働く主婦のじゅんこです 

自分探しから始まった幸せへの道・・いくつになっても旬な女性で生きるカギ☆

露の命で。。。

2010-04-30 21:48:20 | 世事情いろいろ
ゴーマン美智子。。。
「傲慢な美智子さん」という意味ではない。
氏名である。

1974年、歴史あるボストン・マラソンで日本人初の女性として優勝した。
3年後にも、同マラソンで2度目の優勝を果たし、日本でも大きく報道されたと
言う。

美智子さんは、28歳で単身渡米して結婚し、走り始めたのが33歳。
初めて優勝したのが38歳である。
その後も41歳から2年連続で、ニューヨークシティマラソンで優勝を果たした。
主婦からスタートした遅まきのランナーと言えるだろう。

欧米人に比べ,華奢な体で、全く素人であった美智子さんが、走り始めた
きっかけは、おとなしい日本の妻を不満に思う夫の一言だったと言う。
「自分をアピールできる」ものは何なのか。
考えた末、走ることが好きだった彼女が選んだのがマラソンだった。

1ヶ月に950kmも走ったという人一倍の努力と根性で、眠っていた才能が、
一気に開花。。。

人は幾つになっても、やる気になった時が最良のスタート時なのだろう。

11年かけて39歳で宇宙に行った山崎直子さん。
ママとしても、数々の困難を乗り越えて大きな夢を実現した。

地球を走るにしても、地球から飛び出して周回するにも、記録を残すには、
大変な努力があったに違いない。

しかし、一時の熱狂も感涙も興奮も、過ぎてしまった今はどうだろう。
夢を果たした後の幸せ感は、いつまで続いたのだろうか。

天下を取った秀吉は、栄耀栄華を極めた自身の一生を「夢のまた夢」と
遺して逝った。
秀吉が示した、「人生は露である」に、誰が異論を唱えられるだろう。

あっと言う間の人生で、築いた名誉も地位も財産も、記録も全部残して
死んでいく。。。

何のための人生か、とため息をつきながら、大いなるアキラメの中で、
生きるしかない全人類。。。

その途方に暮れる私達に「生きる目的」をあきらかにされたのが、
親鸞聖人なのである。

昨日も詳しく聞かせて頂いた。
地の果てに行っても、地球を出ても、簡単に知りえない真実に出会えた
なんて、一体何の間違いだろう。
間違いだらけの我が身に起きた、凄く幸せな間違いを、心から喜ばずに
おれない。
そうして深きご恩を知らされて、ますます伝えずにおれないのである☆

縁が変われば

2010-04-25 07:00:01 | 友達
鼻歌まじりに息子が2階から降りてくる。
朝の5時。。。
県の大会に向かって、浮き立っているのである。

4月に入部した後輩の1年生が、県下で3位に入る実力者。
これで一気にチーム力がアップした。

気をよくした彼は、周囲が受験モードに入る中、6月まで部活に専念すると宣言した。

早朝一人で起床できるのは、「試合に備えて眠ることに集中しているから」と言う。

彼の集中力と、我が道を行く精神力は、幼児期の頃から相変わらず、凄いと思う。
性格や性質は、そうそう変わるものではないのだろう。

この道を志して始めの頃、挫ける失敗を多くした。
「若い時は、出来立ての餅のようなもので、いくらでも変わる。老いていくほど
固い餅になって、なかなか変わらない」。

落ち込んでいる時、かけられたこのお言葉が忘れられない。
その後も失敗するたび思い出し、奮起したもの。
この年になったら、どうだろう。

もう若いとは言えない今、引きずっている悪い癖を知らされるたび、「固い餅」が
我が姿として目に浮かぶ。

努力不足を反省せずにおれないが、人間が変わるということは、実に大変なことで
なかろうか。

ところが、である。
周囲には、還暦過ぎて、輝きを増す年配の人が増えているのである。

先日の学徒懇親会では、70、80歳の人でも、20歳は若く見える人達で溢れていた。
その美しい笑顔と、たくましさ。。。

仏法を求めていくほど、正しく聞いて実践している人は、年齢に関係なく、確かに
変わっていかれるのである。
実際、身近にそんな方は、幾人もいる。
世間にはないこの現象は、凄い教えを聞かせて頂いているからに違いない。

学徒懇親会では、老若男女、誰彼となく、親しく話をさせて頂いた。

天にそびえる富士山のように、地に足をつけ教えに従い、身に徳をつけていかれる
姿は、美しい。。。

中には、「ブログ見てますよ」と声をかけて下さる嬉しい出会いも。。。

つれづれに、思い出されることだけど、懐かしい人達に囲まれて、元気一杯、
努力向上を怠らず、光に向かい、少しでも良くなっていきたいものである☆

「当たり前」の付けどころ

2010-04-05 11:19:13 | 家族
「ありがとうございました!」
これは、送迎した時、車から降りる息子が、私に言う言葉である。

今朝も、「部活の練習に遅れるから、学校まで送って」と頼みに来た。
3日前も依頼があったが、寝坊したのに安易になってはいけないと「自転車で
行きなさい」と突き放したばかり。。。

3日空けての遅刻は、さすがに「ヤバイ」と言う。

最高学年で副主将の立場での遅刻は、きっと面目も保てぬのだろうと、今朝は
車に乗せてぎりぎりに到着した。

その時、降り際に発した言葉が、「ありがとうございました!」。。。

別に「ありがとう」でもいいところ。。。
家では、「ございました」まで言う丁寧語は、聞かれない。

送迎に関しては、特に時間に厳しい母が、無理して送ってくれるという気持ちが
強いのだろう。

帰宅してから、キッチンで食器を洗っていると、次女が寄って来て、殊勝にも
「申し訳ない」と言ってくる。

そういえば、昨夜の食器洗いの順番は、次女だった。
朝から体調を崩し、寝込んでいた彼女に、任せる気は、もともとなかったのだが、
黙って片付けていたのを見て「申し訳ない」と思ったのだろう。

「当たり前」をどこにつけるかで、言動が変わってくる。。。

かわいい子供の為だからと、送迎しても、片付けをしても、何を与えても当たり前と
親が思っていたら、子供から、礼や、詫びがなくても、すべて「当たり前」でやり過
ごしていくだろう。

忙しい親にしてもらって、当たり前なことは何もない、というところに子供が立てば、
自然と親に対する感謝や、詫びの言葉になってあらわれるのでなかろうか。

勿論、親として、できることはしてやりたいのは、やまやまである。
が、今、優先すべきことは何なのか、親子揃って光に向かう選択はどちらかと、いつも
悩んでぎりぎり実行してきた。。。

今年も次女の卒業式は欠席したし、なかなか厳しい二河の道には違いない。

けれど、子供達から文句や不満どころか、ちょっとした労わりや、優しい言葉にほっと
癒される日々なのである。

昨日も、全人類が求めながらも知りえない本当の幸福について、親子揃って二千畳で
聞かせて頂いた。

聞かせて頂くほど、有難い仏縁を心から感謝せずにおれない。
そして恵まれるほど「当たり前」は一つもないと知らされるばかり。。。

常に逆さまな横着心や自惚れ心を叩いて、ひたすら光に向かって進ませて頂きたい。
気持ちはますます熱く高揚するのである☆