働く主婦のじゅんこです 

自分探しから始まった幸せへの道・・いくつになっても旬な女性で生きるカギ☆

アンパンマンマーチの示唆するもの

2011-03-22 08:10:16 | アニメ
未曽有の被害をもたらした東日本大震災。。。

爪あと残る被災地で、アンパンマンマーチが流れていると言う。

 そうだ うれしいんだ
 生きる よろこび
 たとえ 胸の傷がいたんでも

明るいメロディに乗せられた歌詞は、子供のアニメソングで終わらない、胸に響くものがある。

 なんのために 生まれて
 なにをして 生きるのか
 こたえられない なんて
 そんなのは いやだ!

巨大地震に大津波。。。
予期せぬ大災害は、一瞬のうちに穏やかな日常生活をすべて奪ってしまった。

仲睦ましい家族も親戚も、談笑していたあの知人や友人も。。。
目の前で引き裂かれた恐ろしい光景に、癒えない深い傷を負った人はどれだけあることだろう。

今まで築いてきたすべてを失い、言葉もなく呆然と立ち尽くす被災地の人達。。。
もう二度と手にすることのできない過去を一人で背負い、あてのない未来に向かう時、人は一体
何をつぶやくのだろう。

 なんのために 生まれて
 なにをして 生きるのか

そうして、強烈に湧き上がるこの思い。。。

 こたえられないなんて
 そんなのはいやだ!

救援物資が届き、たとえ不自由さが解消しても、この生きる解答を知りたいと願う人は、きっと
いるに違いない。

 なにが君の しあわせ
 なにをして よろこぶ
 
そう、生きる目的は、しあわせであり、人はどんなことがあっても崩れない、壊れない幸福を
求めているのだから。

これは、被災者だけでなく、すべての人の究極の願いなのである。

では、そんな幸せが、この世にあるのだろうか。
あれば、どうすればなれるのだろう。

 わからないまま おわる
 そんなのは いやだ!

人生で何よりも大事なことだから、わからないままでは終われない。

その誰もが、究極に聞きたい本当の幸せを明示されたのが仏法なのだよ、と仏教の役割をはっきり
教えていかれた方が親鸞聖人なのである。

苦難にあっても、一番大事な生きる目的を知る縁となれば、歌を聴いて流れる涙は、決して悲しみ
では終わらない。

明るい未来に向かう教えがあるから、とにもかくにも一日も早く立ち直られることを願うばかりで
ある☆

「風の谷のナウシカ」

2010-08-05 09:26:01 | アニメ
宮崎駿の作品に、「風の谷のナウシカ」がある。

劇場公開は、なんと26年前の1984年。
時々テレビ放映されている。
今も通じるテーマが、描かれているからだろう。

28世紀頃、極限まで発達した人類文明が、「火の七日間」と呼ばれる最終戦争を引き起こし、
世界の殆どが不毛の地と化した。

一方、瘴気(有毒ガス)が充満する「腐海」と呼ばれる菌類の森や、獰猛な蟲(むし)が発生
する。

わずかに残った人類は、拡大を続ける腐海に脅かされながら、「中世」の時代のような生活を
細々と営んでいた。

ナウシカの時代は、その最終戦争から1000年を経た「未来」の地球。。。

映画では、公害や自然破壊などの環境問題が、話題になったようだが、原作は、映画とは
少し違った設定で、より踏み込んだ感がある。

文明の破壊と再生、族内紛争で、人間のエゴや愚かさも描かれる。

ナウシカは、時代に翻弄されながら、さまざまな人々と出会い、腐海と人類との共生の道を
探っていくのだが、ここで描かれている太古より繰り返されて来た人間の営みに、「戦争」が
ある。

実際、過去から今日まで、人類の歴史上、どれだけ戦争が繰り返されてきたことだろう。
万国で「人殺しはダメ」と教育されている現代社会でさえ。。。

おびただしいほど、無意味にばたばたと大量に死んでいく物語。。。
その中、主人公や一部の取り巻きの命は、生き延びる。

これは「風の谷のナウシカ」だけではない。

人間は平等だと、言いながら、命の尊さがはっきりしない。
だから、どの物語でも、要の抜けた曖昧さが残るのである。

この作品は、腐海の秘密を知らされ、未来に希望のあることが、ナウシカの消息に暗示されて
終わっている。

どんな愛しい人も、やがて死んでどこへゆく。。。
この命題に、ズバリ解答を教えられたのが、仏法なのだ。

ゆくべき、本当の幸せな世界を知らされ、明るい未来に向かってこそ、無意味な生が、地球
より重い生命と燦然と輝くのでなかろうか。

止まない愚かさを自己に知らされるほど、真実の救いにあえた喜び一杯、仏法を伝えずに
じっとしておれないのである☆

関連記事「ポニョの世界」http://www.bwcreativegroup.com/?p=83

「コボちゃん」と「サザエさん」

2009-10-16 10:10:18 | アニメ
読売新聞の朝刊、4コマ漫画「コボちゃん」。
主人公コボちゃんの下に、弟か妹が生まれる展開となり、反響が広がっているそうだ。
コボちゃんの田畑家は、1882年の連載開始以来、両親と祖父母の3世代家族。
今日まで、9765回という連載の間、親類の竹男が居候していた時期を除けば、ほとんど
家族構成に変化はなかった。

つまり、約27年間、人間ならば、32歳になっているところ、コボちゃんはずっと5歳であり、
ようやく1つ、お兄ちゃんとして年を重ねることになったということである。

チョコレートのCMだったか、サザエさんの家で、法事が営まれていたシーンが放映され、
はっとしたことがある。
カツオやワカメ、タラちゃんやイクラちゃんが成人していたので、祖父の波平か、祖母の
フネか、あるいは2人の法事だろうか?

製作者によると、2人とも存命だという。
が、見た時は、いつまでも変わらないと思っていたサザエさんの家族に、いきなり変化を
見て動揺してしまった。

元気に生きていた人が、亡くなっていく。
どこにもある当たり前の風景なのに・・・。

マンガは、登場人物が年を取らず、変わらないことに、安心感があり、愛着も生まれて
くるのだろう。
白髪頭で、ヨボヨボに衰えたサザエさんが、出てきたら、驚いて、きっとがっかりするに
違いない。
そう、マンガの主人公は、基本的に年を取ってはいけないのだ。

人は、変わらないものに安心する。
だからこそ、永遠不変のものを探し求め、マンガに夢を見るのだろう。

では、変わらぬものとは何か、愛か、自分か、それとも・・・・。

永遠のテーマでありながら、人はいまだ暗中模索の中にいるのでなかろうか。

不変の真実の幸福を「無碍の一道」とあきらかにされたのが、世界の光、親鸞聖人。
毎年、11月のご命日をご縁に、各地で報恩講が勤められる。

二千畳では、「無碍の一道」の歎異抄第7章と、演題が決まった。
心して一人でも多くの人と共に聞かせて頂きたいと思う☆

究極の備えあれば憂いなし

2009-10-05 07:17:15 | アニメ
誰の何のマンガだったか忘れたが、印象に残るものがある。

人間の命のともしびが、見えるようになった話。

まだまだ寿命のある人は、その頭の上にぽっかり浮かぶ命の火は、盛んに燃えている。
だが、先の短い人の火は、今にも消え入りそうで、いかにもはかない。
勿論、当の本人は、鏡を見てもわからぬ。

何かのきっかけで、そんな命のともしびが、見えるようになった人の恐ろしい話であった。

なぜなら、飛行機に乗る行列の人たちの頭上の灯火が、一様に消えかけていれば、その
飛行機は、墜落して、全員即死ということだし、いくら、目の前の元気よい人でも、見える
火の状態によって、その寿命が分かるからである。

さて、自身の余命が分かれば、どんな気持ちだろう。

昨日、自民党の中川昭一元財務・金融相が、急死した。56歳という。
今年2月、先進7ヶ国財務相・中央銀行総裁会議のもうろう会見で、批判を浴びて辞任。
衆院選でも落選した。

死因は分からない。が、再起を誓っていたと言う。
まさか、こんなに早くこの世を去らねばならないとは、本人も周囲の人も、夢にも思って
いなかったに違いない。

誰もが、そう信じているように・・・。

先月だったか、人生案内に、「夜になると死が怖い」という相談が寄せられていた。
毎晩、決まって死について考えると言う。いつか死ぬと思うと恐ろしい、息が荒くなり、
過呼吸になってしまうことも・・・。辛い死の恐怖がつづられていた。

それに対して、心療内科医の答え。
誰でも初めてのことは、何でも怖い。また、情報がないことにも恐れを感じるもの。
死は、未経験で、情報がなく、二度と帰ってこれないのだから、怖くて当然です。
恐怖を感じるのは、人が人である証。それが15分以上にならないためにも、昼間
精一杯、身体を使い動かしておくことも大事です・・・・というようなものだった。

答えにならない答えであるが、全人類が、二度と帰ってこれない、未知で情報の得られ
ない死後の世界なのだから、仕方がない。
人の智恵の限界というものだ。

その人智を超えた、仏の智恵で、あきらかにされたのが後生の一大事である。
今日も、突然の「死」を迎える人は、幾十万とのぼるだろう。
一刻も早く、仏法を聞いて「後生」を知り、その解決あってこそ、地震や台風、事故や
病気の何があっても、究極の「備えあれば憂い無し」の大安心を手にする人生が開ける・・・
人生案内に寄せた人にも、ぜひ伝えたいことである☆

世界に誇る日本の「アニメ」

2009-09-11 06:30:17 | アニメ
「マンガは頭を悪くする」という驚くべき偏見を持っていた母は、中学に入る頃まで、
マンガ本や雑誌を与えてくれなかった。

友達や親戚の家に行っては、貪るように読んでいたのを思い出す。

中学の時、初めて買ったのが、池田理代子の『ベルサイユのばら』。
まさに目からウロコで、歴史の好きだった私は、史実に基づいたロマンにすっかり
魅了されたのだった。

60年代半ばまで、少女漫画の描き手の中心は男性だったそうだが、70年頃、新人
投稿制度の創設で、女性の描き手が一気に増えたという。

女性の手による少女マンガは、漫画の枠を超え、全く新しい表現分野を開拓していった。
そういう意味で、文学をしのぐ勢いがあった、と言われている。

確かに、当時の少女漫画には、「ベルばら」のオスカルに見る男装の麗人だけでなく、
SF、歴史ロマンにファンタジーなど、あらゆるテーマが描かれていたと思う。

1970年と言えば、「こんにちは、こんにちは、世界の国から~」で始まる大阪万博の
歌が、頭の中をエンドレスで流れる平和な時代・・・。

マンガという新たな表現手段を得た、戦後生まれの女性達は、この豊かな時代に、
生き生きとその才能を、開花させていったのだろう。

いまや、「マンガ」や「アニメ」は、国際的に通用する言葉となり、日本文化の一つと
なっている。

その数ある作品の中で、日本が誇るアニメを、どれだけの人がご存知だろうか。
親鸞聖人の生涯を描かれた、見るたび新たな感動に打たれ、心に輝きが増すアニメ。

どんな名作も届かなかった「なぜ生きる」のテーマが、ここにあきらかにされている。

日本だけでなく、世界の思想家も、アッと驚くに違いない。
マンガも読んでみて偏見が正されるように、何事も「百聞は一見にしかず」。
ぜひご覧あれ☆

千里の道も一歩から・・・

2009-09-08 23:13:52 | アニメ
秋の日はつるべ落としと言われるが、あっと言う間に、ブログも書きたいと思いつつ、
4日空いてしまった。

仕事の優先順位からすると、どうしても後回しになってしまう。
これも仕事と、本気で定まれば、続けて書けるのだろうけれど。

原哲夫が47歳の時、作画を担当した『北斗の拳』。
彼は、原作者である武論尊の文字原稿をもとに、顔や目、眉毛の形や太さに至るまで、
徹底的にこだわり、キャラクターを作った。

細部まで描きこむには、時間もかかる。飲まず食わずで机に向かい、1週間のうち、
1日半だけ泥のように眠り、あとは徹夜で「死ぬ気で描いていた」と言う。

その代わり、命を削って作り上げた主人公ケンシロウの盟友レイ、兄ジャギなどの
キャラクターは、連載終了から20年以上たった今でも、新たなストーリーを得て作品を
生み続けている。

イチローが大リーグ通算2000本安打達成したらしい。
「2000本」と一口に言っても、「1本」「1本」の積み重ね。
1年365日、全試合があったとして、欠かさず毎日ヒット1本打ち続け、5年半かかる2000本。
渡米してまだ8年だから、いかに凄い記録かわかる。

過去を振り返らず、無心に前を見て、目の前の「一球」に精魂込めた結果に違いない。

どんなに大変でも、仕事となれば、死ぬ気になって継続も、不可能も可能となっていくのだろう。
いずれも活躍の舞台は異なるが、仕事の完成度にこだわるプロ意識は見習うべきだと思う。

まして、これ一つ発信したいという強い思いがあるのだから・・・。
甘えや怠け心は振り捨てて、やっぱりできる限り書いていくことにしよう☆

おひとりさまでも楽しい老後

2009-07-04 06:49:07 | アニメ
1973年、絵本に登場し、88年からテレビアニメ化された「アンパンマン」。
長女が初めて接したアニメである。
2歳になる前、「アンパンマン」と言えず「アンマンマン」と早口で言っていたのを可愛く思い出す。

生みの親である、やなせたかしさんが、今年90歳を迎えた。
当時、既に70を越えていたのか、と思うと若々しい感性に驚きである。

さぞや健康な人かと思いきや、心筋梗塞や、糖尿病、腎臓ガン等の大病に罹り、93年には、最愛の妻を亡くされている。

それでも「人生を楽しく生きようと思えば、楽しくなる」のだそうだ。

幸、不幸は、気の持ちようと言うことだろう。
老いても社会の一線で活躍されている人だけに届くものはある。

普通、年を重ね、肉体的に衰えを感じると、精神的に参ってしまうもの。

病だけでなく、肉親を亡くしたり、子供や孫の新たな心配が浮上したり、経済的困窮に直面したり、
今まで無かった苦難が押し寄せてくる。

打開しようにも、若い時のような行動力は奪われ、「そのうちいいことあるさ」「楽しくいこう」なんて、
なかなか楽観的に思えないもの。

大体「そのうち」のあてもないし、振り返っても「楽しいことなんてあったかな」というのが実感でなかろうか。

「若い」という最大の武器を持っていた今まででさえ、そうなのだ。
「老い」という大きな負の要素を抱えながら、「そのうちに」と未来に楽しみを描き、今が「楽しい」と思えるのは、
相当の人である。

世間では、こんな人を「老いの達人」と言うのだろう。

老苦とうまくつきあって、どんなに楽しめても、悲しきかな、いつまでも続くものではない。
すべての人は死んでいく。
願わくば、いよいよ死ぬとなっても変わらない明るい楽しい心であり続けたいもの。
これが全人類の求めてやまない究極の幸せでなかろうか。

それを教えられたのが仏教なのである。
老いや病で、どんなにままならぬ事態にあっても、そばに誰もいなくなり、たった一人で死んでいくとなっても、
「おひとりさま」で喜べる明るい楽しい世界の現存を示されているのだ。

「老いの達人」に、自身の夢を無理に重ねて描くより、「人生の達人」めざして、思い立った今、
仏法を聞いてほしいとすべての人に願うばかりである☆

手塚治虫「日本発狂」のメッセージ

2009-04-20 06:22:26 | アニメ
「アニメの巨匠」と聞けば、今の子供達は宮崎駿と答えるだろう。

昭和の子供達に問えば、手塚治虫だ。

残された700にものぼる作品は、枚数にすると15万枚になると言う。
1日1枚描き続けても411年。1日10枚で41年。
いかに膨大なアイデアに溢れていた人であったか、凄さがわかる。

その彼の作品「日本発狂」に、こんなシーンがある。

『夜のベンチに腰掛けた若い男女。「なぜ、生と死があるんだろう?」と男に問われ、
「わかんないわ・・・。」困惑する女性』

手塚作品には、考えさせられるシーンがいろいろありますが、人間の持つ本質的な問いは、
これに尽きるのではないでしょうか。

なぜならすべての人の究極の願いは「いつまでも死なないこと」でしょう。
死ぬのは恐ろしい。誰もが一番避けたいのは「死」。これに例外はありません。

ところが、その一番避けたい嫌な「死」に向かって人々は一分一秒休みなく進んでいる・・・。
結局「生きる」ということは、せっせと「死」に至り着く過程に過ぎないのです。
絶対死にたくないのに必ず死なねばならない。

世に矛盾はいろいろあっても、これ以上の大矛盾はありません。
ここに人間の逃れられない大苦悩があるのです。

「なぜ、生と死があるんだろう?」
「やがて死ぬのに、なぜ生きる?」

すべての人にとってこれほど知りたい切実な問題はないでしょう。

手塚氏は「本当に大切なもの、必要なものは何なのか、じっくり考えなければならないギリギリの地点に来てしまっている」
と言っています。

死を見つめてこそ、本当に大切なもの、必要なものは何なのか解くカギがありましょう。
そしてそれは仏法にあきらかにされているのです。

手塚氏が、本当の仏法までたどり着けば、どんな作品が遺されただろう・・・。

生誕80周年を記念して開幕した「手塚治虫展」。
遺された膨大な作品を前にちょっと想像してみたくもなるのでした☆

『ブラック・ジャック』の思い出

2009-04-17 06:27:26 | アニメ
手塚治虫の好きな作品はいろいろあるが、衝撃的だったのが「ブラック・ジャック」。

主人公は、黒マントにツギハギ顔の天才無免許医師。
死の危機にさらされた重症の患者を、いつも奇跡的に助ける。
しかしその代価に、莫大な治療費を請求するので、医学界では、その存在すら否定されていた・・・。

人里離れた荒野の診療所に、命を助けた助手のピノコと、ひっそり暮らすブラック・ジャック(B・J)。

彼の元には、あらゆる医者から見放された患者たちが、最後の望みを託してやってくる・・・。

連載初期の作品に、こんな話があります。

『横田基地へと赴いたB・Jは、戦場で心臓に弾丸の破片が突き刺さった大佐の息子を救ってくれと頼まれる。
この息子はアナフィラキシー(過敏症)で、麻酔にも拒否反応を示し、全身を痙攣させる。B・Jは電気麻酔法を試み、手術は成功した。
が、やがて戦死する命に何の価値があるのだろうか……。』

延命は医学の目的と言えるでしょう。
しかし、延ばした命で何をするか?
これが分からなければ、「どうせ死ぬのに、(こんな苦労してまで)なぜ延命?」となってしまいます。

生と死の境界線で必死にメスをふるうB・Jも、そんな医学の限界を感じていた。
だから、常に苦悩の中で生きるしかなかったのです。

「なぜ延命?」の答えのある仏法を知らなかった当時は、ブラック・ジャックのニヒリズムに日々の虚しい自身を重ね、
救いはどこかと探していた・・・。

今は懐かしく思い出される青春のひとコマです☆

『鉄腕アトム』に思うこと

2009-04-16 06:50:18 | アニメ
「鉄腕アトム」は1951年から1968年まで「少年」に連載された手塚治虫の代表作。
1963年には、日本初の国産テレビアニメとして放映され、最高視聴率40.7%を記録しました。
十万馬力と心を持つロボット少年・アトムは、21世紀を舞台に、様々なロボットや人間たちとの出会いを通じ、成長していきます。

21世紀の今日、ロボット開発において世界一を誇る日本。
20世紀に見たアトムに影響を受けた科学者も少なくないのでは?と思われます。

人間を守るために戦うテレビのアトムに一貫して描かれたのはヒューマニズムでした。

しかし、原作には、何か問題が起こるとすぐに「ロボットなんかやっぱり信用できない」と迫害されたり、
都合のよい時だけ頼ってくる人間達に振り回され、疲れて家出するアトムが描かれています。

ロボットと人間、両者の立場を理解しつつ、アトムは悩み続けるのです。
そして壮絶な最期・・・。

そんなアトムに人間のエゴや、繁栄をもたらす科学が破壊を生むパラドックスを見るのは、
考えすぎでしょうか?

20世紀に、人々の幸福を願って生まれた「科学の子」アトム。

すべての人の願いがかなう教えが実は仏法にあるのです。
その仏法が栄える幸せな未来に向かって、遠くアトムは飛んだのだ・・・。
そう信じて願わずにおれません☆