働く主婦のじゅんこです 

自分探しから始まった幸せへの道・・いくつになっても旬な女性で生きるカギ☆

一隅を照らす

2011-03-01 13:34:52 | 文学・歴史
むかし、魏王が言った。

「私の国には直径一寸の玉が10枚あって、車の前後を照らす。これが国の宝だ」。

すると、斉王が答えた。

「私の国にはそんな宝はない。だが、それぞれの一隅をしっかり守っている人材がいる。
それぞれが自分の守る一隅を照らせば、車の前後どころか、千里を照らす。
これこそ国の宝だ」。。。

才能や力は、人それぞれで、ついてくる評価も違ってくる。が、その立場立場で、誠心
誠意、努力を続ければ、やがてものになるものだ。

たとえ、それが目立たない一隅であっても、その一隅を照らす人材が集まれば、やがて
強固な国作りとなっていくだろう。

左手を骨折して1ヶ月半、つくづく知らされたことがこれだった。

包丁で切るのも、ペンで書くのも、利き手は右手だからと左手を軽視していたのが大きな
間違い。

袋を開けるときも、靴下をはくときも、ベルトを締めるときも。。。
あらゆる日常動作で、こんなに左手に支えられ、左手がこんなに貢献していたなんて。

五体揃ってはじめて機能するのであり、どこか一つでも欠ければ、まともな動作にならない
もの。

普段は、気にもとめないことだったが、肉体でも、それぞれが、それぞれの立場で、精一杯
役割を果たしているからこそ、成り立つ日常生活であり、軽視できる部分は一つもなかった。

家庭も、職場も政治社会でも、「オレが、オレが」と、のし上がり、周囲を尊重せず、どうして
評価してくれないんだ、と駄々をこねるような雰囲気では、どこもまともに機能しないだろう。

一隅でも、今の自分の立場を自覚して、そこになくてはならない人に。。。

こういう一人一人の意識が、家族の団結を生み、職場の雰囲気を引き締め、住みよい社会に
変えていくのでなかろうか。

そう、ナンバーワンより、オンリーワン。。。

そうして体のように、時に支え合い、助け合い、すみずみまで行き渡るあたたかい組織に。。。

短い人生で果たすべき重大な目的に向かう者はなお、いつも心がけたいことである☆

勇気ある道

2011-02-17 10:16:52 | 文学・歴史
明治の実業家の中で、異彩を放つ森村市左衛門という人がいる。

彼は、政府との癒着を嫌い、自分でこつこつためたお金で、外国貿易をし、のちに
ノリタケ・TOTO等の基礎をつくった。

他の政商たちが政府と結託し、今の数十億円の資金をもらって商売して、蓄財した
のとは対照的である。

なぜ森村は安逸に流れず、苦難の道を選んだのだろう。
彼の言葉にその答えがある。

「自分を鍛ふ為めに困難が湧いて来るのじゃと思へば、如何なる困難が来ても少しも
辟易することなく、益々勇気が加はる」。。。

彼は元武具商だが、あえて苦労を求め「人間の名刀」になりたいと願った。
人間も楽に任せると軟弱な鈍刀で終わるが、苦難に鍛えられると香り高き名刀になる。

「政府と結託して富をなしたもの、投機によって一獲千金的に暴利を得たものは、
幾千万の富を集めても砂上の楼閣。狂い咲きの花のようで果実は結ばない」。。。

この信念に生きた森村は、自分だけが一時的に儲ける「一花咲かす」生き方でなく、
国内産業の育成という「果実を結ぶ」あえて困難な道を選んだのだった。

今日も、一獲千金の夢を見て、どうしたら楽に得られるか、宝くじに夢を託すような
生き方をする人が多いのでなかろうか。

欲に逆らい、あえていばらの道に身を置いて、高い目標に向かう高潔な人は甚だ少ない。

誰でもできることでないから、彼のような生き方は、今でも異彩を放つのだろう。

目標を「人格の形成」においてさえ、並大抵の心がけではないのである。

何のために生まれ、生きるのか。
最も大事な、人生の目的を知らされ、その達成に向かう者はいかん。

善因善果、悪因悪果、自因自果の「因果の道理」は、大宇宙の真理。。。

善きも悪きも、蒔いた種は必ず生えると知らされれば、なまけ心に打ち勝って、一歩でも
努力精進せずにはおられない。

姿ある外敵よりも、倒す困難は、内なる敵と教えられる。
最も困難なことにあたる勇気を今日も得て、光に向かう身を感謝して進ませて頂こう☆

一生分の財産

2010-10-12 10:41:31 | 文学・歴史
星新一のショートショートで、こんな話を聞いたことがある。

ある男が、突然、何者からか部屋中いっぱいの金の塊を受け取った。
そこには、「一生分の金を与える」というメッセージがある。

その日から、男の生活は華美になった。
サラリーマンで、わずかばかり金を得る為に、あくせく働くのがばからしくなった男は、仕事を
やめ、毎日料亭や高級バーで飲食し、海外旅行、カジノ、と贅沢三昧だった。

そんなある日、ふと、男が気づく。
あのメッセージには、「一生分の金」とあった。
ということは、つまりこの金を使い終わった時が、自分の命が終わるとき。。。
これは、大変!
金を使えば使うほど、自分の寿命は短くなる。
金の残高が、なんと自分の余命を計るバロメーターだったのだ。
それから、男の生活は一変して、質素になったという話。。。

金が自由に使えたら、どんなに幸せだろう、とほとんどの人は憧れるが、命あっての金だから、
やはり一番大事なのは、「命」だろう。

では、私の「命」とは何か。
それは、私に与えられた「時間」である。

つまり、80年まで生きるとすれば、生まれた時、80年の「命」をそれぞれが受け取る。
つまりこれが「一生分」の「時間」という私の「財産」。。。

平均寿命が世界一の日本では、生を受けた時、余命80数年という最も長い「時間」の「財産」を
受け取ったと言えるだろう。

まだまだ使い切れないほど時間がある、と思っていた若い頃は、スポーツ、読書、友との語らいと、
惜しげもなく時間を使い、休日などは、昼前まで眠って過ごしても平気だった。

ところが、人生半ばを過ぎると、かのサラリーマンが、「金」の残りが自分の「余命」と気づいた
ように、限りのある「時間」を目の前にして愕然とする。

今まで働いて働いて、家を建てて、子供も巣立った。

第二の人生、一体どう生きればよいのだろう。
もう無駄に時間は使えない。なにしろ、残り少ない貴重な財産なのだから。。。

そうは言っても、ほとんどの人が、「どう生きる」で一生費やし、「生まれてよかった」という
生命の歓喜のないまま、死んでゆく。

残酷にも、苦労して得たノーベル賞も金メダルも、あの世には持ってはいけないのである。

これでは、何のために生きるのか、人生の目的が分からない。

万人の生きる目的を明示し、それは、ただ今から未来永遠の幸福に生きることであると説かれたのが
仏教である。

その目的に向かえば、生きるすべてが生かされ、身も心も日々躍動せずにおれない。
こんな凄い教えを、一人黙っておれようか。
一刻も猶予なく、縁あるすべての人に、今、真実あきらかにされている「人生の師」ましますことを
伝えたい☆

円滑な人間関係のもと

2010-07-03 06:32:06 | 文学・歴史
論語に次のような一節がある。

「一生守らなくてはならないことを、一言で言えば何でしょうか」。
弟子が孔子に尋ねたところ、
「それは他者の身になって考える思いやりの心(恕)であろう。自分の欲しないことは、
他人に施さないことだ」。。。

他人の立場に立つということは、難しいようだが、大体、自分がしてほしいことは、相手も
望んでいることであり、してほしくないことは、相手も嫌がることである。

だから、自分の嫌なことは、他人にもしない。

これを基本とすれば、人間関係はほとんどスムーズにいくと思う。

世界が注目するW杯で、チーム一丸となって戦った日本は、延長戦の死闘の末、PK戦で
あえなく散った。

ゴールをはずした選手は、さぞ悔しく、勝利を期待した人達からの一斉非難を覚悟したこと
だろう。

しかし、駆け寄った仲間は、非難するどころか、「自分が蹴ってもはずしていた」と慰めたと
言う。

こんな失意の時は、「そんなに落ち込むなよ」という励ましより、「自分も同じことをした」と
いう共感が、何より救いとなるに違いない。

ゴールをはずした悔しさは、つまるところ経験者にしか分からないからである。
どんな言葉や行為が望まれるかは、当時の悔しい自分が一番よく知っている。

人生も、苦い経験があるほど、それなりに相手の痛みも分かるもの。。。

だから、言われて傷ついた言葉は、他人にも絶対言わぬこと。
心が晴れる嬉しい言葉は、できる限りかけていく。。。

たとえ、言わずにおれないことがあったとしても、それが自分本位であれば、周囲は引いて
離れていくだけである。

一時の抑えきれない怒りや感情で、人間関係をぎくしゃくし、損をしている人は少なくない。

誰しも望んでいることは、幸せであり、厭うているのは不幸だから、何を与えれば、その人は
幸せになれるのか、まず相手の立場に立って、与えることだけ考える。

これが、究極の思いやりではなかろうか。

仏法では、利他に徹するままが自利と教えられる。
幸せになりたかったら、できる、できぬと論じるよりも、ひたすら教えに従い、実践していき
たいものである☆

悩みこそ母

2010-06-13 07:03:56 | 文学・歴史
「弱者を育て、強者を倒す」。。。
カッコいい言葉だが、現実は、なかなかこうはいかないもの。

新規参入球団の楽天は、昨年、元野村監督のもと、わずか5年で悲願のAクラス入りを
決めた。
発足当初のメンバーは、他球団の戦力外選手を無償トレード等でかき集め、年齢層も
高く、あきらかに力に見劣りのするチーム。

「寄せ集め集団」で臨んだ1年目は、38勝97敗1分けで、首位と51.5ゲーム差の最下位
だった。

その翌年から指揮を執ったのが野村監督。
過去に南海、ヤクルト、阪神でも監督を務めたが、就任当時はいずれも弱小チーム。

「最下位ばかりに縁がある。よその球団の人から“監督、よくこの戦力で戦ってますね”
ってよういわれるんや」。。。

そうボヤく一方で、入団した選手には「いい球団に来たよ」とねぎらった。
弱小だから、新人でも1軍で、平等に才能を発揮する場を与えられる。
走攻守がそろわなくても、一芸に秀でた選手は、適材適所に配置された。

活躍の場を与えられると、自信を失いかけた選手でも、ここぞとばかり力を発揮する
から、互いに刺激しあい、団結となって、緻密なデータによる野村采配の元、勝利を
積み重ねていったのである。

戦国時代、あの織田信長が最も怖れた武将は、上杉謙信と言われる。

鉄砲3000丁を装備する3万の信長軍を、1万3000の謙信軍が撃破したときのこと。。。

兵の数にしても、鉄砲を持たぬことからしても、謙信側の戦力は、あきらかに信長に
劣っていた。

ところが、である。

両軍が対峙する中、ひたすら降雨を待ち続けた謙信は、やがて豪雨となると見るや、
総攻撃を命じ、信長軍は、たちまち千人あまりの戦死者を出して敗走した。

それまで無敵の信長も、雨に脆い火縄銃の弱点を衝かれたのである。

謙信の見事な作戦勝ち。。。知将と言われるゆえんであろう。

戦いに、兵力も、武器も、食料も、十分持っての戦いはないだろう。
あれも足らないし、これもない。
寝ても覚めても、困った困ったと苦しい展開になるものだ。
しかし、その限られた中で、いかに勝利するか。

そこに作戦あり、戦術あり、戦略が生まれてくる。

素晴らしい発想も悩みから生まれ、苦しみこそ勝利を生む出す母、と教えられる。
法の戦いも、いつもここだなあ、と。。。
ひるまず光に向かって進みたいものだ☆

思いが動く、こんな時

2009-12-05 10:05:09 | 文学・歴史
「よ~し、オレ一人でも世の中、変えてみせるぞ!」
「どうやって?」
「・・・」。

正確ではないが、ラジオでこんなCMが流れてきた。
何の宣伝だったか。。。

「一人で、世界を変えてみせる」

若い時、こんな大志があっても、それを持ち続ける力のある人は稀だろう。

うっかり口に出そうものなら、「できっこないよ、誇大妄想だ」なんて冒頭のCMに
漂うような空気になるのが、関の山。

しかし、できないことではないと思う。

『その時歴史が動いた』という番組もある。
「歴史が動いた」とは「世の中が変わった」とも言えるが、何も勝手に歴史が動いたり、
世の中変わったのではない。

動かす「人」がいた、ということ。
そして、それは「誰」か、その時は「いつ」か、に焦点を当て、歴史が動いたカギに
迫っている。

信長であったり、秀吉であったり、家康であったり・・・。

今度の大河ドラマの坂本竜馬などは、明治維新という劇的に時代を変えた人物の一人
だろう。

歴史に名を残す人物は多かれ、少なかれ、その時、確かに歴史の変革を担った人、
世の中を変えた人だと言えると思う。

だから、「一人で、世界を変える」なんて大言壮語も、まんざら不可能ではない。。。

問題は、「どうやって」変えるか、ではなく「どこへ向かって」変えるのか、という目的。

ところが、冒頭のラジオのCMは、それがすっぽり抜けて、「どうやって」、「どうすれば」
という手段が、まず問題になっている。

目的が大事なことは、誰もがわかる。
だが、ラジオに流れるようなシナリオでさえ、目的が分からぬ曖昧さに対し、誰も気に
ならないようだ。

たとえ、目的を持ってそれを果たし、歴史に名を残した人だとして、多くの彼らが残して
いったものは何だろう。。。

車を走らせながら、こんなとりとめない思いがとどまらず、心がせかせか忙しい☆

あくなき向上のめざす先

2009-12-02 08:01:24 | 文学・歴史
世界的な不況下にかかわらず、過去最高益を更新する「ユニクロ」。

その強さの理由を示した、会長兼社長の柳井正氏の新著が
『成功は一日で捨て去れ』である。

2020年には売上高5兆円という大目標を掲げ、世界で一番、革新的かつ効率的企業
めざして驀進中。
この時期、25周年を祝って、10億円の感謝・還元セールを行っている。

これまでも、数々の危機を乗り越え、一人勝ちの成功体験は、幾度としれないはずなのに。
それを、「一日で捨て去れ」とは・・・。

いくら成功した、と喜んでもその時のもの。
経済、流行、消費者のニーズなど周りの環境は、刻一刻と変わっている。

成功に安住し、とりあえず売れる商品、安易な目先の結果に固執すれば、やがて衰退に
向かうだけだろう。

と言っても、「成功」の味をしめれば、誰でも、柳の下に二匹目のどじょうを探しがち。
そうして勝利のパターンを掴みたいのが、本音だろう。

ところが、日露戦争の大成功が、無謀な太平洋戦争に突入し、敗戦の悲劇をもたらした
とも言われるように、成功体験は、「慢心」を生む。
これが、一番恐ろしい。
自惚れは、現状に甘んじ、向上とならない。

『成功は一日で捨て去れ』とは、つまり「慢心は捨て去れ」か、「慢性は捨て去れ」なのか。。。

少なくとも、現状に甘んじては、大きな結果は得られないということだろう。

電話座談会も回を重ねるにつれ、映像、音声ともに格段に素晴らしい環境となっている。

それも、わずか1ヶ月余りで・・。
日々の猛烈な努力向上なくしてできないこと。

親鸞学徒は、どこへ向かって生きるのか、本当の幸せを知っている。
その目的達成に向かって、より良い環境をと示されれば、爆発的エネルギーでぐんぐん進む。。。

何もかも恵まれた今、どれほどの覚悟で、臨んでいるだろう。
「甘え」を捨て去り、後退を許さず、日々、光に向かって前進あるのみ。
そう、負けてはおれないのである☆

「ベルリンの壁」を越えるもの

2009-11-10 07:02:33 | 文学・歴史
ベルリンの壁が崩壊したのは、今からちょうど20年前。

1989年11月10日未明、長く続いた東西を阻むベルリンの壁を、市民が破壊する姿は、
遠く異国のテレビで見ても、衝撃的なものだった。

なぜなら、冷戦、越えられないもの、決して崩れないものとして、地域と国民を分断する
象徴が、「ベルリンの壁」だったから・・・。
その「壁」の市民による崩壊は、世界をあっと驚かせ、歴史を変えたと言えるだろう。

東ドイツ市民は歓喜の中、大量に西ベルリンに雪崩れ込み、待ち受ける西ベルリンの
市民と、ゲート付近で抱き合ったり、踊ったり・・・。
大歓迎の大騒ぎは三日三晩続く。

ところが、今のドイツでは、15%もの人が「ベルリンの壁の復活を望んでいる」そうだ。

旧東ドイツでは、自由経済下での経済格差と、失業者の増加に苦しみ、旧西ドイツでは
旧東ドイツへの投資コストなどが足かせとなって景気の低迷を招いたと言う。

つまり、双方に「壁があった時代の方がよかった」と考える人が少なくないということだ。

「こんなはずじゃなかった」・・・。

どんな「歓喜」や「感動」も、「ため息」や「後悔」に変わることがある。
このような歴史的事件にしてしかり。

我が人生、「あの時代がよかった」という回顧が、誰しもあるから、
「ノスタルジック・フューチャー(懐かしい未来)」という言葉もあるのだろう。
つまり、未来は、懐かしく美しい過去にあるという・・・。

昭和は、物は無くても、ベビーブームで、未来に希望が持てた時代だった。
それを懐しみ、美しく感じる人たちは、確かに多くいるに違いない。

しかし、どんな過去の思い出も、生きる力にならないことも知っている。

老い先、何を力に、どんな未来に向かって進めば、「こんなはずじゃなかった」と後悔せずに
済むのだろう。

全人類に大きく立ちはだかる、「何のために生きるのか」。

歴代の哲学者も、思想家も、なかなか越えられぬ、手ごわい「壁」。

だが、それを教えた仏法に聞けば、長年の「なぜ生きる」の「壁」は崩壊し、生きる歓喜に
心は躍り、幸せな未来に向かって確かな一歩を踏み出すことができるのだ。

すべての国や人種、老若男女共に、「心の壁」隔てなく、仏縁あれかしとつくづく願わずに
おれない☆

徳ある人に・・・

2009-10-11 06:32:31 | 文学・歴史
戦後、旧ソ連で抑留された元日本兵の話。
先日テレビで放映されていた。

マイナス何十度という、想像を超えた極寒のシベリアで、ろくな食べ物も与えられず、
日夜労働の日が続く。
あまりの苦しさに逃亡をはかり、銃殺される者、朝になると飢えと寒さで息絶える者・・・。
60キロの体重が40キロになり、生き残った日本兵も、半数になったと言う。

果てしない絶望に続く極限状態では、自分のことしか考えられない我利我利の本性が、
むき出しになるもの。
その中、配給のわずかなパンを仲間に分け、周囲を思いやり、励ます元少尉がいた。

ある日、マイナス39度の中、強制労働を課せられる。
衰弱しきった体にこれでは、みな死んでしまう。
限界を感じた元少尉は、叫んだ。
「今日は作業中止だ。みな、凍傷にならぬよう集まれ」。

何事かと駆けつけ、銃を構えるソ連兵。
反抗すれば、その場で銃殺されるのが、常だった。
銃を前に、彼は盾となって言い放つ。
「撃つなら撃て。お前たちに、我々の心はわかるまい。私の使命は、みんなを日本に
帰すことだ!」

そう、日本は負けはしたが、日本の魂まで屈したのではなかった。
極限下で身をていして仲間の命を救った崇高な姿・・・。
直後、彼は連行され、消息を絶った。

半年後、帰国した元日本兵は命の恩人である彼の消息を追う。
が、氏名も分からず、手がかりはない。
60年の時は過ぎ、最後の手段にかけた、新聞投稿。
それがきっかけで、なんと80の齢を過ぎて、奇跡的な再会を果たすのだ。

一途な思いは、こんな展開を生むのだろう。
まさしく感動のシーンだった。

元少尉の言動もさることながら、元日本兵の受けた恩を胸に、長きに渡る深い思慕の情に、
心打たれずにおれない。

幾年経ても、忘れられない人がいる。
会えるなら、会ってそばにいきたい。
そんな思いを抱かせる人があれば幸せだし、慕われる人は、まさしく徳の有る人なのだろう。

ある国の王様が亡くなった時、皆から人望があった臣下が「私がひきうけるべきでない」
と跡継ぎに譲り、人のいないところへ逃げたと言う。
すると、人々はその人を慕って集まり、そこに都ができた。

「住めば都」というのは徳のある人のところへ、みんなが集まって都になるという意味なのだ
そうだ。

大事なのは、徳のつながり。つくづく顧みて知らされる。
人生の師に巡りあい、慕う同志に恵まれた身の幸を、しみじみ感謝せずにおれない☆

人と生まれし以上・・・

2009-10-03 07:25:14 | 文学・歴史
嘉納治五郎は、講道館柔道の創始者であり、明治から昭和にかけてスポーツや教育分野の発展に
尽力し、オリンピック初参加を成功に導いた。

その彼に大きな影響を及ぼしたのが、母親の教えと言う。

嘉納家は、兵庫県御影村で、屈指の名家であった。
祖父は酒造・廻船にて甚だ高名があり、使用人が幾人も出入りし、その子供達も屋敷で、治五郎と
一緒に遊んでいたらしい。

おやつの時間になると、母親が、集まってきた子供達に、順番に菓子を与える。
渡す最後は、いつも自分の子である、治五郎だった。
時には、おやつの数が足りなくて、もらえなかったこともあると言う。

その母が、治五郎によく言い聞かせた言葉がある。
「人として生まれた以上、人のために尽くすことを忘れてはなりませんよ」。

幼い治五郎の胸に、母の言葉が深く刻まれたことは、想像に難くない。

「人の為に尽くす・・・」。
なんて奥ゆかしい、誇り高い精神だろう。

自分さえ良ければ、人のことなんて、どうでもいい。
今は、こんな風潮が、残念だが、ある。

子供の頃から、競争社会。勝つためには、他人のことなど構っておれぬ。
人より勝れば褒められて、人の上に立つことが喜びで、自分の利益となれば、目の色変えて
力を尽くす。
そうして、出世街道をひた走る子に、目を細める親はあっても、我が子は常に他人の子より
後回し、身をもって人に尽くす大切さを教える親は、どれほどいるだろう。

治五郎は、柔道の基本理念を「精力善用」「自他共栄」とした。
単なる勝利至上主義ではなく、共に高め合う精神鍛錬を目的としている。
彼はこの理念で教育者としても、多くの人材を育てた。

相手の立場を理解しようとせず、己だけを主張する我利我利亡者の未来は、暗黒の地獄と
教えられる。

「情けは他人のためならず」
親切は決して他人のためではない。
相手も生かし己も生きる、光に向かう自利利他の大道を、人と生まれし限り、誇りを持って
努力して進みたい☆