医療法人「徳州会」理事長の徳田虎雄さんは、10年前、筋萎縮性側索硬化症と
診断された。
人工呼吸器をつけ、唯一動く眼球で文字が書かれたボードを追い、今も徳州会
を仕切っている。
「年中無休。24時間オープン」を理念に、39年前、最初の病院を開院した。
「生命だけは平等だ」。。。
その原点は、鹿児島県・徳之島での少年時代の体験にある。
当時小学3年生の徳田さんは、深夜に容体が急変した3歳の弟のため、2キロ先
の診療所まで走った。
しかし、どんなに往診を懇願しても断られ、弟は苦悶の形相で生き絶える。
その直後からである。
猛勉強で阪大医学部に入学。外科医となり、自身にかけた多額の生命保険を担保に
開院したのを皮切りに、今や年間救急車搬入数が1万3000台と全国有数の湘南鎌倉
総合病院を始め、国内66病院を有するに至っている。
「元気な時は寝る間も無かったが、今は規則正しく文化的な生活を送っている。
そのため以前よりも頭は冴え渡り、いい仕事ができます」。
「これからが人生の勝負」。。。
アフリカ、アジアなど多くの地域で病院建設計画を進め、その夢の実現を見届ける
ため、あと20年は生きたいと言う。
同じ病気でも家族の負担を思い、呼吸器を装着せず、発症から数年で死亡する患者
も多い。
眼球一つで夢に向かえる徳田さんは特別だろう。
しかし、たとえ眼球が動かなくなり、意思伝達が不可能になっても、最悪、臨終と
なっても、果たせる夢がどんな人にもある。
未来永遠の幸福に、必ず助けると誓われた弥陀の一念の救いがある。
そこにこそ人生の勝負と心を定め、どんな苦労も報われる無上道を、自他ともに
猛然と、ぜひ進ませて頂きたいものだ☆
診断された。
人工呼吸器をつけ、唯一動く眼球で文字が書かれたボードを追い、今も徳州会
を仕切っている。
「年中無休。24時間オープン」を理念に、39年前、最初の病院を開院した。
「生命だけは平等だ」。。。
その原点は、鹿児島県・徳之島での少年時代の体験にある。
当時小学3年生の徳田さんは、深夜に容体が急変した3歳の弟のため、2キロ先
の診療所まで走った。
しかし、どんなに往診を懇願しても断られ、弟は苦悶の形相で生き絶える。
その直後からである。
猛勉強で阪大医学部に入学。外科医となり、自身にかけた多額の生命保険を担保に
開院したのを皮切りに、今や年間救急車搬入数が1万3000台と全国有数の湘南鎌倉
総合病院を始め、国内66病院を有するに至っている。
「元気な時は寝る間も無かったが、今は規則正しく文化的な生活を送っている。
そのため以前よりも頭は冴え渡り、いい仕事ができます」。
「これからが人生の勝負」。。。
アフリカ、アジアなど多くの地域で病院建設計画を進め、その夢の実現を見届ける
ため、あと20年は生きたいと言う。
同じ病気でも家族の負担を思い、呼吸器を装着せず、発症から数年で死亡する患者
も多い。
眼球一つで夢に向かえる徳田さんは特別だろう。
しかし、たとえ眼球が動かなくなり、意思伝達が不可能になっても、最悪、臨終と
なっても、果たせる夢がどんな人にもある。
未来永遠の幸福に、必ず助けると誓われた弥陀の一念の救いがある。
そこにこそ人生の勝負と心を定め、どんな苦労も報われる無上道を、自他ともに
猛然と、ぜひ進ませて頂きたいものだ☆