働く主婦のじゅんこです 

自分探しから始まった幸せへの道・・いくつになっても旬な女性で生きるカギ☆

『だいじょぶかぁ~』

2020-04-06 05:52:02 | 政治・経済
『だいじょぶかぁ~』

安倍晋三首相が表明した、全世帯への布マスク2枚の配布に200億円を超す税金が使われるそうだ。

バラ蒔きだという反対や、税金の無駄遣い等、異論も噴出だが、「皆さん、マスクでお黙り!」とばかりに
実行されるよう。

情報さえあれば、不器用な私でも1分間で作れるマスクもある。

ソフトバンクグループの孫正義社長は、海外の工場から調達したマスク100万枚を、優先度の高い
医療機関や介護施設に寄付するという。
民間の方が、よほどスピード感があり、まともな感覚だと思うのは、私だけだろうか。

小池都知事は「密閉、密集、密接の、濃厚感染の危険性のある夜の繁華街へ行くのは控えて」と注意
喚起している。

しかしそれより「夜の繁華街は閉店せよ、その減収分は補償する」と言った方が、分かりやすく実効性
があるのではなかろうか。

一日の売り上げで、浮沈がかかる小規模の店や、一日の仕事を欠けば、生活に支障が生じる人達も
いる。補償さえあれば閉店できる、そんな人達の声は、どこまで国に届いているだろう。

「現場の感覚がないと提言も説得力はないし、解決もできない」

危険な紛争地域に足を運んで活躍した、あの国連難民高等弁務官の緒方貞子さんの現場主義こそ、
今の政治家に必要ではなかろうか。

医療現場は、感染爆発となれば医療崩壊するのでないかと戦々恐々としていると言う。呼吸器や、
体外式膜型人工肺のエクモは足りるのか、集中治療室などの医療体制は、ドイツに比べて6分の1と
言われている。

何に税金を使えば、生かされるのか、私達も無関心であってはならないだろう。

それにしても、200億円かけて、布マスク2枚なんて。。。
誰だって、声を挙げたくなるじゃないか。
『だいじょぶかぁ~』

ミサイル発射

2013-04-11 09:33:40 | 政治・経済
北朝鮮の中距離弾道ミサイルの発射に備え、国際社会の厳しい監視が続いている。

金正恩氏の労働党第1書記就任1周年に合わせ、いつでも発射できる状態にあると
言う。

どこか、思い出させる風景ではある。

そうそう、子供がおもちゃを握り、それを誇示すべく周囲に「見て、見て」と言っている、
あの頃の風景だ。

そのおもちゃが、カッターナイフであったなら。。。

周囲が驚いて「危ない、危ない」と血相変えて注目するだろう。
その過激な反応を喜び、ますます「ほれ、ほれ」とナイフを振り回すドヤ顔。。。

どう考えても、大の大人がすることではないのである。

己の欲で、周囲の生命を脅かす、おかしな光景が今も続いているのだ。

そんな権力者に追従する国民も哀れであり、それに踊らされ、莫大な人力、経費をかけて
24時間態勢で監視を続け、不安にさらされている隣国もまた、迷惑である。

多くの歴史が物語るように、一部の人の利害関係で始まる戦いの始めはそんなもの。
その終結は悲劇以外にはない。

日本でも先の太平洋戦争で多くの若者が「お国のため」と志願して、勇猛果敢に戦い散った。

敗戦となり、多くの戦友が雲の墓標と消えていった、あの戦争はいったい何だったのだろう。。。
問いかける人は今も多い。

人智をかけて、確信をもって断行したことでも、振り返れば、夢、幻のようなもの。

「煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、よろづのことみなもってそらごと・たわごと
真実あることなし」。。。

三世十方を貫く真実なしの凡夫のまことが、今も知らされるばかりである☆

民意読まぬ独裁者

2011-03-05 06:39:40 | 政治・経済
チュニジア、エジプト、リビアと北アフリカで相次ぎ、反体制派の激しい動きが続いている。

いずれも、民意と大きくずれた独裁者の演説が、民衆の怒りをあおり、自ら墓穴にはまっていく
パターン。。。

「新聞もテレビも、邪魔だから見ないようにしている」。

これは、エジプトのムバラク前大統領の口癖だったと言う。
情報は質量とも、側近からの報告で十分、というおごりだろう。

しかし、強圧的な統制で情報を独占していたつもりが、最終局面で正確な情報が入らず、身動き
が取れなくなる逆説的な展開に。。。

チュニジアのベンアリ前大統領も、正確な情勢が読めず、ついに軍に退陣を迫られ、国外へ逃亡
した。

「我が国はチュニジアやエジプトと同じ失敗は繰り返さない」。

リビアの最高指導者カダフィ大佐の次男で、有力後継者のセイフ氏は、テレビ演説でこう強調し
たが、やはり同じ坂を転げ落ちている。

なぜ、独裁者は、同じ破滅の道をたどっていくのだろう。
こんな末路は、今までも歴史が繰り返し教えているのに。。。

共通している一つは、「民意を聞かない」こと。

聞けば、都合の悪いことが一杯出てくるから、耳を貸さない。

もともと自分の思うままに何でもできる権力を持っているのだから、聞く必要がないのだろう。
だから、ますます民意とかけ離れ、裸の王様となっていく。。。

だから、もし、ここで命を賭して諫言する者あれば、破滅の道を案じてくれる真の忠臣と、
感謝せねばならないのである。

誰だって、褒め言葉は嬉しいが、注意や指摘は聞きたくない。
それが分かるから、できるだけ他人に、注意や指摘はしたくない。

でも、もしその言いにくい注意を、あえてして下さる人あれば、自分の未来を、心から案じて
下さる恩人なのだ。

そんな恩人に対し、不本意だと怒り、遠ざけることあれば、やがて独裁者の末路を、身をもって
知らされることになるだろう。

翻って、「蔭にでも云ってもらいたい」と、陰口でもいいから、聞いて心中を正したいと請われた
蓮如上人。。。
その御心を偲べば、雲泥の差に、まずます尊く仰がずにおれない☆

柳田法相の更迭

2010-11-24 22:58:01 | 政治・経済
22日、「国会軽視」発言の責任を問われ、柳田稔法相が事実上更迭された。

ことの発端は14日、地元広島市で法相就任を祝う席でのこと。。。

「法相とはいいですね。二つ覚えておけばいいんですから。。。」

国政を、二通りのマニュアル答弁で切り抜けるなんて、冗談でも言えることではない。
これでは失言を通り越し、大臣の資質を疑われて当然だろう。

今夏の参院選で3選し、県内の民主党議員として、初の入閣を果たして2カ月。。。
身内が集まって開かれた就任祝いの席で得意満面、つい「気を許しすぎた」らしい。

しかし「ジョークのつもり」で言った言葉が、どうしてこれほどまで厳しい世論を受け、
更迭に至ったのか、本人は今でも納得しているのだろうか。

実はこの「気を許した」時に出る言葉が、曲者なのである。

5月の総選挙で政権を失った、英国のブラウン前首相。。。

投票日の直前、会合で支持者の女性に移民政策で問い詰められた。
その場はおだやかに退席したのだが、車中で「頑迷な女め!」などとののしった上、
「なんでこんなバカな会合を設定したんだ」と側近を罵倒した。

その声が、なんと胸から外し忘れたテレビ局のマイクに、しっかり拾われていたのである。
覆水盆に返らず。。。

人前ではにこやかに話していたのに、車に戻ったとたん、悪口罵倒する指導者に、有権者の
心は一気に離れ、彼が率いる労働党は敗北したといわれている。

車の中は、密室であり、側近はいわゆる味方。。。
つい気を許しすぎて、怒りを爆発させたのだろう。

国民の前や、テレビの前では神妙に話していても、身内の前や一人になると豹変する。
よくあることだが、これがその人の「本音」であり、日頃、「思っていること」なのだ。

だから、それが公然と曝されれば、世論が許さないのは当然なのである。

しかし、これは政治家だけのことではない。
たとえば、家の内と外が同じ振る舞いの人は、どれだけいるのだろう。

その昔、電話の受話器を置くとトーンが下がる私に、幼い子供達は畏れるように目を丸く
して私を見つめたものだ。。。

心の内をうっかり見せて失脚する人、隠し通して資質ある人。。。

正も邪も、我が都合の世とつくづく知らされることである☆

嫌われる人

2010-09-17 06:50:23 | 政治・経済
14日、民主党代表選で、菅首相が大差で小沢氏を破り、再選された。

指導力を評価される小沢氏だが、「政治とカネ」の問題から逆風を受けて、大敗した。
自分の政治資金を巡って元秘書らが3人も起訴されながら、国会の場で一度も釈明をしない。
記者会見でも、回答を拒む。

言葉でしか伝えられないのに、言葉を発しないその姿に、誰が誠意を認められるだろう。

いつの時代も、誰が総理になっても、政治家たるもの「国民のための政治」に徹してもらいたいもの
である。

大正11年、2月9日のこと。。。
東京・日比谷公園で、総理大臣を務めた山県有明の「国葬」が営まれた。
しかし、文武の高官の欠席者は多く、国会議員も数えるばかり。。。
棺が葬場に向かう沿道で、弔旗を掲げている家は稀だったと言う。

翌朝の新聞は、様子をこう伝えている。
「議会でも協賛した国葬だのに、この淋しさ、つめたさはどうした事だ」。。。

これより20日余り前の1月17日、同じ日比谷公園で、大隈重信の「国民葬」があった。
詰め掛けた人のあまりの多さに、3時過ぎには正門が閉ざされた。
その数、なんと30万人にのぼったと言う。
埋葬までの沿道は150万人で埋め尽くされ、葬儀から1ヶ月を経てなお、1日3000人余りが墓参したと
言われている。

日を置かずして行われた、政治指導者の、この2つの葬儀。。。
何がこれほどまで対照的にさせたのだろう。

山県有明という「政治家」は、執拗なまでに烈しい「権力欲」で貫かれた人と言われている。

自分以外に国政を担当し得るものはないという強烈な自負は、「権力」を持つほど、他を寄せ付けず、
その欲の恐ろしさも増幅する。

いつの時代もどこの国でも、そんな権力者にとっては、側近も民衆も、ただの支配の対象にすぎない。

だから、相手の立場に立たず、己の欲に執着する我利我利亡者は、いつの世でも嫌われるのだ。

好かれるのは、相手も生かし己も生きる、自利利他に徹する人である。

死後、非情なまでの「死んで喜ばれる人」と、「いつまでも死を悼まれる人」の数の多少は、その人の
生き様が示す数値でなかろうか。

仏教では、我利我利亡者の未来は、この世だけでなく後生、暗黒の地獄と教えられる。

では、光明輝く浄土に向かう者はどうあるべきか、それは自ずと知られよう。。。

今日も教えを心に刻み、真摯に、光に向かって進ませて頂こう☆

関連ブログ http://www.bwcreativegroup.com/?p=158

民主党代表戦の人間模様

2010-09-01 21:53:20 | 政治・経済
菅首相と小沢前幹事長が、全面対決することになった民主党代表戦。
物別れに終わった昨日、それぞれが出馬表明した。

小沢氏が最も語気を強めたのは、「私は協力しないなどと一度も言ったことはないし、どんなことでも
協力して参りたい、その気持ちは変わりありません」。。。

一方、菅さんは、同じ表明の中で小沢氏について「ようやく会えた」と言っている。

「ようやく」とは、裏を返せば、なかなか会えなかったということ。
だから今さら「協力して」なんて聞いても、なんだか、白々しい。

民主党を二分する実力者が、もし「協力すべき」と本気で思っていたなら、難局打開に向かって、
とっくに会って話し合ってしかるべきでなかろうか。

それを、まことしやかにのたまう神経が、まず常人を逸している。

政治というより、政治家が面白いと思うのは、建前を本音のようにまかりとおす図太さにある。
あるいは思いと言葉の乖離に気づかない。
そうして「国民の為」という大義に隠れ、利己に終始する善人たち。。。

だから、織り成す人間模様が、人生の縮図となって、つい見えてしまうのである。

日本を動かす、最高権力に固執する強欲と、それを妨げられ、思うにならぬと吹き上がる怒り。。。

これは、評価が低いにかかわらず再選にしがみつく首相と、先の選挙で大敗し怒り心頭の前幹事長
の姿が重なる。

また仲介役として、のこのこ出てきたのが、内政、外交で迷走を重ね、カネの問題で首相を辞任した
鳩山氏。

菅支持から小沢支持に一転し、矛盾に満ちた鳩山氏は、結局、前面対決を避けられず、
「ボクはいったい何だったんでしょうね」。。。

それは、こっちが聞きたいセリフである。
が、これこそ愚痴の心でなかろうか。
もともと「宇宙語しか話せない伝書バトはダメ」なのだ。

1年生議員も、どっちにつくかで、自分の将来が決まるとヒヤヒヤして、動向を見極めている。

国民のために命をかける、なんて威勢のよい選挙の声はどこへやら、これらの醜態に、国民不在を
憤る人は少なくない。

「煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、万のこと皆もってそらごと・たわごと・真実あることなきに
 ただ念仏のみぞまことにておわします」

親鸞聖人のご金言が身に沁みる。
政治も経済も科学も医学も、すべての営みは人生の目的達成に向かうため。。。

これは古今東西、変わらぬ聖人のメッセージ。。。
迷いの世情を見るにつけ、深く受け止めずにおれない☆

「最小不幸社会」

2010-08-09 07:22:29 | 政治・経済
菅首相が、就任当初に掲げた「最小不幸社会」。。。
これは、「国民が不幸になる要素を少なくするのが、政治の役割」と言う。

何だか後ろ向きというか、消極的な感じもするが、案外、実感として受け入れられて
いるのでなかろうか。

今春の大学予定者で、就職も進学もしていない「進路未定者」が、5人に1人に当たる
10万6000人。。。。
就職先がないと留年する人もほぼ同数と言われている。

若い世代だけではない。
100歳以上の高齢者の所在不明が、次々に明らかになり、虐待死の子供の数が増え、
殺伐とした家庭崩壊が身近に危惧されている。

今日、社会に漠然と広がっている「不幸」気分。
「一億総中流」だった日本社会が、いつの間にか「一億総不幸」になってしまった。。。。

戦後生まれの「戦争を知らない子供たち」は、「平和な世に生まれて幸せな子たち」と、
言い聞かされて育ってきた。

それを「幸せ」と感じていたかどうかはともかくも、学生時代、自由を謳歌した彼らは、
社会に出ると、日本を背負う気概を持ち、その多くが馬車馬のごとく働いた。

そのエネルギッシュで統率を得た労働力は、日本経済を押し上げて、世界も驚く右肩
上がり。。。
あっという間に、世界のナンバー2まで躍り出た。

働きバチ、ウサギ小屋など、海外からの妬み、嫉みのバッシングにもめげず、長期の
単身赴任を、ものともせず、過労死で倒れる戦友の屍をも乗り越えて、ただひたすら
走り続けた日本人。

その先に見る夢の経済大国に、世界に輝く幸福な姿があったに違いない。

ところが、である。
行き着いた日本が、思いもよらぬ「一億総不幸」であったとは。。。

退職を迎えた団塊世代の先輩達は、今の日本を、どんな思いで見ているのだろう。

平和が当たり前になり、豊かな経済に甘え、孤独な心が、貧しさに泣いている。
周囲は、真実を求め、本当の幸せを探し、聞きたい人で溢れている。
独り、安んじて済むことではない。
寸刻を惜しみ、お伝えする秋は今と、ますます奮起せずにおれない☆

関連記事「今こそ親鸞学徒の心意気」http://www.bwcreativegroup.com/?p=26

「友愛」の躓き

2010-06-04 05:56:39 | 政治・経済
「国民が徐々に聞く耳を持たなくなった。残念でならないし、私の不徳の
致すところだ」。。。

ついに辞任を表明した。
「友愛」が何をめざしたのか、よく分からずに、終わってしまった。

理想だけなら、何を言っても自由だが、実現する厳しさを思えば、軽々しく
言えない言葉はいくらもある。

我利我利の凡夫が、相手の幸せを願って、平和な社会を作り上げることは、
なんて難しいことだろう。

私欲を離れて、国家のため、国民の為、他人のためと尽くせたら、どんなに
素晴らしいことか。

しかし、そんな政治家を望むなら、まず自身が、家庭という社会で、どんな
振る舞いをしているか、顧みると、どうだろう。

果たして、生涯「続投だ」と家族の信頼を得て、日々安定した幸せを築く行為
をしているだろうか。

「行き違い」「思い込み」「勘違い」。。。
身近な家族でさえ、様々な私欲が「友愛」を簡単に実現させないことに気づか
される。

やってみてこそ、理想の甘さや、実現の厳しさを思い知らされるもの。

まして、愛する家族でない、他人ならなおさらである。

誰でも自分の頑張りを認め、受け入れてもらえれば、どんなに嬉しいだろうが、
現実は厳しく、なかなかそうはいかないものだ。

やった行為の結果は、その人自身にあらわれるのだから、その頑張りを他人が
認めようが、認めまいが、もともと関係ないのである。

それを、なんでわかってくれんのだ、と腹を立てたり、相手に背を向けては、
因果の道理で、ますます孤独で苦しくなるだけ。。。

聞く耳を持たなくなった国民を責めず、自身の不徳を責めるのは当然であるし、
本音ならば、救いともなるだろう。

しかし、立場が変われば、同じこと。
置き換えてみて、自ら反省すべきことが多々見えるものである☆

善人の言葉

2010-01-16 23:16:57 | 政治・経済
「皆さんに、若干のおわびを申し上げなければならない」。
自らの政治資金問題について、小沢幹事長がこう「陳謝」したそうだ。

「お詫びしなければならない」という言葉が、「陳謝」になるのかどうか。

「せねばならぬ」という言い方からは、自分が悪いという気持ちは伝わってこない。
正義が悪者にされて、なぜ謝らねばならんのだ、という抗議と憤懣を感じてしまう。

だから「若干のおわび」を「しなければならない」と声を張り上げられると、ますます
引いていくのである。

どうも、言語と認識の間にズレのある人は多いようである。

「違法性の認識は私にはございません」。
母親から巨額の資金をもらって、すんなり述べた人もいる。

自分に不利な事実は、事実無根と認識してしまうようだ。

本人は、心のままを言っているから偽りはない、と思っているのだろう。

だから、こんな人ほど、「間違いない」とか、「本当に」とか「私を信じて」と主張して、
その矛盾や欺瞞を指摘されると、驚くほど憤慨してくるのである。

自分の言ってることは正しいと思い込んでいる人は、結構多い。

「同情するなら金をくれ」
かつてこのセリフでヒットしたドラマがある。

どんなに同情して優しい言葉をかけたところで、「その同情心を金で示せ」と迫られたら、
どれだけ金を渡せる人がいるだろう。
言葉と裏腹の本音が、やってみてこそ知らされる。

善を実地にやらねば、汚い本音にかすりもせず、いつまでたっても、その場限りの善人様
で、一生世渡りにあくせくして終わるだろう。

実地に光に向かう悪人が、本当の幸せに近いことと知らされる☆

教えで世界をリードする

2010-01-12 09:01:34 | 政治・経済
銃を乱射し、あたり構わず撃ち殺し、追い詰められた犯人は自殺する。。。
アメリカでこんな衝撃的な事件が、最近も報道されていた。

超大国であり、世界をリードするアメリカ。。。

しかし、こんな無茶な銃の撃ち合いが、日常あることを見れば、腰に差した刀を振りかざし、
突如として殺人が、理不尽にも行われた、かつての日本の侍時代と、どこが違うのか、と
つい、かぶって想像する。

銃規制が叫ばれる一方、護身用の銃がなかなか手放せない国の事情もあるだろう。
しかし、思いのままに、人殺しの凶器が使える社会というのは、どんなだろう?
武力をもって暴力を制する、これも。。。

先進国と言っても、ずっと未来から、今を眺めると、やはり「野蛮」となるのでなかろうか。

日本はそのアメリカと同盟を結び、経済発展を遂げ、刀や銃を持たずとも平和で安全な国を
築いてきた。

ある意味、文化国家として、一歩リードする自負を持っていいはずだが、なぜか自信喪失し、
元気がないように見えてしまう。

アメリカに次ぐ経済大国であり、少なくともいつ銃を乱射されるか、戦地へ徴兵されるかという
不安はないのに、心安らかでなく、苦しみ悩みが深刻化しているのは、自殺の増加を見ても
明らかである。

こんなに物に恵まれ、平和や利便を享受した国民が、なぜ自信を持てず、幸せになれないの
だろう。
苦悩の原因は、どこにあるのか。。。

オカシイくらい、ここに切り込む識者や学者がいないのだ。
と言うより、切り込みたくても分からない深い大問題。。。

その根本原因を根底から抉り出し、その解決を教えられたのが、仏教なのである。

軍事力で解決しようが、経済力で果たそうが、究極的に、世界が求める目的はこれ一つ。
すべての人が、渇望するのは、苦悩の根元の解決をし、未来永遠の幸福を得ることだから。。。

一人一人が、人生の目的を果たしてこそ、よくぞ人間に生まれたものぞ、と大歓喜に命が輝き、
自殺や人殺しはなくなり、何を持たずとも、究極の自信を持って生きていけるのだ。
真の世界平和も築かれる。。。

だから、それを知らされた日本の親鸞学徒は、教えで世界をリードする、大きな使命があると
思う。
今こそ、平成学徒の心意気ここにあり、と光に向かい、使命に燃えて、努力惜しまず進ませて
頂こう☆