働く主婦のじゅんこです 

自分探しから始まった幸せへの道・・いくつになっても旬な女性で生きるカギ☆

善人の言葉

2010-01-16 23:16:57 | 政治・経済
「皆さんに、若干のおわびを申し上げなければならない」。
自らの政治資金問題について、小沢幹事長がこう「陳謝」したそうだ。

「お詫びしなければならない」という言葉が、「陳謝」になるのかどうか。

「せねばならぬ」という言い方からは、自分が悪いという気持ちは伝わってこない。
正義が悪者にされて、なぜ謝らねばならんのだ、という抗議と憤懣を感じてしまう。

だから「若干のおわび」を「しなければならない」と声を張り上げられると、ますます
引いていくのである。

どうも、言語と認識の間にズレのある人は多いようである。

「違法性の認識は私にはございません」。
母親から巨額の資金をもらって、すんなり述べた人もいる。

自分に不利な事実は、事実無根と認識してしまうようだ。

本人は、心のままを言っているから偽りはない、と思っているのだろう。

だから、こんな人ほど、「間違いない」とか、「本当に」とか「私を信じて」と主張して、
その矛盾や欺瞞を指摘されると、驚くほど憤慨してくるのである。

自分の言ってることは正しいと思い込んでいる人は、結構多い。

「同情するなら金をくれ」
かつてこのセリフでヒットしたドラマがある。

どんなに同情して優しい言葉をかけたところで、「その同情心を金で示せ」と迫られたら、
どれだけ金を渡せる人がいるだろう。
言葉と裏腹の本音が、やってみてこそ知らされる。

善を実地にやらねば、汚い本音にかすりもせず、いつまでたっても、その場限りの善人様
で、一生世渡りにあくせくして終わるだろう。

実地に光に向かう悪人が、本当の幸せに近いことと知らされる☆

積雪の熱いドライブ

2010-01-14 21:27:22 | 家族
大雪のため、いつもは、自転車通学の息子を、車に乗せる日が続いている。
これで、遅刻はなんとか食い止められるが、朝の準備に除雪が加わり、いつもに比べ、何かと
あわただしい。

時間に追われ、勢い増して動き回る母をリスとすれば、息子は冬眠から醒めた熊である。

「急げ~」と叫びたくなるのをこらえて、車に乗せる。
なにしろ、学校までの通学時間が、法施の貴重なひとときなのだ。

意外に静かな母の対処と送迎の引け目で、いつもより素直な息子に話をするのは、まず因果の
道理から。。。

「全国制覇するようなサッカーや野球の強いチームは、日常生活から規則正しく、礼儀もキチンと
してるんだよ。勝ち負けと良い習慣は、深い関係があるんだよ」。

「善因善果 自因自果。良い生活習慣も勝負のうちなんだからね」。

息子は、昨年も大事な試合の前日に、ジンマシンで、体だけでなく唇がタラコのように腫れ上がり、
その容貌にショックを受けて寝込んだことがある。

「規則正しい日常生活してれば、この前みたいに試合に出られないことはないんだよ」。
「悪因悪果 自因自果。何度も痛い目にあってるんだから、わかるでしょ」。

実際、こんな悪い実例には、いとまがないのである。

「善い結果がほしければ、善いタネマキをしないと・・・。わかった?」。。。

黙って殊勝に聞いているかと思いきや、バックミラーに映っているのは、深い眠りについた熊の姿。。。

これを馬耳東風と言うのだろう。

もうすぐ学校。。。

しかし、こんなことで百戦錬磨の母は少しも動じはしないのだ。
息子と二人きりの朝のドライブに、こんな貴重なひと時を、誰が望んでできるだろう。

世間では難儀している大雪も、なかなか寄り付かぬ息子に接する絶好の法施のチャンス。
聞いていないようでも思いは通じ、蒔いたタネは、必ず生える。

いつになるやら分からぬが、ここにもしっかり書いとくよ。
大人になって、「ああ、あの時か」と懐かしく振り返ることもあるだろう。

なにしろ、息子もいよいよこの春には、高校3年生。
どんなにドライブデートを望んでも、あとひと冬なのである☆

教えで世界をリードする

2010-01-12 09:01:34 | 政治・経済
銃を乱射し、あたり構わず撃ち殺し、追い詰められた犯人は自殺する。。。
アメリカでこんな衝撃的な事件が、最近も報道されていた。

超大国であり、世界をリードするアメリカ。。。

しかし、こんな無茶な銃の撃ち合いが、日常あることを見れば、腰に差した刀を振りかざし、
突如として殺人が、理不尽にも行われた、かつての日本の侍時代と、どこが違うのか、と
つい、かぶって想像する。

銃規制が叫ばれる一方、護身用の銃がなかなか手放せない国の事情もあるだろう。
しかし、思いのままに、人殺しの凶器が使える社会というのは、どんなだろう?
武力をもって暴力を制する、これも。。。

先進国と言っても、ずっと未来から、今を眺めると、やはり「野蛮」となるのでなかろうか。

日本はそのアメリカと同盟を結び、経済発展を遂げ、刀や銃を持たずとも平和で安全な国を
築いてきた。

ある意味、文化国家として、一歩リードする自負を持っていいはずだが、なぜか自信喪失し、
元気がないように見えてしまう。

アメリカに次ぐ経済大国であり、少なくともいつ銃を乱射されるか、戦地へ徴兵されるかという
不安はないのに、心安らかでなく、苦しみ悩みが深刻化しているのは、自殺の増加を見ても
明らかである。

こんなに物に恵まれ、平和や利便を享受した国民が、なぜ自信を持てず、幸せになれないの
だろう。
苦悩の原因は、どこにあるのか。。。

オカシイくらい、ここに切り込む識者や学者がいないのだ。
と言うより、切り込みたくても分からない深い大問題。。。

その根本原因を根底から抉り出し、その解決を教えられたのが、仏教なのである。

軍事力で解決しようが、経済力で果たそうが、究極的に、世界が求める目的はこれ一つ。
すべての人が、渇望するのは、苦悩の根元の解決をし、未来永遠の幸福を得ることだから。。。

一人一人が、人生の目的を果たしてこそ、よくぞ人間に生まれたものぞ、と大歓喜に命が輝き、
自殺や人殺しはなくなり、何を持たずとも、究極の自信を持って生きていけるのだ。
真の世界平和も築かれる。。。

だから、それを知らされた日本の親鸞学徒は、教えで世界をリードする、大きな使命があると
思う。
今こそ、平成学徒の心意気ここにあり、と光に向かい、使命に燃えて、努力惜しまず進ませて
頂こう☆

人生に問いを迫られるとき

2010-01-11 07:30:26 | 世事情いろいろ
「ビハーラ僧」とは、末期患者に対する仏教ホスピス、または苦痛緩和と、癒しの支援活動を
する僧侶を言うそうである。

浄土真宗本願寺派による「ビハーラクリニック」なるものもあるらしい。

人生の終末を前にした本人や家族の悩みに、耳を傾けたりするようだが、あるビハーラ僧は
「僧侶としてどう役に立てるかは、まだ見えない」と言っている。

患者の死や家族の悲嘆を受け止められず、うつ状態で離脱した僧もいるそうだ。

こんな記事を読んだ人は、仏教とはなんぞや、とますます頼りなく誤解、曲解するだろう。

それでなくても、仏教と聞けば、念仏称えたら死んだら極楽、死んだら仏。。。
だから、死に際になって聞くのが仏教で、僧侶の務めは、終末医療の一端のように、枕辺に
寄り添い、聞いて語るもの、と世間の人は思ってしまうに違いない。

土曜の夜、テレビでドキュメンタリー「二本の木」が放映されていた。

妻が小細胞がんに、そして7か月後には自分が胃がんを宣告される。
NHKのドキュメンタリー・ディレクターだった小沢爽さんが、妻と互いに存在を確かめ合った、
命と愛の記録。。。

その中で、妻が言う。「大きな生きる目的があれば・・・」。
しかし、それを持たない今、命の灯火が消えるまで、互いのがんを支え合い、共に生きる・・・
大変なことだが、その一途な思いで、いたわりあって過ごす日々が、切々と語られていた。
一部分しか見てないので、あとは分からない。

ただ、このような壮絶な死を待つだけの人達に、「ビハーラ僧」ならどう向き合うのだろう?

「大きな生きる目的があれば」という妻の言葉の裏には「それがわかれば、どんな辛い苦しみ
にも耐えられる」という気持ちが痛いほど伝わってくる。

そう、人は平凡なまどろみが破られ、愕然とさせられた時、「生きる目的は何か」を真剣に問い、
解答を迫らずにおれないのだ。

その真剣な問いに、真剣に答えるのが、僧侶の仕事ではあるまいか。

浄土真宗の開祖、親鸞聖人は、誰もが究極に知りたい、その「なぜ生きる」を、あきらかに教え
られたお方である。

なのに、今日の浄土真宗の「どう役に立てるかは、まだ見えない」と、ぼやいてはばからない
僧の姿に、いかに教えが、蹂躙されているか、悲泣して立ち上がらずにおれない。

昨日も、「なぜ生きる」について詳しく聞かせて頂いた。
「臨終や終末でない、平生元気な時に、無碍の一道、絶対の幸福に生かされる、だから、
どんなに苦しくとも、この目的果たすまで生き抜きなさいよ」とはっきり教えられた親鸞聖人。

この真実知らされた者は、猛烈に伝えずにおれないし、なんとしてもお伝えしなければならない。
懈怠を猛省し、同志とともに奮起したい☆

幻想がユメと散るとき。

2010-01-07 08:46:57 | 政治・経済
小沢一郎幹事長が元旦に、自宅で開いた新年会に、過去最多の166議員が詰め掛けたと言う。
いわゆる「小沢詣で」が過去最多。。。

今夏の参院選での単独過半数獲得に向け「選挙の小沢」として、ますます気合が入ってきた、その
期待値の表れのようでもある。

年始の挨拶に訪れる人の数で、その人のその時の権勢が計れると言ってもいいだろう。

上機嫌で得意満面な姿が目に浮かぶ。。。

しかし、これがいつまでも続かないことは、これまた非情なまでに歴史が証明していることでもある。

かつての総理、田中角栄が住んでいた豪邸は東京の目白台にあり、「目白御殿」と呼ばれていた。
政財界の要人など、出入りする人は引きもきらず「目白詣で」と言われたそうだ。
だが、ロッキード事件や脳梗塞と、権力や名声を失うにつれ、集まる人も潮を引いたように減って
いく。。。

「政治は数であり、数は力、力は金だ」と、金で政治を動かした彼も、最後は金で失脚し、力を失い、
人も離れていった。

あの時、笑顔で握手を求め、好意的に近づいてきた人達は、一体なんだったのか。。。

一人ぼっちの自分と向き合った時、残された何を心に見たのだろう、と想像する。

金や権力に近づき、それらを得るために頭を下げていた人達なのに、自分自身に値があると錯覚して
いた。。。

金や名誉は、人生を華やかに酔わせるが、失えば、たちまち幻想と散り、値のない厳しい裸の実体を
知らされる。

そして、これは大なり小なり、すべての人が、進む終末に必ず向き合う現実なのだ。

不実な金や権力や名声に、幻惑されることなく、真実求めてただひたすら進むのが親鸞学徒。
一時的な幻想を求める人達が、どんなに近づこうと離れようと、それを名誉として、浮かんだり
沈んだりはしない。
親鸞聖人の教えを求める同志は、見聞知の仏様相手だから、名誉とするところが違うのである。

だから、どんな苦難や非難攻撃にあっても、折れず引かず屈せず。。。
無碍の一道に向かってたくましく、転じて一層元気に進まずにおれない☆

真のライバル

2010-01-05 07:35:42 | スポーツ
ある年、同じ市内で、県大会を競っていた2つの中学校のバスケットボールチームがあった。

一方は、大きな選手はいないが、粒ぞろいでスピード感がある。
もう一方は、190センチ以上ある選手が2人いて、高さを生かした武器がある。

双方とも、県で1位を争う強豪だったが、同じ市にあるため、県大会に出場するには、予選で
どちらかが一方を倒さなければならない。
どんなに強くても、勝った方だけに、全国大会への切符が手に入る、過酷な戦いだった。
当然、両校のライバル意識は、相当なものだったと思われる。

ところが、両チーム顧問の先生の話が、実に印象深い。
2人の先生は、同じことを言っていた。

「(自分のチームが県大会に出られなくても)同じ市内のどちらかが勝ち上がって、全国大会に
出場し、よい成績を上げられればいい」。

だから「手の内を隠すことなく、互いに練習試合を重ね、常に切磋琢磨していた」と言う。

「どちらかが予選で敗れても、競い合うことで、全国に通用するチームに成長し、全国大会の
上位入賞に貢献できたら、それで十分!」。。。

なんて潔いスポーツマンシップだろう。

翌年、市の予選で、勝ち抜いた一方のチームは、県大会でも優勝し、全国大会でも勝ち抜いて、
見事、準優勝の栄冠を獲得した。。。

どんな人も、憧れの優勝旗をめざすなら、
「奇襲であれ、何であれ、どんな方法をとっても自分のチームが勝ち上がりたい」と思うもの。
しかし、実際、そうした目先の勝ち負けで得られる満足はどれだけのものだろう。

それに比べ、勝負を超えた広い心で共に向上する、こんな指導を受けた生徒達は、たとえ
予選で負けても、大きな財産を得て、後の生き方にも良い影響を受けるに違いない。。。

切磋琢磨し、互いに向上してこそ、真のライバルであり、そんな友を持てる人は、幸せだと思う。
そこには、互いに敬い、学ぶ謙虚さがある。

恨んだり妬んだり、嫌ってソッポを向くような行為は、傲慢で自分を貶めるだけ。。。
厳に慎みたいものである☆

主婦の笑顔は家庭の光

2010-01-02 07:25:04 | その他
人の第一印象は、見た目9割で決まると言う。

ならば、家庭の第一印象は、主婦の表情でほとんど決まる、と言えないだろうか。

訪問すると、笑顔の主婦、苦虫噛み潰したような主婦、悲しい寂しそうな主婦など、
さまざまな出会いがある。

出てきた人の表情で、家庭が今どんな状況か、大体推察されるものだ。

まして同じ屋根の下で暮らす家族の心が、主婦の表情で大きく左右されるのは、
言を待たないだろう。

「奥さんは、あなたにとってどんな人?」と尋ねられて、
「太陽だ」と臆面もなく答えた人がいる。
「太陽をぱくぱく食べる」とその奥さんが言ったかどうかは別として、当の夫人は
「家ではピエロに徹している」そうである。
楽しい食卓と楽しい会話。。。
夫が、仕事を離れた時間、少しでも楽しく過ごせるように・・・。

どんなに落ち込んでも、そばに妻の笑顔があれば、夫は勇気とやる気を出し、
意欲的に仕事をし、力を発揮してやがて地位や名誉、財を獲ていくだろう。
結果、その幸せは妻にも巡ってくる。

幸せな明るい家庭に、人は惹きつけられるから、人も集まり、家族の絆も、一層
強まり、明るい未来の予感も生まれるだろう。

笑顔というなんの元手もいらない所作で、家庭が明るく幸せになっていく。
反対に、怒りや愚痴が続けば、家族を暗く不安にさせ、人も寄り付かなくなるだろう。

まさに主婦の笑顔の有無が、家庭の明暗を左右するのである。

「主婦の笑顔は家庭の光」。。。
最も、身にこたえる教訓ではある☆

熟慮して断行!

2010-01-01 08:37:40 | スポーツ
一年の計は元旦にあり、と言われる。

心は言動に表れるが、形から心を整えるということもある。

元旦と言っても、昨日の今日で、いつもと変わらない。
が、一年の初めという区切りに、計画を立てれば、心新たに決意も前向きになることも
あるだろう。

どんな手段も、目的に向かえば生かされる。

しかし、年明けてから今年はどうしよう、と言ってるようでは。。。

「夕べに熟慮して、朝に断行」と教えられる。

熟慮に熟慮を重ねた末、こうと決めたら、迷いなく断行することが大切なのだろう。

全日本フィギアスケートで優勝した真央ちゃんだが、金メダル獲得に向けて、どんな
ジャンプをどこで飛ぶか、今後も相当、熟慮の上の構成がなされると思う。

その戦略に沿って、日々辛い練習を重ねていく。。。
ジャンプの失敗も成功も、あらゆる想定下の多くの場数は、本番の瞬時の判断にも
生かされる。

そうした周到な準備と、圧倒的な練習量によって生まれる自信が、わずか数分の本番に、
持てるすべてのジャンプを迷いなく断行する原動力になるのだと思う。

スポーツだけでなく、何事においても然り。

熟慮なしに動けば、準備がないからミスも多発し、目ざす結果も得られない。
熟慮の末の断行には、周到な準備と自信があるから、リスクも少なく、大きな結果が
あらわれる。

人生の目的、ゴールは、はっきり示されている。

そこへ向かって、どれだけ熟慮を重ねても無駄はあるまい。
と言って、頭で考えるだけで、実行に移さなければ、結果は出ない。

しっかりした計画を練り、団結して断行する。
今年は、熟慮とともに錬度を高め、同志と仲良く、光に向かって共に全力で進ませて
頂きたいと願っている☆