ゴーマン美智子。。。
「傲慢な美智子さん」という意味ではない。
氏名である。
1974年、歴史あるボストン・マラソンで日本人初の女性として優勝した。
3年後にも、同マラソンで2度目の優勝を果たし、日本でも大きく報道されたと
言う。
美智子さんは、28歳で単身渡米して結婚し、走り始めたのが33歳。
初めて優勝したのが38歳である。
その後も41歳から2年連続で、ニューヨークシティマラソンで優勝を果たした。
主婦からスタートした遅まきのランナーと言えるだろう。
欧米人に比べ,華奢な体で、全く素人であった美智子さんが、走り始めた
きっかけは、おとなしい日本の妻を不満に思う夫の一言だったと言う。
「自分をアピールできる」ものは何なのか。
考えた末、走ることが好きだった彼女が選んだのがマラソンだった。
1ヶ月に950kmも走ったという人一倍の努力と根性で、眠っていた才能が、
一気に開花。。。
人は幾つになっても、やる気になった時が最良のスタート時なのだろう。
11年かけて39歳で宇宙に行った山崎直子さん。
ママとしても、数々の困難を乗り越えて大きな夢を実現した。
地球を走るにしても、地球から飛び出して周回するにも、記録を残すには、
大変な努力があったに違いない。
しかし、一時の熱狂も感涙も興奮も、過ぎてしまった今はどうだろう。
夢を果たした後の幸せ感は、いつまで続いたのだろうか。
天下を取った秀吉は、栄耀栄華を極めた自身の一生を「夢のまた夢」と
遺して逝った。
秀吉が示した、「人生は露である」に、誰が異論を唱えられるだろう。
あっと言う間の人生で、築いた名誉も地位も財産も、記録も全部残して
死んでいく。。。
何のための人生か、とため息をつきながら、大いなるアキラメの中で、
生きるしかない全人類。。。
その途方に暮れる私達に「生きる目的」をあきらかにされたのが、
親鸞聖人なのである。
昨日も詳しく聞かせて頂いた。
地の果てに行っても、地球を出ても、簡単に知りえない真実に出会えた
なんて、一体何の間違いだろう。
間違いだらけの我が身に起きた、凄く幸せな間違いを、心から喜ばずに
おれない。
そうして深きご恩を知らされて、ますます伝えずにおれないのである☆
「傲慢な美智子さん」という意味ではない。
氏名である。
1974年、歴史あるボストン・マラソンで日本人初の女性として優勝した。
3年後にも、同マラソンで2度目の優勝を果たし、日本でも大きく報道されたと
言う。
美智子さんは、28歳で単身渡米して結婚し、走り始めたのが33歳。
初めて優勝したのが38歳である。
その後も41歳から2年連続で、ニューヨークシティマラソンで優勝を果たした。
主婦からスタートした遅まきのランナーと言えるだろう。
欧米人に比べ,華奢な体で、全く素人であった美智子さんが、走り始めた
きっかけは、おとなしい日本の妻を不満に思う夫の一言だったと言う。
「自分をアピールできる」ものは何なのか。
考えた末、走ることが好きだった彼女が選んだのがマラソンだった。
1ヶ月に950kmも走ったという人一倍の努力と根性で、眠っていた才能が、
一気に開花。。。
人は幾つになっても、やる気になった時が最良のスタート時なのだろう。
11年かけて39歳で宇宙に行った山崎直子さん。
ママとしても、数々の困難を乗り越えて大きな夢を実現した。
地球を走るにしても、地球から飛び出して周回するにも、記録を残すには、
大変な努力があったに違いない。
しかし、一時の熱狂も感涙も興奮も、過ぎてしまった今はどうだろう。
夢を果たした後の幸せ感は、いつまで続いたのだろうか。
天下を取った秀吉は、栄耀栄華を極めた自身の一生を「夢のまた夢」と
遺して逝った。
秀吉が示した、「人生は露である」に、誰が異論を唱えられるだろう。
あっと言う間の人生で、築いた名誉も地位も財産も、記録も全部残して
死んでいく。。。
何のための人生か、とため息をつきながら、大いなるアキラメの中で、
生きるしかない全人類。。。
その途方に暮れる私達に「生きる目的」をあきらかにされたのが、
親鸞聖人なのである。
昨日も詳しく聞かせて頂いた。
地の果てに行っても、地球を出ても、簡単に知りえない真実に出会えた
なんて、一体何の間違いだろう。
間違いだらけの我が身に起きた、凄く幸せな間違いを、心から喜ばずに
おれない。
そうして深きご恩を知らされて、ますます伝えずにおれないのである☆