じゅんこの部屋 

自分探しから始まった幸せへの道・・いくつになっても旬な女性で生きるカギ☆

徳ある人に・・・

2009-10-11 06:32:31 | 文学・歴史
戦後、旧ソ連で抑留された元日本兵の話。
先日テレビで放映されていた。

マイナス何十度という、想像を超えた極寒のシベリアで、ろくな食べ物も与えられず、
日夜労働の日が続く。
あまりの苦しさに逃亡をはかり、銃殺される者、朝になると飢えと寒さで息絶える者・・・。
60キロの体重が40キロになり、生き残った日本兵も、半数になったと言う。

果てしない絶望に続く極限状態では、自分のことしか考えられない我利我利の本性が、
むき出しになるもの。
その中、配給のわずかなパンを仲間に分け、周囲を思いやり、励ます元少尉がいた。

ある日、マイナス39度の中、強制労働を課せられる。
衰弱しきった体にこれでは、みな死んでしまう。
限界を感じた元少尉は、叫んだ。
「今日は作業中止だ。みな、凍傷にならぬよう集まれ」。

何事かと駆けつけ、銃を構えるソ連兵。
反抗すれば、その場で銃殺されるのが、常だった。
銃を前に、彼は盾となって言い放つ。
「撃つなら撃て。お前たちに、我々の心はわかるまい。私の使命は、みんなを日本に
帰すことだ!」

そう、日本は負けはしたが、日本の魂まで屈したのではなかった。
極限下で身をていして仲間の命を救った崇高な姿・・・。
直後、彼は連行され、消息を絶った。

半年後、帰国した元日本兵は命の恩人である彼の消息を追う。
が、氏名も分からず、手がかりはない。
60年の時は過ぎ、最後の手段にかけた、新聞投稿。
それがきっかけで、なんと80の齢を過ぎて、奇跡的な再会を果たすのだ。

一途な思いは、こんな展開を生むのだろう。
まさしく感動のシーンだった。

元少尉の言動もさることながら、元日本兵の受けた恩を胸に、長きに渡る深い思慕の情に、
心打たれずにおれない。

幾年経ても、忘れられない人がいる。
会えるなら、会ってそばにいきたい。
そんな思いを抱かせる人があれば幸せだし、慕われる人は、まさしく徳の有る人なのだろう。

ある国の王様が亡くなった時、皆から人望があった臣下が「私がひきうけるべきでない」
と跡継ぎに譲り、人のいないところへ逃げたと言う。
すると、人々はその人を慕って集まり、そこに都ができた。

「住めば都」というのは徳のある人のところへ、みんなが集まって都になるという意味なのだ
そうだ。

大事なのは、徳のつながり。つくづく顧みて知らされる。
人生の師に巡りあい、慕う同志に恵まれた身の幸を、しみじみ感謝せずにおれない☆
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