働く主婦のじゅんこです 

自分探しから始まった幸せへの道・・いくつになっても旬な女性で生きるカギ☆

「子育て」に見る「孤育て」

2009-07-31 06:04:21 | 家族
総選挙を前に、両党のマニフェストが大体揃った。

中学卒業まで子供手当ての支給。
これは、子育て中の親にとって、朗報と言っていいだろう。
お金をもらえる、と聞いて悲しむ人はいない。

一方は、3~5歳児の教育無償化。
少子化が進む一つの原因に、教育費がかさむことが挙げられる。
確かに、幼児期の保育費は、予想以上のもの。
将来かかる教育費の計算を始めるのは、この厳しい現実を目の当たりにしてからと思う。

経済的なことで、逡巡するような社会では、少子化に歯止めがかからないということだろう。

確かに、経済的政策も結構だが、「親になって良かった」「子を持って幸せだ」という実感が
持てる社会が大事と思う。

「子育て」を「孤育て」とも言われる。
初めての「子育て」に迷い悩んで、追い詰められて、「孤独な子育て」になっていることがある。

子供3人連れて、新幹線で、東京まで往復した帰り、長女は5歳、長男2歳、末子はまだ乳児だった。
宿泊の荷物も含め、おんぶして、両手に荷物抱えても、移動にやっとやっとの状態。
夜になり、子供達も疲れて、座席に着いた途端、眠ってしまった。
到着駅を前にしてからが、さあ大変。
どんなに叫んでも、つついても起きないし、長女はやっと立たせたものの、長男は爆睡状態。
おんぶに、両手は満杯、足で抱くわけにもいかず、到着目前にして万事休すか、と思った時である。

様子を見かねたのだろう、さっと長男を抱っこして、降ろしてくださる人があった。
しかも、駅の階段をおりて、入り口まで・・・。

あとを追って、お礼を言いたかったのだが、スピードについて行けず、そのままになってしまった。

この時の有難さは、忘れられない。

できないときは、助けを借りる。
こんな単純なことが、必死で子育て中は思いつかないし、なかなかできないのである。
だから、見知らぬ人のさりげない思いやりに、我を取り戻し、息を吹き返すほど、一人で抱え込んでいる
「孤育て」があるということだ・・・。

そんな親の心境をみんなが知り、見守り、手を差し伸べる思いやりの行動になっていけば、どんなに
幸せが溢れ、子育てにやさしい社会になっていくだろう。

こんなナマナマしい体験は、誰でもあるだろうから、自分がされて嬉しかったことを、今度は勇気を持って
自分がしていく・・・。
政党が変わることで何かが変わると期待してしまうものだが、社会を変えるのは、一人一人の言動からと
自覚して、個々がどれだけ本気で取り組んでいくかが大事と思う☆

夏の青春!「高校野球」

2009-07-30 06:39:14 | スポーツ
「夏休み」と言えば、「高校野球」。

この夏、次女が連日チェックし、テレビ観戦している。
つい最近までは、ルールもほとんど知らなかったのに・・・。
中3になり、同世代の活躍に、ようやく興味が出てきたのだろう。

昨年だったか、ある地方の高校で、早くから注目される選手がいた。
報道陣に囲まれ、スカウトからも熱い視線・・・。
ところが、あと一勝で甲子園、という地方大会の決勝戦、なんとその選手が、ベンチから外されたと言う。

調子が悪かったこともあるだろう。事情は分からない。
しかし、甲子園行きを賭けた一番勝負に、主戦力が欠けることは、最も憂慮すべき事態だったと思う。
勿論、監督の深い思惑があったに違いない。が、外された本人にとって、どんなに悔しく残念だったか、
想像に余りある。

ところが、決勝戦の当日、応援席には補欠選手に混じった彼がいた。
しかも、その大応援団を、一手にまとめ、最前列で声を嗄らしていたのが当の本人だったと言う。

こんなウルッとくる話が、地区予選でもザクザクあるのが、高校野球の魅力の一つ。

どうしてだろう?
グラウンドに立つ風景は、私が、高校生として熱い応援を送っていた何十年前も今も、少しも
変わらない気がする。

選手の機敏な動作、全力疾走、真剣な表情、気持ちよい挨拶・・・。
監督に従い、一途に白球を追いかける姿には、どこかしら、昔の日本的な空気が漂うのだ。

「負けたら終わり」。どんなに接戦でも、やり直しをしたくても・・・。

この潔さが、花火や桜の好きな日本人の「一瞬の美学」「滅びの美学」の感性に響くのでなかろうか。

何かしら、見ているだけでそんな感傷的な思いに浸ってしまうのである。

これからどんなドラマがあるか分からない。が、この年齢になり、今までと少し違った視点で、
書いてみたい気がする。

熱い青春のひとコマが、続く人生の教訓にもなることを・・・。

そう、やっとルールを覚え、テレビ観戦するほど子供が成長したのだもの。
同じ目線で語れるチャンス到来、とこちらも密かに燃えずにおれないのである☆

親子共有の宿題

2009-07-29 06:21:27 | 家族
宮里藍選手が米女子プロゴルフツアーで初優勝を飾った。
米ツアーで日本人女子選手の快挙は、10年ぶり、24歳は日本人最年少だそうである。

高3で国内ツアー初優勝。
「天才少女」と言われ、それまで順調に歩んできたように見える彼女だが、挫折もあったようだ。

中学1年のとき、全国中学校ゴルフ選手権で敗退、全国はおろか九州大会へも進めなかった・・・。

その時、励ましたのが、父親の優さん。
「全国のチャンスは逃したが、落ち込まずに世界で戦えばいい。アメリカに行かないか」。
2ヵ月後、父娘は、本当に渡米、世界ジュニアに挑戦、5位に入賞した。

「あの日の達成感は忘れられない。この経験から落ち込んだときでも、夢に向かって前進する
勇気と努力が大きな自信につながることを知った」と後に彼女は述べている。

あの時、あの人から、あの言葉、この経験が無ければ、どうだっただろう、と振り返ることは、
誰でも一度ぐらいはあるだろう。

伸び盛りの子供時代は特に、人であれ、ものであれ、本や環境であれ、後に及ぼす「きっかけ」が
何かあると思う。

46年前の皆既日食が観測された当時、宇宙飛行士の毛利衛さんは、北海道・余市の高校1年生だった。
当日は、体育祭で、学校を休むことを先生は許してくれない。
さぼって網走に行き、日食を見た。のちに眠りの夢に、何度も真珠色のコロナが現れたと言う。

今の毛利さんが宇宙飛行士である、という結果とこの時の体験が、無関係とは言えないだろう。
むしろ、このように子供の時に受けた感動と憧れが、将来の夢につながっていくことが多いので
なかろうか。

夏休みは特に、いつもはできない体験を親子でしよう、と旅行に行ったり、コンサートなどイベントが
各地で盛んである。

新たな感動、体験を通し、将来の夢につながる貴重なきっかけになれば、と親も望むところだろう。

しかし、それには、まず「なぜ?」という子供の素朴な問いかけに一つ一つ答えていかねばならないと
思う。
たとえば「なぜ勉強するの?」と聞かれて、答えが分からなければ、子供は勉強に力が入らないし、
その先の夢もぼんやりするからである。

なんでも目的が一番大事。しかし、考えるほど、実はこれが一番、難しい・・・。

いつもより多く時間を共有できる時だからこそ、親子で人生の宿題を語り合い、答えを仏法に聞く
夏休みにしたいと思う☆

うるわしき兄妹

2009-07-28 07:36:05 | 家族
一昨夜、まだ仕事場にいた時、息子からのメールで、翌朝から息子が2泊の宿泊学習に行くことを知った。
しまった!全く抜けていた。
同じ高校に子供を通わせる同僚に話すと、
「あの宿泊学習の持ち物って、食材から何から大変なんだよね~」。

そう言えば、長女の時もそれなりの準備をしていたっけ・・。
思い出すほど、息子一人でできることではない。

帰宅して、心配しながら息子に尋ねる。
「準備できた?」
「たぶん」。
意外に涼しげな顔に、いつもの単語。

「本当に?」
「おそらく」。
ふ~ん、高校2年にもなると、やっぱり成長するんだ。
でも、なにやら怪しげでもある。

子供部屋に行くと、次女の机に、ポテトチップスの大袋。
「それ、どうしたの?」
「兄ちゃんが、買ってくれた」。

聞けば、次女が宿泊学習の準備を細々と手伝い、その報酬に兄から受け取ったと言う。

なるほど。それで、自信ありそうで、確信の持てない返事だったのか。
持つべきものは、妹・・。

しっかり者の姉妹に挟まれると、窮屈な思いになりそうなものだが、息子はどこまでもマイペース・・・。

話を聞くと、将来の進路も、それなりに考えているらしい。

思い出すのは、小学校の参観日。
「将来の夢」と題した短い作文が、一人一人掲示されてあった。
「野球選手になりたい」「ケーキ屋さんになりたい」・・・。
「サッカー選手」や、「看護師」など、それぞれ大きな、かわいい夢が書かれ、先生からも、
「すごいなあ~」とか、「○○クンなら大丈夫!」など励ましのコメントがついてある。

どれどれ、息子の作文は、と見ると、
「大きくなったらアルバイトをしたい」・・・。
それについて先生からのコメント
「しっかり働こうね」。

思わず周囲を振り返り、しばし考え込んだものである。

同じ親を持ち、同じ環境で育っても、こんなに違うものかと思うほど、感性、性格はそれぞれ異なる。

親がジタバタしても、どこ吹く風と育っていく子もいるし、親がいない方が、兄妹が団結し、思わぬ力を発揮する場合もある。
なんだかんだと言いながら、結構、助け合って仲良く育っているようだ。
いつか3人で読むこともあるだろうから、今回も親バカ覚悟で、「うるわしき兄妹」とあえて記しておくことにしよう☆

花火・『HANABI』

2009-07-27 06:45:16 | 音楽
夏の風物詩「花火」・・。

一昨夜、隅田川で、94万8000人の見物客を前に、2万2000発の花火が打ち上げられたと言う。

世界で、日本人ほど花火の好きな国民はいないらしい。
夏の花火大会のほかに、各種イベントも含めると、全国で上がる花火は、約8000回と言われる。

花火観賞のルーツを尋ねると、約270年前のこの隅田川の川開き花火だと言う。

時代は移り、年々進化を遂げる花火は、多種多様、ダイナミックな花の饗宴となっているが、
夜空に咲く一瞬の花を楽しむ心は、昔も今も変わらないようだ。

これは、儚く散っていく桜が好きな日本人の「一瞬の美学」に通じるものでなかろうか。

四季折々の変化の中で育つ日本人には、咲いて散りゆく姿に、美しさを見い出す感性が、
もともと備わっているのだと思う。

しかし、夜空を照らす光が鮮明で、鮮烈であるほど、消えた後の漆黒は何ともいえず身に沁みる。

人生も、華々しく咲く順境もあれば、散って寂しさに泣く逆境もある。が、大きく開いた花が
枯れた後ほど、ぽっかりと空く心の隙間は埋めがたいもの・・・。

こうして順逆を繰り返しながら、花火のうたかたの夢のごとく消えていく日々。
そこに見る心情はどんなものだろう。

ミスチルの『HANABI』の歌詞は、次のようにある。

どれ位の値打ちがあるだろう
僕が今生きてるこの世界に
すべてが無意味だって思える
(中略)
いったいどんな理想を描いたらいい?
どんな希望を抱き進んだらいい?
(中略)
決して捕まえることの出来ない
花火の様な光だとしたって
もう一回 もう一回 もう一回 もう一回
僕はこの手を伸ばしたい
誰も皆 悲しみを抱いてる
だけど素敵な明日を願っている
(後略)

求める幸せが、捕まえることの出来ない花火の様な光なら、その幸せを捕まえることに、
どれ位の値打ちがあるのだろう。

理想や希望も手探りで、方向がつかめない悲しみを抱きながら、それでも手を伸ばさずにおれない。
もう一回、もう一回、何度も打ち上がる花火を望むように、今日がダメでも素敵な明日を願って、
もう一回、もう一回・・・。
気持ちは痛いほど伝わってくる。

しかし、残酷なことに、もう一回、もう一回は、エンドレスではない。
どんなに豪華絢爛な花火でも、必ず終わるときがくる。

花火のように儚く終わる一瞬の人生だからこそ、永遠の幸せをつかむチャンス求めて進みたい。
その願いを満たす、心の闇を照らす光がどこかにないのだろうか・・・。
それが、仏法なのである。
人生の打ち上げラストを迎える前に、早く知って、聞いてほしいと願わずにおれない☆

未来に思いを馳せてみる

2009-07-25 08:29:07 | 音楽
88歳のピアニスト、室井摩耶子さんは、今も1日7、8時間は練習するそうだ。
20年間、弾き慣れた曲でも、年を重ねると、若いころには分からなかった「曲の精神」が見えてくると言う。

演奏会の数日前に「こういうことだったのか!」と発見することもあるらしい。
こんなとき「早く死ななくて良かった」と思うそうである。

「年取れば恥多し」で、早く死んでおれば、こんな恥をかかなくてよかったのに、と思う人もあるだろうに・・・。

室井さんのように、年齢を重ねるほど、今まで見えてなかったものが、見えるようになるのは、その道一つ、
長年の鍛錬によって、ある時期、開眼する心の世界があるのだと思う。

社会派の視点で、現代史の闇を見据えてきた作家の山崎豊子さんが8年かけ、今年刊行された『運命の人』。
山崎さんは今84歳・・。

『不毛地帯』『二つの祖国』『大地の子』・・・。そして今回、沖縄戦を人間ドラマとして書き継いできたのは、
「書かねばならない責務」に突き動かされたから、と言う。
作家に年齢はなく、「体の中から小説がわき出てくる」そうだ。

芸術や文学だけでなく、いろいろな習得の道を長年進んでいる人は、年齢を重ねるほど、経験から学習した
思考、深まる確信があるのだと思う。

それを表現し、伝える術のある高齢者は、幸せな人であり、世間では憧れの老後と見られるのだろう。

晩年の幸せも不幸も、その人自身が蒔いた種まき、行為が生み出したものであり、因果の道理と教えられる。

作家の宮本輝氏は「50歳を過ぎて、一人の人間を見るには20、30年間の歳月が必要だと気づきました」
と言っている。

なんでもすぐに結果を求め、成果を出させようとする時代だが、人間は、遠い未来のことまで分からない。

20年、30年を経て、人間形成されるのであれば、今が、どんな評価であろうと、自惚れず、腐らず、折れず、
不断の日々の長年の努力の積み重ねが、未来の自分を大きく変える大事なカギと言えるだろう。

過去と他人は変えることはできないが、未来と自分は変えられる。

年を重ね、なお意気軒昂な高齢者もあれば、体力とともに気力低下の年配者もいる。

自分の未来、どこに理想を求めるか、時に長いスパンで見れば、今の自分を振り返り、反省、努力の
きっかけにもなると思う☆

どこからくる「緊張」と「対策」

2009-07-24 06:32:18 | スポーツ
水泳の世界選手権でシンクロが、メダル無しで終わった。
先輩がメダルを取り続けてきた歴史の中、新生メンバーは、初めての大舞台に、予選より決勝の方が
「緊張した」らしい。

「緊張」とは、体や心が張り詰めた状態にあること。

力みから本来の伸びやかな演技ができなかったのかもしれない。

人は「緊張しないように」と強く思うと、逆に緊張が増大するそうだ。

確かに、緊張せずに「うまくやろう」「失敗しないように」と思うほど、緊張して頭は真っ白、
普段の力を出し切れず、失敗することが、よくあるものだ。

「失敗しても当たり前」的な楽観的思考の持ち主は緊張しにくいと聞く。

とは言っても、失敗は許されない雰囲気とプレッシャーの中、「楽観的になろう、失敗してもいい」
なんて、そうそう思えるものでもない。

手のひらに「人」という文字を書き、3回飲み込むとか、相手は「ジャガイモやカボチャと思えばいい」
とも言われる。

そもそも物が相手なら、緊張などしないのだ。
人によく見せたい、成功させたい、失敗はダメなんだ、と思えばこそ、出てくるものでなかろうか。

そして底には「実際の自分より良く見せたい」という心理があると思う。

東京オリンピックと言えば「東洋の魔女」・日本女子バレーボールチーム。
1日10時間の練習は当たり前。宿敵ソビエトに勝つため、世界一の厳しい練習をこなしてきた。

当日、どちらも不敗で迎えた決勝戦は、視聴率66%を超えたと言う。

敗戦からの奇跡の復興を世界に発信し、意気上がる全国民からの期待はどんなにプレッシャーで
あったか・・・。想像に余りある。
が、その重圧を乗り越えて、粘るソビエトを突き放し、ストレートで勝利した。

この強さはどこにあったのか。
大松博文監督は、「勝たねばならぬ、と考える前にまずやらねばならぬ、とする根性が大切ー
これはいわば人間の限界を超えた苦しい練習に鍛えることによって培われるものだ」と言っている。

勝たねばならぬ、と力以上のものを見せたいとなると緊張するが、勝つためにやらねばならぬ十分な
鍛錬の積み重ねがあれば、本番でも、勝利を疑わず、普段の力を発揮できるということだろう。

本番直前に「緊張」をほぐす方法はいろいろあっても、その本道は、理想とする結果に見合う努力が、
どれだけあったかということ・・・。

ガチガチになるのは、求める結果を得るまでの鍛錬が、十分でなかったからであり、たとえ緊張から
失敗しても、それが今の実力・・。

そうあきらかに受け入れ、さわやかに切り替えて、大きな夢に向かい、努力していきたいと思う☆

アポロ11号の見果てぬ夢

2009-07-21 23:48:19 | その他
ケネディ大統領に、有名なムーン・スピーチがある。
「我々は、月に行くことを選んだ。簡単だからでない。困難だからだ」。

「1960年代に月に人類を送る」・・・。
大統領の大号令のもと、その宣言通り、人類初の月着陸を成功させたのが、1969年7月20日。
日本時間で40年前の今日のこと。

ガリレオが1609年に望遠鏡を月に向けて以来、360年間、遠く観測するだけだった月面を、
二足歩行で踏みしめる、まさに人類のはるかな夢が到達した瞬間だった。

この模様は、全世界にテレビ中継され、約5億人の人が視聴したと言う。

当時の注目は、人類初に月面に降り立つのは、誰なのか・・・。
候補にあったのは二ール・アームストロング氏と、バズ・オルドリン氏。
二人の飛行士の関係は、直前までギクシャクしていたと言われる。

輝く栄光、名誉は歴史に名を刻み、幾世代も語り継がれることを思えば、「それはオレだ」と
譲れぬものがあってもおかしくない。

そうは言っても、最後は、心一つに夢の実現に向かったからこそ、成功したのだろう。
あれから40年。英雄たちは、今・・・。

「人間にとって小さな一歩だが、人類にとって偉大な飛躍」。
月面の最初の一歩をこう語った冷静沈着なアームストロング氏は、当初から英雄扱いに戸惑い、
過去の偉業については黙して語らず、妻と隠遁生活だと言う。高額で取引されるサインは断り、
郵便は変名で受け取り、公の場にほとんど姿を見せないそうだ。

一方、二番手となった明るい性格のオルドリン氏は、有人宇宙開発の宣伝役を果たす。
もっとも、帰還後に目標を見失い、アルコール中毒に陥ったこともあると告白している。

アポロの母船にとどまったコリンズ氏も英雄扱いを嫌い、ランニングや釣り、絵画、料理などで
ほどほど忙しい毎日と語っているそうだ。

同時中継の視聴率が68%に達し、おそらく世界が熱狂したアポロの思い出ではあるけれど、
40年の歳月を顧みれば、夢幻のようであり、当の飛行士の近況をそれぞれ聞けば、更にその
思いを深くする。

宇宙に飛び出しても、帰還しても、地球のどこで幾年を経ても、色あせない幸福が、全人類の
本当の夢であろう。

それが仏法に説かれているのだ。
求める夢、伝える思いは、色あせるどころかますます鮮やかな日々・・・。
深く感謝せずにおれない☆

「若さ」が与える「元気」

2009-07-20 23:54:26 | 友達
高齢者の話し相手となり、心のケアをする「傾聴ボランティア」が増えているそうだ。

老人ホームに、ある女子大生がボランティアに行った時のこと。
話し相手の男性は、脳梗塞で、左半身が麻痺し、ふさぎこみがちな人だった。
それまで小さな字しか書けなかったのに、彼女と話しながら書道をするうち、大きく、
生き生きした文字になったそうである。
これには、周囲のスタッフも驚いた、と言う。

若い女性との会話で、脳が刺激され、元気を取り戻したらしい・・・。

「若いというだけで、こんなに喜ばれるとは!」と感激していたのは、25歳の男性の研修医。
地方の保健所などを回っていると、集まった高齢者の方々が、年齢を聞いて、口々に
「若い人がよく来てくれた」と喜ばれると言う。
中には、手を握って、目を潤ませる人もあるそうだ。

「いや~若いって、それだけで素晴らしいんですね」。
(ええ今しばらくですけど)

それにしても、そこにいるだけでいい、と周囲に言われた娘時代が懐かしい。

あの時、冗談だと、笑って済ませていたっけ・・・。
しかし、本当だったのだ。

若人が発散するエネルギーは、年齢を重ねるほど、まぶしく感じるもの。
そばにいるだけで、ウキウキと若返る気持ちになるのだろう。

青年は、それだけ「若さ」が年配者に、元気を与える力のあることを、もっと自覚していいと
この年になって、つくづく思う。

「傾聴ボランティア」と構えなくても、場所を選ばなくてもいいから、人生の先輩に近づいて、
挨拶でも、何でもよいから声をかける、話を聞く。

この触れ合いが、どんなに喜ばれ、相手を幸せにすることか。
幸せの種まきは、やがて自分に幸せな結果をもたらす。これは因果の道理。
近づけば、豊富な経験から学ぶことも多いに違いない。

振り返って、「しまった!」とならないよう、今の自分にできることを見直し、一つでも
見つけて精一杯善いタネマキを心がけたいと思う。
誰でも、「今」より若い時はないのだし、「高齢者」と言っても、そう遠い先でない
自分の未来なのだから☆

羽生名人に見る必要なもの

2009-07-20 06:37:23 | 芸能
羽生善治。もとより将棋棋士。通算タイトル獲得数は、大山康晴に次いで歴代2位。
全7タイトル戦のうち6つで永世称号の資格を保持し、将棋史上最強格の棋士の一人に挙げられる。

今まで対戦したすべての対局を覚えているそうだ。
天才、とはこのような人を言うのだろう。

その彼が、今年4月の名人戦で対局中、観戦記者から、扇子へのサインを求められるという珍事があった。

真剣勝負の中、どんな厳しい態度を取っても当然のところ、彼は依頼に応じ、扇子にサインをした。

後で「驚きましたが、10~15秒で済むことでしたから」・・・。

これは、余程、余裕がないとできない言動である。が、大人物には欠かせない要素、と教えられる。

宮本武蔵がスキだらけの構えで敵に臨んだ、剣法の極意にあるように、相手を知り、己を知る人が、余裕を持ち、
スキを作ることができると言う。

気を張り詰めて、スキの見られない人は、息が詰まるようで、なかなかうちとけられないもの。

最強、天才と言われ、一見近寄りがたいイメージがありながら、羽生氏に魅力を感じるのは、こんなところから
くるのだろう。

小学生の頃からのライバルであった森内俊之は、
「羽生の凄さは、周りのレベルも上げつつ、自分のレベルも上げるところにある。勝負の世界にいながら、
周りとの差を広げることだけにこだわっていない。」と語り、称讃している。

その森内との昨年第66期名人戦第3局では、誰もが森内の勝ちと判断して検討を打ち切った後、羽生は敗勢から
驚異的な粘りを見せて、最後の最後で森内のミスを誘い、大逆転勝利を挙げた。

その時のことを、「ずっと不利を感じて気持ちが萎えていたが、ひたすら最善手を続けた結果が、勝利を引き寄せた
のではないか」と語っている。

その凄まじさは「50年に1度の大逆転」と言われるそうだ。

ぴんと張り詰めた糸は切れる。
しなやかだが、弾力性のある糸は強い。

苦しみにあった時、いったん深呼吸して離れて見る余裕を持ってみる。
そして、最後まであきらめず、ひたすら最善を尽くす。

どんなに行く手に難があっても、明るい未来を見失うことなく、心して歩んでゆきたいと思う☆