働く主婦のじゅんこです 

自分探しから始まった幸せへの道・・いくつになっても旬な女性で生きるカギ☆

「夏の陣」を終えて

2010-09-03 06:40:44 | 友達
今年は歴史的な猛暑と言われる。

どこにいても「暑いですね」が挨拶だ。
これだけ暑いと「夏は嫌い」と言う人が多くなっても頷ける。

かくいう私は、「夏女」。
なぜか、昔から夏が好きである。

学生時代、所属したバドミントン部は、夏休みに小豆島で1週間ほど合宿をするのが恒例だった。
なにしろ体育会だから、夏であろうが猛暑であろうが、厳しさも練習も半端でない。

早朝10キロのランニングに始まり、体育館ではシャトルが風で飛ばないよう密室状態で、ぶっ倒れる
まで羽を打つ。

クーラーなんて無かったから、体感温度は、35度をとうに越えていただろう。
そう、感じとしては、サウナで羽を打っていたようなものである。

合宿前は、ぽっちゃりした面々も、終わる頃には体中の水分や汗が絞られて、目元もパッチリと引き
締まり、小顔になる。
体形もスリムさに増して、筋肉がつくから動きも軽い。

二学期には、日焼けもさることながら、夏の厳しさを乗り越えた自信と、しなやかさで、久しぶりの友と
の再会が楽しみだった。

そう、夏が好きというよりそれを乗り越え、輝いて迎える秋が好き、と言ってもよかったかもしれない。

どちらにしても、夏は、私にとって毎年、活動の季節であるから、この8月も漏れず、多忙を極めた月
だった。

4日間連続のお盆セミナーに、同朋の里F館での宿泊行事。。。

新たな会場の開発の招待勉強会は3度にわたり、地元もあわせると、ほとんど毎日休みなし。
最後の3日連続の上映会は、イス席を追加するほどの盛況だった。

一方、家では活動の合間を縫って、これまた恒例の、年に半期の大掃除。。。
玄関から、押入れ、水回りと普段は手の届かないところも、不要物を出し切って、どこもすっきり
涼しくなった。
ここまですれば、年末の大掃除も楽になる。

更にこのブログの更新も8月は11回。
7月が2回に比べれば、格段に多い。
これは、どうしたことだろう。

まず、自身がもともと夏に強い体質である。

また、いつもはいない長女が、長期の帰省で、公私にわたって随分助けになったことがある。

しかし、何より猛暑に負けず、連日のように光に向かう学徒同志が、日を追うにつれ、たくましく、
どんなに支えて頂いたかしれない。
まさに感謝、感謝の日々だった。

そうして、忙しいほど仕事ができるというこの事実。。。

これを体で知らされた人は、何より大きな財産を得た人と言えるのでなかろうか。
何しろ、平等に与えられた時間を、何倍も取り込め、使えるのだから。。。

9月に入って残暑厳しくとも、夏の疲れなんて言ってはおれぬ。

秋に収穫があるように、「人生の春」に向けての夏の陣、ひとまずこの秋、実りがあるよう、油断
なく進んでいきたい☆

縁が変われば

2010-04-25 07:00:01 | 友達
鼻歌まじりに息子が2階から降りてくる。
朝の5時。。。
県の大会に向かって、浮き立っているのである。

4月に入部した後輩の1年生が、県下で3位に入る実力者。
これで一気にチーム力がアップした。

気をよくした彼は、周囲が受験モードに入る中、6月まで部活に専念すると宣言した。

早朝一人で起床できるのは、「試合に備えて眠ることに集中しているから」と言う。

彼の集中力と、我が道を行く精神力は、幼児期の頃から相変わらず、凄いと思う。
性格や性質は、そうそう変わるものではないのだろう。

この道を志して始めの頃、挫ける失敗を多くした。
「若い時は、出来立ての餅のようなもので、いくらでも変わる。老いていくほど
固い餅になって、なかなか変わらない」。

落ち込んでいる時、かけられたこのお言葉が忘れられない。
その後も失敗するたび思い出し、奮起したもの。
この年になったら、どうだろう。

もう若いとは言えない今、引きずっている悪い癖を知らされるたび、「固い餅」が
我が姿として目に浮かぶ。

努力不足を反省せずにおれないが、人間が変わるということは、実に大変なことで
なかろうか。

ところが、である。
周囲には、還暦過ぎて、輝きを増す年配の人が増えているのである。

先日の学徒懇親会では、70、80歳の人でも、20歳は若く見える人達で溢れていた。
その美しい笑顔と、たくましさ。。。

仏法を求めていくほど、正しく聞いて実践している人は、年齢に関係なく、確かに
変わっていかれるのである。
実際、身近にそんな方は、幾人もいる。
世間にはないこの現象は、凄い教えを聞かせて頂いているからに違いない。

学徒懇親会では、老若男女、誰彼となく、親しく話をさせて頂いた。

天にそびえる富士山のように、地に足をつけ教えに従い、身に徳をつけていかれる
姿は、美しい。。。

中には、「ブログ見てますよ」と声をかけて下さる嬉しい出会いも。。。

つれづれに、思い出されることだけど、懐かしい人達に囲まれて、元気一杯、
努力向上を怠らず、光に向かい、少しでも良くなっていきたいものである☆

迷い道から真の道

2010-03-21 22:46:15 | 友達
  青春時代が 夢なんて
  後からほのぼの 思うもの
  青春時代の 真ん中は
  道に迷っているばかり

昭和51年、「森田公一とトップギャラン」が歌った懐かしいヒット曲。
当時は、まさに青春を謳歌していた高校時代だった。

バドミントンに打ち込み、勉強も友達も音楽も、全部こなしたいとハードな日々を
送っていた。
とにかくじっとしておれなかったし、じっとしていたくなかったのである。

夢に向かって全力疾走、まさに青春ど真ん中。。。

なのに、どうしてだろう。
「道に迷っているばかり」のフレーズが、妙に胸に沁みたものだ。

最近、その懐かしき高校の大先輩から、今春開くクラブ展で、バドミントンクラブを
特集すると連絡があった。

昭和50年代、活躍した選手をたどっていったら、富山のこちらまで行き着いて、便り
を出されたと言う。

進学校ながら、滅多に勝ち抜けなかった近畿大会に、単独で出場した成績を評価
されたようである。

大阪在住の大先輩であるが、半世紀ほど前の中学、高校時代は、なんと富山県の
この近くに住んでおられたことが分かった。

しかも、である。
その方の当時在籍した旧制中学とは、この春、末っ子も通うことになった子供達の
母校となる高校の前身なのだ。

世の中は、広いようで狭いもの。
縁があれば、どこでも結びつくのだろう。

早速、頼まれた当時の情報収集のため、部活仲間にメールをすると、
「ゴメン、忘れちゃった」という返信。。。

「もう30年も前だからね。これから30年も生きられない年齢になってるんだから」。。。
と私。

すかさず、友から「確かに。さすが、説得力あるわ~」。

人生も半ば過ぎてて、いつまでも青春気取りで、道に迷っているわけにいかないん
だよ。。。

今日も、「人間の真の生きる道」を聞かせて頂いた。

何という幸せ者だろう。
仏法に出会ってからは、ゴールのある道に向かって回れ右。。。
1日1日、決勝点に向かって生きる喜びと満足で充実した日々を送ってきた。

つくづく心から感謝して、いまだ迷い道にある周囲の人たちに、精一杯お伝えせずに
おれない。

それには、どうすれば、どうすればと募る思いが、パソコンを前に座ると目が冴えて、
ついつい書かずにおれなくなってしまうのである☆

どこにもある「死の便り」

2009-12-01 10:05:05 | 友達
有難いことに、久しく風邪を引くこともなく、少々ハードでも、体が動いて当たり前の日々を
送ってきた。

ところが、どうしたことだろう。最近、急に膝がガクガクする。長い正座の痛みに耐えられない。
脚力には自信があったし、まだまだ大丈夫と、頼りにしていたのに・・・。

体力も、人生半ば過ぎれば、下り坂。
この現実を受け入れるには、まだ時間がかかるだろう。

老苦のように忍び寄る、緩やかな変化でさえ、こうなのだ。

突然の病、不慮の事故、地震などの災難で、急激な変調をきたせば、どうなるか。
その苦しみは、想像を絶して余りある。

新型インフルエンザ発症後の異常行動が、全国で151例報告された。
飛び降りるなど生命に影響が及ぶ重度のもので、報告例は1~17歳。

元気な子供が一夜にして急変する、親が抱える不安、苦しみは増すばかり。
ほとんど命に別状ないとしても深刻だ。まして死んでいくとなったら・・・。

島根の女子大生の悲惨な事件は、同じ年頃の娘を他県に持つ親として、
他人事と思えぬ衝撃だった・・・。

「朝には紅顔あって、夕には白骨となれる身なり」

蓮如上人は、誰もが一番、受け入れ難い突然「死」を、このように教えられる。

明日もこの世と信じていたのに、いきなり後生に連れ去る「無常の嵐」は、誰にとっても
「突然死」。

生前とあまりの変わりように、言葉も無いが、とても消滅したとは思えない。
あの子はどこへ行ったのか。自分は、どこへ行くのだろう。

辛い別れの悲しみも、痛い病の苦しみも、「死の便り」に違いない。

これらを通して深く人生を考え、「仏説まこと」を知らされる。
仏法求めるに大事な友として付き合ってゆけ、とも教えられる。

どんなに逃れたい苦しみや、受け入れ難い痛みでも、いかに勝縁とするか、
その心がけを教えに学び、光に向かって実践しよう。
そして、ともに進む無上の道を、病に伏せる法の友にも届けたい☆

光る家

2009-11-30 07:10:59 | 友達
「おしどり夫婦」と言われるように、オシドリは仲のよい夫婦の象徴として扱われる。

しかし、実態は、子育てはメスが行い、繁殖期ごとに別の相手と結ばれるそうだ。

その点、丹頂鶴(たんちょうづる)のつがいは、一生解消されない。
「丹」は「赤い」、「頂」は「頭頂部」ということ。

白黒赤の清楚な姿は、美術絵画にも映え、「松に鶴」は花札だが、「鶴の恩返し」や、
「鶴は千年」の長寿の象徴など、日本では、大変馴染み深い。

いつまでも仲睦まじい夫婦は「タンチョウ夫婦」と呼ばれてもよさそうな・・・。

それをなぜ「おしどり」かは、別として、年を重ねてなお、仲良い夫婦は、見ていて、
実に微笑ましい。

相性というか、長年にわたる双方の努力、忍耐、向上心あってのことだろう。

「ずっと愛し続けます」という、最近、婚約発表した歌舞伎俳優のコメントには、オッと
驚いたが、始めは誰でもそう思うもの。

新婚時代は「○○さん」と名前で呼び合っても、子供が生まれると、いつの間にか
「お父さん」「お母さん」。

子育てするうち、「おい」と呼ばれて「なによ」となる。

すれ違いも、互いの忍耐で乗り切れるうちは脈があるが、どちらかが、ふっと切れて
しまうこともあるだろう。

他人同士が、長年連れ添うのは、大変なこと。
まして「おしどり」夫婦なんて・・・。

先週に続き、そのほのぼのとあたたかいご夫妻のお宅で、歎異抄第1章について、一語
一句尊く聞かせて頂いた。

参詣者も格段に増え、暖炉のある、庭園を一望する大広間で会食し、その後も各部屋で、
仏法讃嘆の声が溢れた。
グルメのご主人お勧めのお茶菓子まで頂いて・・・。

「つくべき縁あれば伴い、離るべき縁あれば離る」(歎異抄第6章)

「連れ添う縁あれば同行するが、離れる縁あれば、別れねばならぬ。人の離合集散は、
入り組んだ因縁によるもの」と親鸞聖人は仰言っている。

真実知らされた同志が、一軒の家に会するのは、余程の因縁がないと有り得ないこと。
一人で求めるには、難しい遠い道だから、連れが大事とも言われるが、夫婦で仏縁あれば、
一層、強い絆となるだろう。

昨日ご縁の無かった法友も、共に百千萬劫の仏縁を感謝して、仲良く光に向かって奮起
したい☆

数十億の人に数十億の友あれど・・

2009-11-08 23:34:02 | 友達
X JAPAN(エックス・ジャパン)は日本のロックバンド。

中心メンバーのYOSHIKIとTOSHIは、幼稚園の頃からの幼なじみ。
小学校6年の時には、既にバンドを組む約束をしていたらしい。

2000年に結成した、レミオロメンの3人も、小・中・高の同級生・・・。

共通の趣味を持つ幼馴染が、成長と共に夢を実現していったのは、それだけ熱い友情と、
固い絆あってのことだろう。

子供時代の友となると、しばらく会っていなくても、懐かしい思いがするものだが、
ずっと身近にいて、共に大人になっていくなんて、なんだか羨ましいものだ。

ここに、うるわしき3人の幼なじみがいる。

彼らは5歳のときから、26年間のつきあいと言う。
中学のとき、母親を突然亡くした親友の一人の悲しい体験を通し、3人は否応なく死という
現実を突きつけられる。

「やがて死ぬのになぜ生きる」・・・。

どんなに語り合っても、中学生の彼らには、重すぎる大問題。
進路を前に3人は、この解答に巡りあったら、互いに知らせようと固く約束して、それぞれの
道に進んでいった。

やがて大学で「なぜ生きる」の答えを仏法に知らされた一人は、喜びと共に猛然と、かつて
の約束を果たすべく、2人の友人に伝えたと言う。

今では、3人結束し、未来永遠の幸福に向かって更なる絆を深めている。

数十億の人に、数十億の友あれど、利害や打算に関係なく、環境や条件で変わらない、
真の友情とも言える、頼もしくも懐かしい法友を持つ身は幾人あるだろう・・・。

2日間、世界を結ぶ初の報恩講が開かれた。
親鸞聖人の示された人生の目的は、歎異抄にある「無碍の一道」・・・。

このたびのご縁にあった世界中の人達は、どんなに離れていようが、人種が異なり、国は
違えど、生きる目的に向かって、心は一つ。

はらからよ、言葉に尽くせぬ深い喜びと、いつまでも醒めやらぬ感動を胸に、今もきっと
どこかで報恩に燃えているに違いない☆

大阪のみんな、ありがとう☆

2009-08-22 09:38:12 | 友達
阪急電車に乗ると、レトロなポスターが目に入った。
見出しに「禁じられた駆け込み」とある。
どこかの劇場の宣伝らしい。

「閉じゆく扉にかけこむことが過ちだったのか。
 息を切らすワタシを乗客が冷たい視線でただ見つめていた。」

監督  辛坊駆
脚本  真奈マモル
     橋瑠奈

最後に「駆け込み乗車はおやめください」と結んである。

このポスターを女子高生が、「メッチャ、おもろいで」と言ってはしゃいでいた。
監督名は「辛抱欠ける」、脚本家は「マナー守る」役者名は「走るな」と読むと言う。
なるほど、そこまで気付かなかった、大阪流のダジャレ。

電車にはいろいろな人が乗っている。
かわいいミニスカートのフリルを揺らして歩く若い女性・・。
ならまだしも、どう見ても60代後半からそれ以上と思えるオバチャンが、なんとフリルのミニに、
踵の高い赤い網サンダルをはいていた・・・。

ここは、どれだけ年を取っても、どんな奇抜な衣装でも、好きなファッションを楽しめる
おおらかさ、無頓着がある。

懐かしい大阪弁がゆきかう中、同級生と再会し、「光に向かって100の花束」を届けた。
読んだらわかると思うけど、光に向かって進む幸せ電車のようなものだから、駆け込みでも、
乗っている人は、冷たい視線どころか、みな手を差し伸べて、あたたかく待っているからね。
縁があることを願っているよ。
見切り発車は、友として何より辛いことだから。また会える日を楽しみに☆

いざ、大阪「夏の陣」

2009-08-20 07:06:30 | 友達
中学時代が、メチャ楽しかったと言う息子は、職場を中学校にしたいと、かねてから言っていた。
仕事となれば、当然、様子は異なるのだが、中学校に勤めれば、運動会や、学校祭など、楽しい生活が
復活すると思っていたようだ。

ところが、夏休みに入って、今度はロボットを作る仕事をしたいと言う。
聞けば、「人間相手は、疲れる・・・」。

確かに、ロボットなら、文句も言わず、気楽である。

でも、どうして急に方向転換したんだろう?
「今、読んでる本に、ひょっとしてロボット出てくる?」
「うん!」
やっぱり・・・。
息子の考えつくことは、大体、そんなところだ。

「夢と仕事は違うんだよ」。
「じゃ、仕事している人は、みんな夢がないってわけ?お母さんが、夢のない人だということだけは、
わかったよ」。
何を言ってるのか、さっぱりわからんセリフだが、とにかくすごい自信である。

いつもこんな調子で、会話のかみ合わない息子と2人、今度初めて大阪に行くことになった。

予定を知らせていた大阪の同級生達からも、たびたびメールが入ってくる。
「○○の○○で会おうよ」。カタカナでおそらく今まで経験のないシャレた場所・・・。
予約を入れてくれたらしい。

「場所分からないから、教えて」と返信すると
「梅田界隈で人に聞いてね。大阪人は優しいよ」と返ってきた。

なるほど・・。梅田駅は人で溢れているし、誰に聞いても親切に教えてくれるだろう。
聞かなくてもウロウロしていたら、「どないしたん?」と声をかけてくれるところが、大阪なのだ。

とんぼ返りの日程だが、時間を割いて、できるだけ友達に会って、充実した時にしたい。

大阪の空気を母に異質に感じている息子と、じっくり話をしながらの道中は、楽しみであり、スリルあり、
淡い期待もある。
とにかく大阪は、母の出身地なんだから、せめて向こうに行ったら、言うこと素直に聞くんだよ☆

「若さ」が与える「元気」

2009-07-20 23:54:26 | 友達
高齢者の話し相手となり、心のケアをする「傾聴ボランティア」が増えているそうだ。

老人ホームに、ある女子大生がボランティアに行った時のこと。
話し相手の男性は、脳梗塞で、左半身が麻痺し、ふさぎこみがちな人だった。
それまで小さな字しか書けなかったのに、彼女と話しながら書道をするうち、大きく、
生き生きした文字になったそうである。
これには、周囲のスタッフも驚いた、と言う。

若い女性との会話で、脳が刺激され、元気を取り戻したらしい・・・。

「若いというだけで、こんなに喜ばれるとは!」と感激していたのは、25歳の男性の研修医。
地方の保健所などを回っていると、集まった高齢者の方々が、年齢を聞いて、口々に
「若い人がよく来てくれた」と喜ばれると言う。
中には、手を握って、目を潤ませる人もあるそうだ。

「いや~若いって、それだけで素晴らしいんですね」。
(ええ今しばらくですけど)

それにしても、そこにいるだけでいい、と周囲に言われた娘時代が懐かしい。

あの時、冗談だと、笑って済ませていたっけ・・・。
しかし、本当だったのだ。

若人が発散するエネルギーは、年齢を重ねるほど、まぶしく感じるもの。
そばにいるだけで、ウキウキと若返る気持ちになるのだろう。

青年は、それだけ「若さ」が年配者に、元気を与える力のあることを、もっと自覚していいと
この年になって、つくづく思う。

「傾聴ボランティア」と構えなくても、場所を選ばなくてもいいから、人生の先輩に近づいて、
挨拶でも、何でもよいから声をかける、話を聞く。

この触れ合いが、どんなに喜ばれ、相手を幸せにすることか。
幸せの種まきは、やがて自分に幸せな結果をもたらす。これは因果の道理。
近づけば、豊富な経験から学ぶことも多いに違いない。

振り返って、「しまった!」とならないよう、今の自分にできることを見直し、一つでも
見つけて精一杯善いタネマキを心がけたいと思う。
誰でも、「今」より若い時はないのだし、「高齢者」と言っても、そう遠い先でない
自分の未来なのだから☆

大阪のみんな元気?

2009-07-14 06:57:11 | 友達
小学校5年の時、父の転勤で、九州の福岡から、大阪に来た。
福岡でも1度転校していたから、小学校は3校目となる。

子供の柔軟性をもっても、大阪は驚くことが多かった。

「ジャンケンポン!」を「インジャンホス!」
仲間に「入れて」を「寄せて」と言う。
授業中は、吉本もぶっ飛ぶようなジョークが交差し、笑いがはじける。

それまで、授業は静かに聞くもので、静粛な場で笑うのは不謹慎だと思っていた。

福岡では、「先生がいらっしゃいました」と言っていたのに、こっちは「先生、来たで」・・・。

先生には、敬語を使うもの。
まして、先生の机に近づいて、友達のように話しかけるなんて・・・。

転校生は、黙っていても目立つものだが、周囲の友のもの凄いパワーで、私の中で何かがはじけ、
大きく変わっていったのがこの時である。

それまでは、空想に一人遊び、秘密特訓で一人汗を流す、職人のような地味な子供だったのに・・・。

だから、この時の仲間は、今でも輝かしい時代の懐かしい友なのだ。

4年おきのオリンピック開催年に、みんな集まって同窓会を開いている。
案内があるたび残念だが、1度も行ったことがない。
行きたくても、どうしても都合つかないのである。

富山と大阪という地理的なこともある。
結婚し、子育て、仕事、抜き差しならない事情がある。

それでも、大阪には姉もいて、たまに行ったときは、急な呼び出しにもかかわらず、
会いに来てくれたのは、何より有難くとても嬉しかった。

またこんな時、中学、高校、大学と続けたバドミントン仲間に連絡すると、それぞれの
久しぶりのミニ同窓会になった。

大阪は、懐かしい友達がいて、行けばすぐに青春時代にタイムスリップする思い出の
ステージなのである。

その友達に、久しぶりに連絡すると早速返信があったので、ブログを紹介した。

もっと早く案内すれば良かった。
みんなに読んでほしいと、イメージしながら書いた記事も一杯あったのに・・・。

土着の大阪のおばちゃんの更なるパワーアップを期待しているから、また会おうよ。
たとえ一人でもいいからね☆