしたら、今、死を逡巡する人に、
伝えねばならないここだろう。
そして、速やかに、どんなに苦しくても生きる理由は何か、その答えもこの経典にあることを、
示していく・・・。

悲劇の連鎖を断つに、最も急がねばならない「苦しくてもなぜ生きる」の解答。
どんな文豪も求める、苦悩の人が救われる真実は、仏法にある。
その教えに触れる「読書の秋」を、切に願わずにおれない☆

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