じゅんこの部屋 

自分探しから始まった幸せへの道・・いくつになっても旬な女性で生きるカギ☆

海より深きもの

2012-06-05 12:24:20 | 芸能
昭和を代表する文豪・井上靖の自叙伝的小説を映画化した『わが母の記』から。。。

小説家の伊上洪作は、幼少期に兄妹の中で一人だけ両親と離れて育てられた。

母・八重に捨てられたという思いを抱きながら生きてきた洪作。
やがて認知証になり、自分の息子であることもわからなくなった八重の面倒をみることに。。。
洪作は、それまで距離をおいてきた母と初めて「対決」する。

「おばあちゃんは、息子さんを、郷里に置き去りにしたんですよね?」
「息子の気持ちなんか一切考えず」。。。

その時、母は次第に失われてゆく記憶の中で、唯一消されることのなかった詩を朗読する。

「太平洋、地中海、日本海、喜望峰・・・だけど、ぼくの一番好きなのは、地球のどこにも
ない小さな新しい海峡。おかあさんと渡る海峡」。。。

そして、母はずっと大事に持っていた巾着袋から小さな紙切れを取り出し、皺を丁寧に伸ばす
のだった。
それは、11歳の洪作が、孤独の中で校庭の遊動円木に乗って書いた詩だったのである。

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ギャンブル依存症の女性専門回復施設を開設した田上啓子さんは、かつては自身も依存に苦しみ、
10年間で2000万ほどつぎ込んだという。

家庭もうまくいかず、身も心もぼろぼろで、母に金を無心した。
その時、母は娘を1時間以上も羽交い絞めにし、こう言ったという。

「この命に代えてもお前を生かす」。。。

それからパチンコ店に入るとその母の顔と言葉が浮かび、依存症から脱したそうだ。

離れても、近くても、老いて恍惚となったとしても。。。
最後まで、母とはそういうものなのだろう☆
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人間関係の物差し

2011-05-14 08:49:26 | 芸能
俳優、森繁久彌氏が、舞台で演じていた時、最前列で、終始うつむいている女性がいる。

観劇に来ながら居眠りをしている、とピンと来た氏は、内心穏やかならず、舞台上で演技に
かこつけてドンドンと地を鳴らし、起こそうとした。

ところがその少女は、全盲だった。
演劇が始まってから終わるまで、全神経をそばだてて、一生懸命演技者の声を拾っていたの
である。

それを後に知った氏は、おおいに恥じ、慚愧に涙せずにおれなかったと言われている。

誰でも思い込みや間違いはある。
大事なことは、それをいかに受け止めて、次に生かすかということ。

森繁久彌が、96歳の長寿を全うした後も、多くの人達に慕われたのは、その自分よがりでない
演技力、相手の立場を思いやる人柄ではなかったろうか。

あの人は善い人、悪い人、と人が集まれば話が出るものだが、その判断基準の多くは、話し手
自身の都合によるもの。

言われた側からすれば、相応の言い分があるに違いない。

だから、どうしても安易に同調できないでいるし、他人のことを言うときは、つい悪く言ってしまい
がちだから、自戒するところでもある。

「ウンウン」と意見を受け入れれば、相手を満足させ、抱える苦しみも軽くなるのだろうが、独り
よがりな思いで悩んでいる人には、あえて、こんな見方もあるのだよ、と勇気を持って異にする
見解を示すことも必要でなかろうか。

そう、大事な人であるならば。。。

人間関係ほど、微妙で複雑、難しいものはない、と知らされる日々である☆
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ヨンさまの微笑み

2009-11-04 07:31:34 | 芸能
昨日は文化の日。
文化の発展に貢献したとされる人々に、文化勲章が授与された。

お隣の韓国にも、文化功労賞があるそうだ。
あのペ・ヨンジュンも、授賞した一人。

いわゆるヨンさま。
最近も、『冬のソナタ』がアニメ化され、話題となっているが、今も韓流スターのトップと
言ってよいだろう。
日本だけでなく、韓流を通し韓国文化を世界に広めた功労が認められたようだ。

財も名誉も手に入れたヨン様だが、更なる望みは?と記者に聞かれ、こう答えたと言う。

「必要なのは妻、無いのは自由」

37歳ともなれば、心やすらぐ伴侶を求めて当たり前・・・。
が、これだけ有名人となれば、かえって出会いのチャンスは少なくなるのだろう。
「ヨン様のお通り」ともなれば、寄る人波で、うかつに出かけることもままならぬ。
衆人環視で、どんな時もファンを裏切らない人知れぬ不自由さが、きっとあるに違いない。

あの微笑みに隠された足りないものを思う時、幸福と呼べるものは一体何なのだろう、と
つい思ってしまうのである。

妻を得て、自由を失ったと嘆く夫。
自由謳歌の独身生活も、いつしかわびしさが募ってくる。
一家団欒の楽しみも、不況や事故、不測の災害で暗雲立ち込める家庭のいかに多いこと
だろう。

一生涯、不足を埋め、不安を解消することに没頭し、あっと言う間に死んでいく。

こんな人生、何なのか・・・。

答えを求め、深い思索に沈む人、あれば、人生の行く末に思いを馳せ、どうか気づいて
ほしいもの。

どんなに金や財産、名誉や地位、家族や趣味に恵まれても、死ぬ時は、すべてが輝きを
失い、一切が離れていくことを・・・。
必死に求め、手に入れたすべては、間違いなかったと言えるのか・・・。

死ぬ時にも後悔しない、真の目的とは、何だろう。

それを教えられたのが仏教である。
何を得ても、どこまでいっても足りない不安な人生が、何が無くても、大安心、大満足の
身になれるのだ。

空虚で寂しい人生が、よくぞ生まれたきたものぞと、にぎやかで楽しい人生となる。

世界に誇る歎異抄には、すべての人が求める究極の幸せ、人生の目的は「無碍の一道」
と示される。

ヨンさまのように、地位や名誉を持つ人や、妻や自由を持たない人、誰もが感じる、どこか
足りない心の隙間も、きっとそこに向かってあるのだろう☆
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「ブタがいた教室」より・・・

2009-10-07 06:17:42 | 芸能
4月。6年2組の担任となった熱血新米教師の星先生は、
「卒業までの1年間でブタを飼育し、最後にはみんなで食べたいと思います」と大胆な
授業を提案する。

生徒達に生き物の命と、それを食べて生きる人間の姿を通し、命の大切さを実感させる
のがねらい。

子どもたちはブタをPちゃんと名付け、掃除、エサやリなど慣れない作業に奮闘しながら、
クラスの仲間として慈しんでいく。

やがて卒業を迎える頃、教室では、手塩にかけて育てたPちゃんを「食べる」「食べない」で
大論争が巻き起こる・・・。

昨年暮れにヒットした映画「ブタがいた教室」。
原作は、大阪の小学校での実話である。

映画では、あえて子役のセリフは用意せず、子供達が真剣に考えたことを、自分の言葉で
激論させた。
時にボロボロ涙をこぼしながら、発言する彼らの姿に、心打たれた大人も多かったようだ。

子供達は1頭のブタをめぐり、生きるとは、他の生き物の命を奪うことと学んでいく・・・。

この試みを、「残酷」という見方もある。
しかし、家畜のブタなら、殺して食しても平気、ペットのブタならどうも、となれば、やはり
矛盾と言わねばならないだろう。

命に、差別はないからである。

テレビでは、畜産家が、丁寧に育てた家畜の肉を、特選素材とする料理番組が盛んである。

それを「残酷だから、やめろ」と抗議する人はどれだけいるだろう。
見て楽しむ心あれば、自分も殺生を肯定しているということだ。

豪華な毛皮を着て、捕鯨に反対したり、人間のすることは、何もかもご都合主義なのに、
こんな矛盾を、自分の中には感じない。

虫も殺さぬ顔をして、蚊や、ゴキブリを殺している。
日々殺生を繰り返し、その命を糧とせねば、生きておれないのが私。
しかもそれを悪と自覚できないほど、麻痺した心の迷いはどこまでも深い。

仏教では、こんな尋常でない矛盾した人間の姿をすっぱ抜かれ、どんな極悪も救われる、
唯一つの道を示されている。

矛盾を矛盾と知れば、いつかその苦しみの解決を求めるきっかけにもなるだろう。
すべての人に仏縁あれかしと願うばかりである☆
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死の床で問う「なぜ生きる」

2009-08-30 07:05:24 | 芸能
15歳で脳腫瘍を発病、23歳で亡くなった川上浩輔さんの闘病実話をもとにした。
24時間テレビスペシャルドラマ。

進学校に合格し、将来を見据えて東大に進むことを夢見ていた彼は、突然の頭痛に襲われ、
長い闘病生活が始まる。

同じ年頃の子供を持つ身にとって、本人や家族の悲しみ、苦しみはいかに深いものであったか、
想像を絶する辛い日々であっただろう。

時に自暴自棄になる中で、必死に家族に訴える。
「何で自分だけが」
「こんなに苦しいのに、なぜ生きなければならないの?」
「何のために生まれてきたの?」

親子で向き合った真摯な問題。
しばらくの期間、考えていた母は言う。
「一人一人が考えなければならないことだと思う」・・・。

死の床で、子供からこんな最後の問いを受けたら、親は何と答えるだろう。
どんなに誠実に、真剣に考えても、この母親のように答えるのが、精一杯でなかろうか。

そう、これは、一人一人が向き合って、考えねばならない一番大切な問題であるに違いない。
しかし、問われているのは、「苦しくてもなぜ生きる」の解答は何か、である。

100%確実に、しかも突然やってくる死の現実を見れば、どんな人も避けられない、
考えねばならぬ大問題。

ただ、誰もが死を遠くに見ているから、素通りしているだけ、気づかないだけなのである。

ドイツの哲学者ハイデガーは、死を直視した上で「自分が今、何をなすべきか」を決断することを
「死への先駆的決意」と呼び、これによって「本当の自分」を取り戻し、人間本来の生き方ができる
と説いた。

迫りくる死と対峙してこそ、何が大事で、何が大事でないのか、「自分が今、何をなすべきか」、
ほとんどの人が、臨終まで気づかない最も大事なことが、見えてくる。

政治や経済で教えない、医学でもわからない、哲学にさえ見出せない、迫り来る死を前に、誰もが
一番聞きたい「なぜ生きる」。
その解答が、あきらかに示されているのが仏法なのである☆
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接遇「4つの配り」の元

2009-08-17 22:36:04 | 芸能
身のこなしはしとやかだが、何だか信念があって恐そうで、外見もきりっと決めた女性が、
あるテレビ番組で、接遇の講義をしていた。

接遇とは、接客業務時における客に対する接客スキルのこと。

年を聞かれると、それは秘密、言えないらしい。
年齢不詳だが、そんなこと関係なく輝く世代の平林都さん。

研修を受けた企業は、100%売り上げアップするそうだ。

いくら品物が良くても、接遇が悪ければ、客は来ない。
客が来なければ、物は売れない。
商品はもちろん大事だが、客に対する売り手の接し方で、売り上げが変わる。

確かに、どんな店に足しげく運ぶか、イメージしてみればその通り。

テレビの平林都さんから聞いたことではないが、接遇改善活動のための基本講義の中では、
4つの配りが大切と教えられている。

4つの配りとは、見えるところに目を配り、見えないところに気を配り、お客の心情を察して
心を配り、お客の欲しいもの、あるいは欲しい事をタイミング良く差し出す、手の配り・・・。
この4つを言うそうだ。

これらは、マニュアルではわからない、生身の人間に、真心こめて接する実地の経験を通して
身につくもの。

先のテレビ番組で、司会のタモリが、「役者が芝居をするように、役に成りきればいいのでは」
などと言っていたが、そもそも台本なしで、演じられる役ではないのである。

爽やかな空気のように意識を配る接遇は、常に相手の立場を察して、相手を生かす普段の
心がけなくして、できるものではないし、身につくものでもない。
相手に伝わるような表現力も大切だ。

言うことはできても、やらねば何も身につかぬ。
だから、とにかくやってみよう。
基本は挨拶。
相手の心を開き、和ませ、笑顔で元気になる挨拶を・・・。

どれだけ気持ちが届いたかは、相手の反応でわかるもの。
「呼べば呼ぶ 呼ばねば呼ばぬ 山彦ぞ まず笑顔せよ みな笑顔する」☆
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当世に見る孤独事情

2009-08-13 07:15:54 | 芸能
矢沢永吉がラジオのトーク番組で言っていた。

マイケル・ジャクソンのこと。
「辛かったろうなあ。寂しかったろうなあ。誰か一人でも、わかってくれる人が身近にいれば・・・」。

あれだけメガになると、感覚がおかしくなって当たり前、と言う。
親身になって近づける人もいない。

ビッグな永ちゃんだから、説得力がある。
スターとなれば、周囲にチヤホヤされ、たいそうにぎやかに思われるが、やはり変わらぬ孤独の人、
ということか・・・。

落差がある分、余計、「一人」は身に沁みる。
そんな胸中は、誰でもわかるものでないから、なお孤独感は深刻になるのだろう。

酒井法子が覚せい剤所持容疑で逮捕された。
日本だけでなく、海外でも人気。夫も子供もいて、年齢もアラフォーで、公私ともに充実したとき・・・。
なのになぜ?

押尾学が逮捕されたあとだけに、華々しい芸能界の裏を垣間見るような思いがするのは、私だけでは
ないだろう。

大原麗子の孤独死も耳新しい・・・。
高校時代、バドミントン仲間だった一人は、彼女に似ていて、人気だった。
かわいく清楚な美人は、見る人を振り返らせる。
美しい人はなんて得なんだ、と当時、うらやましく思ったものだ。

容姿に恵まれた人気女優は、女性の憧れと言えるだろうが、当人は、人知れず苦しんでいたらしい。
一生涯、人生という大舞台で、幸せな理想の人を演じ切るのは、無理というもの。
役を降りれば、ただの人間、変わらぬ苦悩の人だったと言うことなのだろう。

人気が有っても無くても、物が有っても無くても、孤独や苦しみは変わらない。

どうすればこの心、癒せるのか。夢中になればなるほど、突っ走れば突っ走るほど、そのあとの虚しさ
淋しさは、筆舌に尽くしがたいものである。
酒や何かでごまかし、我を忘れなければ耐えられない・・・。
こんな思い、わからない人はいないと思う。

酒が飲めなくても、飲まなくても、周囲に人がいようが、独りでも、にぎやかで明るく楽しい幸せがある。
「無碍の一道」とその世界をあきらかにされた世界の光、親鸞聖人の教えに、誰もが、その行き詰まった
寂しい心の解決を求めてほしい。当世の孤独事情を見るにつけ、そう切に願わずにおれないのである☆
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『シンドラー』の命の根拠

2009-08-05 06:30:14 | 芸能
『シンドラーのリスト』という映画がある。
監督は有名なスティーヴン・スピルバーグ。

1939年、ポーランド南部の都市にドイツ軍が侵攻した。
そこにやってきたドイツ人実業家のオスカー・シンドラーは、何の罪もないユダヤ人達がナチスによって
大量虐殺されている様子を見る。
何とか助けたいと彼は、ナチスから守る為に私設収容所を作り、ユダヤ人労働者を雇うのだった・・・。

アカデミー賞で作品賞を含む7部門に輝いた名作。
実話を基にして作られた。
ユダヤ人達に囲まれながら、ラストシーンのシンドラーのセリフ。
「・・もしこの車を売っていたら、あと10人は救えたかもしれない・・この金のバッジを売っていたら、
あと2人救えたかもしれない。いや、あと1人でもいい・・・人間一人だぞ・・あともう一人救えたかも
しれなかったのに・・・」

彼は、1100人のユダヤ人を救ったと言われる。

「東洋のシンドラー」と言われるのが、外交官だった杉原千畝。
同時期の第二次世界大戦中、外務省の命令に反してユダヤ人が亡命できるようビザを発給。
約6,000人のユダヤ人を救った。

当時、リトアニアに赴任していた彼は、ソ連政府や本国から再三の退去命令を受けながらも、
ベルリンへ旅立つ1か月余りビザを書き続け、その数、数千枚にものぼると言われる。

途中ビザに貼り付ける印紙が無くなってしまったため、職権により「出国のための領事特別許可証」の
発行を行い、更に多くのユダヤ人を出国させた。
それは、ベルリン行き列車の出発寸前の駅のホームでも続けられたと言う。

この1枚が、人間一人の命を救うという「人間一人だぞ」のシンドラーに通じる気持ちがあったのだろう。

お釈迦様は、「天上天下 唯我独尊」と説かれている。
人間には、果たすべきたった一つの尊い目的がある。
生きる目的が尊いからこそ、人間一人一人の命が限りなく地球より重いのだと・・・。

人生の目的を仏教に知らされるほど、「人間一人」の生命の尊厳さが実感として迫ってくる。

今も世界で起きる悲劇が救われる道は、「なぜ生きる」の尊い根拠が示されてこそ・・・。
知らされた者として、そこに向かって一人一人の胸に届けたい・・
尊い使命に生きたいと思う☆
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羽生名人に見る必要なもの

2009-07-20 06:37:23 | 芸能
羽生善治。もとより将棋棋士。通算タイトル獲得数は、大山康晴に次いで歴代2位。
全7タイトル戦のうち6つで永世称号の資格を保持し、将棋史上最強格の棋士の一人に挙げられる。

今まで対戦したすべての対局を覚えているそうだ。
天才、とはこのような人を言うのだろう。

その彼が、今年4月の名人戦で対局中、観戦記者から、扇子へのサインを求められるという珍事があった。

真剣勝負の中、どんな厳しい態度を取っても当然のところ、彼は依頼に応じ、扇子にサインをした。

後で「驚きましたが、10~15秒で済むことでしたから」・・・。

これは、余程、余裕がないとできない言動である。が、大人物には欠かせない要素、と教えられる。

宮本武蔵がスキだらけの構えで敵に臨んだ、剣法の極意にあるように、相手を知り、己を知る人が、余裕を持ち、
スキを作ることができると言う。

気を張り詰めて、スキの見られない人は、息が詰まるようで、なかなかうちとけられないもの。

最強、天才と言われ、一見近寄りがたいイメージがありながら、羽生氏に魅力を感じるのは、こんなところから
くるのだろう。

小学生の頃からのライバルであった森内俊之は、
「羽生の凄さは、周りのレベルも上げつつ、自分のレベルも上げるところにある。勝負の世界にいながら、
周りとの差を広げることだけにこだわっていない。」と語り、称讃している。

その森内との昨年第66期名人戦第3局では、誰もが森内の勝ちと判断して検討を打ち切った後、羽生は敗勢から
驚異的な粘りを見せて、最後の最後で森内のミスを誘い、大逆転勝利を挙げた。

その時のことを、「ずっと不利を感じて気持ちが萎えていたが、ひたすら最善手を続けた結果が、勝利を引き寄せた
のではないか」と語っている。

その凄まじさは「50年に1度の大逆転」と言われるそうだ。

ぴんと張り詰めた糸は切れる。
しなやかだが、弾力性のある糸は強い。

苦しみにあった時、いったん深呼吸して離れて見る余裕を持ってみる。
そして、最後まであきらめず、ひたすら最善を尽くす。

どんなに行く手に難があっても、明るい未来を見失うことなく、心して歩んでゆきたいと思う☆
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自称「浜崎あゆみ」の皆様へ

2009-07-11 07:03:42 | 芸能
おとといだったか、テレビの前の次女が、パソコンに向かっている私に「ちょっと来て!」と叫ぶ。

何事かと、駆けつけると、テレビの中に、50歳の自称「浜崎あゆみ」が立っていた。
足もスラリ、赤のミニドレスも艶やかに、「あゆで~す」・・・。

娘が、驚くのも無理はない。
が、なぜ、この場面で、私を呼びつけるのだ?

人生50年の時代なら、このような人の出現は考えられなかった。

私の子供の頃は、60歳と聞けば、腰の曲がったおばあさんを想像した。
まさか「50のあゆ」が出てくるなんて、誰も予想できなかった時代が、ついこの間まであったのである。

ところが、最近、自称「永遠の乙女」が結構いる。

広告チラシにも、実年齢50歳や、60、70の人が、○○化粧品やら、○○美容、サプリなどを試して、
20歳は若返った姿が溢れている。

美と若さを求める女性の究極の願いが、かないつつある世の中になってきたのだろう。

近未来、死ぬ直前まで、その姿、顔形は衰えないでそのまま年を取っていく、というスグレモノが、
開発されるに違いない。

シワなし、シミなし、白髪なし、「ノースリーS」。
なんて、我ながらシャレたキャッチコピーではないか。

しかし、どんなに努力しても、「死なない」わけには、いかない。
「死」を加えた「ノーフォーS」にはならないのである。

たとえ「永遠のあゆ」の姿で死ねたとしても、その先、「魂」は、どこへいって、どうなるのだろう。
これが、わからねば、本当の満足はなく、不安は拭えないのでなかろうか。

死んだ後、どうなるかわからない、この不安な暗い心を解決し、生命の大歓喜を得て、未来永遠の幸福に
生かされる教えが仏法である。

老醜を避けることはできても、死を避けることはできない。
100%確実にやってくる現実から目を背けていては、いつまでたっても本当の安心、満足は得られないだろう。

永遠の美と若さを求め続ける、元気でステキな中年熟年女性に会うたび、伝えたい。

人生の曲がり角に立ち、今度こそ本当の幸せに向かって舵を切り、真に美しく生きる「50の船出」を共に
しようではありませんか・・・。
テレビを前に、つい手を差し伸べずにおれなかった次第である☆
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