働く主婦のじゅんこです 

自分探しから始まった幸せへの道・・いくつになっても旬な女性で生きるカギ☆

地球的視点のネットワーク

2010-09-24 10:58:52 | その他
地球の裏側に住む、見ず知らずの人に、自分の手紙を知人、知人の知人、知人の知人の知人・・・・
というように知人の連鎖を通じて、その人に届けるとしたら、何人目で届くだろう?

1万人?千人?それとも百人?
なんと驚くなかれ、平均して6人で届くそうである。

これは、ハーバード大のニコラス教授の説であるが、事実ならば、世界は6人の知人を介した一大
ネットワークでつながっていることになる。

また、人類が60億と言っても「地球は一つ」という感覚にさえなってくる。。。

氏によれば、個人の行動に影響を与えるのは、知人の連鎖の3人目以内にいる他者の行動だと言う。

知人の知人の知人は知らない人であることが多い。
しかし、その人がダイエットや禁煙をはじめると、自分がダイエットをしたり禁煙をはじめる確率も高く
なるらしい。

つまり、私達の行動は、知人だけでなく、直接には知らない人からも影響を受けるということ。。。

これは、隠れた社会的ネットワークの凄い力でなかろうか。

特に情報社会と言われる今日においては。。。

平成21年度東大大学院卒業式の式辞で、小宮山総長はこう述べている。
「21世紀は本質的にネットワークの時代なのです。そして、このネットワーク作りは、国の壁を越えた、
全地球的な視点でなされなければなりません」。。。

そう、国を越えた全地球的な視点のネットワーク作りは、仏法を求め、伝えるためになさねばならない。
なぜなら、仏法は、すべての人が求める究極の目的、本当の幸福を教えられたものだから。。。

この使命の重大性を知らされるほど、科学技術を布教に生かせずして、プロとしてどうなろう。
心引き締めて、戦略を練る秋である☆

嫌われる人

2010-09-17 06:50:23 | 政治・経済
14日、民主党代表選で、菅首相が大差で小沢氏を破り、再選された。

指導力を評価される小沢氏だが、「政治とカネ」の問題から逆風を受けて、大敗した。
自分の政治資金を巡って元秘書らが3人も起訴されながら、国会の場で一度も釈明をしない。
記者会見でも、回答を拒む。

言葉でしか伝えられないのに、言葉を発しないその姿に、誰が誠意を認められるだろう。

いつの時代も、誰が総理になっても、政治家たるもの「国民のための政治」に徹してもらいたいもの
である。

大正11年、2月9日のこと。。。
東京・日比谷公園で、総理大臣を務めた山県有明の「国葬」が営まれた。
しかし、文武の高官の欠席者は多く、国会議員も数えるばかり。。。
棺が葬場に向かう沿道で、弔旗を掲げている家は稀だったと言う。

翌朝の新聞は、様子をこう伝えている。
「議会でも協賛した国葬だのに、この淋しさ、つめたさはどうした事だ」。。。

これより20日余り前の1月17日、同じ日比谷公園で、大隈重信の「国民葬」があった。
詰め掛けた人のあまりの多さに、3時過ぎには正門が閉ざされた。
その数、なんと30万人にのぼったと言う。
埋葬までの沿道は150万人で埋め尽くされ、葬儀から1ヶ月を経てなお、1日3000人余りが墓参したと
言われている。

日を置かずして行われた、政治指導者の、この2つの葬儀。。。
何がこれほどまで対照的にさせたのだろう。

山県有明という「政治家」は、執拗なまでに烈しい「権力欲」で貫かれた人と言われている。

自分以外に国政を担当し得るものはないという強烈な自負は、「権力」を持つほど、他を寄せ付けず、
その欲の恐ろしさも増幅する。

いつの時代もどこの国でも、そんな権力者にとっては、側近も民衆も、ただの支配の対象にすぎない。

だから、相手の立場に立たず、己の欲に執着する我利我利亡者は、いつの世でも嫌われるのだ。

好かれるのは、相手も生かし己も生きる、自利利他に徹する人である。

死後、非情なまでの「死んで喜ばれる人」と、「いつまでも死を悼まれる人」の数の多少は、その人の
生き様が示す数値でなかろうか。

仏教では、我利我利亡者の未来は、この世だけでなく後生、暗黒の地獄と教えられる。

では、光明輝く浄土に向かう者はどうあるべきか、それは自ずと知られよう。。。

今日も教えを心に刻み、真摯に、光に向かって進ませて頂こう☆

関連ブログ http://www.bwcreativegroup.com/?p=158

「攻撃は最大の防御」

2010-09-15 06:19:59 | スポーツ
モスクワで開かれていた世界レスリングで、吉田沙保里が8連覇を達成した。

今なお強さが際立つ、無敵の吉田選手。。。

世界中のライバルから、研究し尽くされているはずだが、彼女のこの強さはどこからくるのだろう。

コーチでもある父親から教え込まれたのは、「攻撃は最大の防御」と言う。

今大会も、高速タックルで先手を奪い、決勝まで1ポイントも失わず、3度目の「パーフェクト優勝」を
成し遂げた。
もちろん、新技を増やしたり、努力の成果もあっただろう。

しかし、せっかく先手を取っても、守りに入って逆転されることは、スポーツだけでなく、勝負ごとには
よくあること。

最初から最後まで、攻め続ける気持ちが、勝ちにつながる最大の防御であったに違いない。

「レスリングが好きだし、まだ上があると思うので、そこを目指したい」。。。
世界のトップに立っても守りに入らず、常に上を攻めるひたむきさが、強さの源と思われる。

どんな戦いも、「戦意」を持ち、攻める気持ちの「継続」が大事なのだろう。
そして、その不断の攻めの心がけが、あるきっかけで勝機を生む。

ある健康食品の会社社長。。。
どうしたら良い商品を作れるか、日夜悩んでいたらしい。
ある日、レストランで、近くに座っていた親子の話に、ひらめいた。

「よーく噛んで食べるのよ。そうしたら消化吸収にいいからね」。

そうだ、吸収力をアップした商品を作ればいいのだ!
思わず席を立った社長、苦節2年で、日本初の超微細化技術を駆使し、吸収力倍増の商品を生み
出したと言う。

どうしたら勝利を得られるか考え続けていると、ひょっと浮かぶ名案や、普段はやり過ごす言葉にも、
ハッと気付きがあるものだ。

戦いに、待って得られる勝利はない。

時間も同じ。。。
与えられた時間を、どうすれば法戦に最大限、有効に使えるか。
目的達成に向かって、油断なく攻め続けることが戦意の高揚と、日々知らされることである☆

『携帯電話』と「無縁社会」

2010-09-13 06:31:30 | 音楽
日本のロックバンドのRADWIMPS(ラッドウインプス)に『携帯電話』という歌がある。

歌詞の一部を聞いてみよう。

『今日も携帯電話をポッケに入れて歩くけど
待てど暮らせどあの人からの連絡はなくて
まるで寂しさをポッケに入れて歩いているような
そんな こんな僕です

(中略)

こんなものがなければ 今日も僕は一人だと
思い知らされることもなく 生きてけたんだろう』

今や携帯電話なしに、生活している若人はほとんどいないだろう。

他者との繋がりに欠かせないシロモノだから。。。
しかし、一日中、鳴りも響きもしないケータイを持てば、絆のない一人ぼっちの自分を、逆に思い
知らされることになる。

なんて寂しい歌だろう。

だけど、そんなケータイも捨てられない。
『これがあるから、誰かのポッケの中に僕の居場所がある』と思えるから。

「居場所」とは何だろう。
孤独な自分が、安心して人と関わり合える、存在感を得られる場所ということだろうか。

それを携帯電話に求める心情とはいかなるものだろう。

最近「無縁社会」という造語も聞く。

家庭や、地域で人間の絆が弱まっている。
家出、行方不明、ホームレス、孤独死と、消えた高齢者は、増すばかり。。。

居場所を求めながら、それが得られなかった人の行く末を見るようでもある。

まだ携帯で繋がりを求め、そこに居場所を見出せればマシだと、この歌に共感し、慰められる人も
多いのだろう。

しかし、悲しいかな、心変わる人間やモノを求める限り、安住の地は死ぬまで得られない。

では、心から安心し、満足を得られるところはどこだろう。
この世に果たしてあるのだろうか。。。

答えは、三世を貫き十方を普く、仏縁に恵まれてこそ、にある。

仏縁を結べば、求めていた「居場所」はここだったのか、と寂しさも侘しさも吹き飛んで、熱い絆に
確かな幸せを知らされるに違いない。

仏縁を求め、光に向えば一人であって孤独でなく、数多ければ、それだけ頼もしい団結となる。

さまよう老若男女を見るにつけ、どうか仏縁あれかし、と心から願わずにおれない☆

地上の星

2010-09-10 21:17:28 | 世事情いろいろ
先月5日、チリ北部のサンホセ鉱山落盤事故で、鉱員33人の生存が、2週間以上たって確認された。

今も地下700メートルの暑く湿った閉所で、一刻も早い救出を待っている。
救出までに、4か月ほどかかるらしい。

先日、チリ政府は、米航空宇宙局(NASA)に、鉱員の健康管理について支援を要請した。
「(33人の置かれた状況は)宇宙ステーションの中の宇宙飛行士の状況とよく似ている」からと言う。

その専門家いわく、
「大事なことは、安易に希望を与えないこと」。。。

それまで、鉱員の精神的ダメージを恐れ、救出の時期を知らせなかったそうだが、これを受けて
「独立記念日(9月18日)には間に合わないが、クリスマスまでには救出したい」と伝えたそうだ。

「安易に希望を与えない」という教訓を聞いて、思い当たることがある。

第2次世界大戦中、ユダヤ人が虐殺されたアウシュビッツ収容所内でのこと。

どこからともなく「クリスマスには解放される」というまことしやかな情報が囁かれていたらしい。

ところが、それはデマだった。
クリスマスを過ぎると、バタバタと多くのユダヤ人が倒れ、死んでいったという。

「解放」を明りに、生き地獄に耐え忍んでいた人達も、それがデマと知り、深い絶望感に生きる力を
失ったのだろう。

人間は、希望があれば、どんな劣悪な状況下でも生きてゆけるが、それを失えば、立ち上がれない。

地下の闇から生死をさまよう鉱員だから、不確実な希望を持たせてはならないのである。

これは、地底の鉱員だけではない。

人間は、幸せという未来を希望に、目の前の「坂」や「苦しみ」を乗り越えていくもの。

問題は、越えた先である。
どんなに苦労して乗り越えた「坂道」であっても、その先も「坂」で、ずっと「苦しみ」が続く道だったならば。。。

老いるにつけ、疲れて希望も失せるに違いない。
そうして、たどり着くこの世の終わりに抱く思いは、どんなだろう。

有難いことに、親鸞学徒が向かう先は、無量光明土であり、この世から未来永遠に変わらぬ絶対の幸福
である。

どんな艱難辛苦も乗り越えて、たくましく光に向かって進ませて頂こう☆

「世界自殺予防デー」

2010-09-07 09:28:46 | 世事情いろいろ
9月は10日の世界自殺予防デーにちなんで、各地で自死問題の啓発活動が推進されていると言う。

日本でも年間自殺数が12年連続、3万人を越えている。

最近も小学生、中学生の自殺が相次いだ。

「ここまで追い詰められ、絶望に至った経緯が知りたい」。。。
遺族や関係者なら当然抱く、切実な願いだろう。

問題を突き止め、二度と起きないよう対策を立てる。
これは、大変、大事なこと。。。

しかし、それでも、やはり思いは残る。
とうすれば、どう接したら。。。
もしかして、助ける道があったのでなかろうか。

これは、個々の問題で済まされることではない。
なぜなら、誰しも自分の力でどうにもならぬ、深刻な苦しみに直面した時、
思わず「死んでしまいたい」とつぶやくことがあるからだ。

世界的に、予防を張らねばならぬ理由はここにある。

ある新聞に、これについての論文があった。
筆者の肩書きを見ると、「浄土真宗本願寺派住職」とある。

まとめると、悩みを相談する人あれば、「気持ちをそのまま受け止め」て、「一緒になって考える」。。。
そんな「安心して悩める社会」が、自殺予防になると言う。
だから「自死」の問題は「生き方」の問題そのものだ、と。。。

果たしてそうだろうか。

本願寺派の住職なら、浄土真宗の祖師親鸞聖人の教えを、どうして一言も語らないのだろう。

聖人の教えは、自殺を予防するどころでない。
全人類に対し、「苦しくともなぜ生きる」の「人生の目的」を、ハッキリ示されたお方である。

主著、教行信証の冒頭には
「難思の弘誓は、難度海を度する大船、無碍の光明は、無明の闇を破する慧日なり」とある。

「弥陀の誓願は、私達の苦悩の根元である無明の闇を破り、苦しみの絶えない人生の海を、明るく
楽しくわたす大船である。この船に乗ることこそが、人生の目的だ」。。。

弥陀の救いは、死んでからではない。
現在、生きている今である。

だから、どんなに苦しくとも、この目的果たすまで、生き抜きなさいよ。。。

この聖人の教えを、説くべき者がまず、その重責を自覚し、正しい教えを知らねばならぬ。
そして、使命果たさんと御跡に続く、燃える親鸞学徒で生涯ありたい☆

「夏の陣」を終えて

2010-09-03 06:40:44 | 友達
今年は歴史的な猛暑と言われる。

どこにいても「暑いですね」が挨拶だ。
これだけ暑いと「夏は嫌い」と言う人が多くなっても頷ける。

かくいう私は、「夏女」。
なぜか、昔から夏が好きである。

学生時代、所属したバドミントン部は、夏休みに小豆島で1週間ほど合宿をするのが恒例だった。
なにしろ体育会だから、夏であろうが猛暑であろうが、厳しさも練習も半端でない。

早朝10キロのランニングに始まり、体育館ではシャトルが風で飛ばないよう密室状態で、ぶっ倒れる
まで羽を打つ。

クーラーなんて無かったから、体感温度は、35度をとうに越えていただろう。
そう、感じとしては、サウナで羽を打っていたようなものである。

合宿前は、ぽっちゃりした面々も、終わる頃には体中の水分や汗が絞られて、目元もパッチリと引き
締まり、小顔になる。
体形もスリムさに増して、筋肉がつくから動きも軽い。

二学期には、日焼けもさることながら、夏の厳しさを乗り越えた自信と、しなやかさで、久しぶりの友と
の再会が楽しみだった。

そう、夏が好きというよりそれを乗り越え、輝いて迎える秋が好き、と言ってもよかったかもしれない。

どちらにしても、夏は、私にとって毎年、活動の季節であるから、この8月も漏れず、多忙を極めた月
だった。

4日間連続のお盆セミナーに、同朋の里F館での宿泊行事。。。

新たな会場の開発の招待勉強会は3度にわたり、地元もあわせると、ほとんど毎日休みなし。
最後の3日連続の上映会は、イス席を追加するほどの盛況だった。

一方、家では活動の合間を縫って、これまた恒例の、年に半期の大掃除。。。
玄関から、押入れ、水回りと普段は手の届かないところも、不要物を出し切って、どこもすっきり
涼しくなった。
ここまですれば、年末の大掃除も楽になる。

更にこのブログの更新も8月は11回。
7月が2回に比べれば、格段に多い。
これは、どうしたことだろう。

まず、自身がもともと夏に強い体質である。

また、いつもはいない長女が、長期の帰省で、公私にわたって随分助けになったことがある。

しかし、何より猛暑に負けず、連日のように光に向かう学徒同志が、日を追うにつれ、たくましく、
どんなに支えて頂いたかしれない。
まさに感謝、感謝の日々だった。

そうして、忙しいほど仕事ができるというこの事実。。。

これを体で知らされた人は、何より大きな財産を得た人と言えるのでなかろうか。
何しろ、平等に与えられた時間を、何倍も取り込め、使えるのだから。。。

9月に入って残暑厳しくとも、夏の疲れなんて言ってはおれぬ。

秋に収穫があるように、「人生の春」に向けての夏の陣、ひとまずこの秋、実りがあるよう、油断
なく進んでいきたい☆

民主党代表戦の人間模様

2010-09-01 21:53:20 | 政治・経済
菅首相と小沢前幹事長が、全面対決することになった民主党代表戦。
物別れに終わった昨日、それぞれが出馬表明した。

小沢氏が最も語気を強めたのは、「私は協力しないなどと一度も言ったことはないし、どんなことでも
協力して参りたい、その気持ちは変わりありません」。。。

一方、菅さんは、同じ表明の中で小沢氏について「ようやく会えた」と言っている。

「ようやく」とは、裏を返せば、なかなか会えなかったということ。
だから今さら「協力して」なんて聞いても、なんだか、白々しい。

民主党を二分する実力者が、もし「協力すべき」と本気で思っていたなら、難局打開に向かって、
とっくに会って話し合ってしかるべきでなかろうか。

それを、まことしやかにのたまう神経が、まず常人を逸している。

政治というより、政治家が面白いと思うのは、建前を本音のようにまかりとおす図太さにある。
あるいは思いと言葉の乖離に気づかない。
そうして「国民の為」という大義に隠れ、利己に終始する善人たち。。。

だから、織り成す人間模様が、人生の縮図となって、つい見えてしまうのである。

日本を動かす、最高権力に固執する強欲と、それを妨げられ、思うにならぬと吹き上がる怒り。。。

これは、評価が低いにかかわらず再選にしがみつく首相と、先の選挙で大敗し怒り心頭の前幹事長
の姿が重なる。

また仲介役として、のこのこ出てきたのが、内政、外交で迷走を重ね、カネの問題で首相を辞任した
鳩山氏。

菅支持から小沢支持に一転し、矛盾に満ちた鳩山氏は、結局、前面対決を避けられず、
「ボクはいったい何だったんでしょうね」。。。

それは、こっちが聞きたいセリフである。
が、これこそ愚痴の心でなかろうか。
もともと「宇宙語しか話せない伝書バトはダメ」なのだ。

1年生議員も、どっちにつくかで、自分の将来が決まるとヒヤヒヤして、動向を見極めている。

国民のために命をかける、なんて威勢のよい選挙の声はどこへやら、これらの醜態に、国民不在を
憤る人は少なくない。

「煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、万のこと皆もってそらごと・たわごと・真実あることなきに
 ただ念仏のみぞまことにておわします」

親鸞聖人のご金言が身に沁みる。
政治も経済も科学も医学も、すべての営みは人生の目的達成に向かうため。。。

これは古今東西、変わらぬ聖人のメッセージ。。。
迷いの世情を見るにつけ、深く受け止めずにおれない☆