働く主婦のじゅんこです 

自分探しから始まった幸せへの道・・いくつになっても旬な女性で生きるカギ☆

「助かる命」

2020-04-12 05:49:00 | その他
医療現場からの悲痛な声より~

ここ数日でコロナウイルス感染症の患者が急増している。
コロナ病床は満床になり、重症者も出て、既に医療崩壊のシナリオも想定され始めていると言う。
報道よりも、一般の人達が思っているよりも、現実は非常に厳しい。
近い将来、本来助けられるはずの命が助けられなくなる。
このまま感染が拡大すれば、「助ける命を選択する医療」にシフトしなければならない。
それが本当に悲しい。。。
現場の医師の悲痛な叫びである。

「助かる命」であっても「命の線引き」せざるを得ない悲惨な状況。。
この痛みを知る人は、あっても少ないだろう。
イタリアでは100人以上の医師が、最前線で感染して亡くなっている。
命を守るために、命をかけたメッセージを、一人一人が真剣に受け止め、感染防御を守っていか
ねばならないと切に思う☆

「疫癘」

2020-04-11 06:11:13 | その他
飢餓 疫病 戦争(暴力)
人類を悩ませ、世界が取り組んできた大きな問題がこの3つ。。。

飢餓は今も5秒に1人の子供が餓死していると言われている。
新型コロナは、今や世界の脅威になっている。
14世紀に起きたペストの大流行では、当時の世界人口4億5000万のうち約1億人が死亡したと言う。

見えない細菌や新たなウイルスとの戦いは、今後も続くのだろう。

蓮如上人の時代も例外ではなかったようだ。

「当時このごろ事のほかに疫癘とて人死去す。
 これ更に疫癘によりて、はじめて死するには非ず。
 生まれはじめしよりして定まれる定業なり。
 さのみ深く驚くまじきことなり」 (御文章4帖目第9通)

人類が常に取り組んでいる問題は「どうしたら死なずに済むか」ということだが、この問題に成就は
ない。生まれた時から「死」は定まっていることだから。。。

では、やがて必ず死ぬのに、なぜ生きるのだろう。

「誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世稀有の正法、
 聞思して、遅慮することなかれ」  (教行信証)

死が来ても壊れない、永遠に捨てられない「摂取不捨」の幸福。。。
この絶対の幸福こそが、なぜ生きるの答えだと親鸞聖人は断言されている。

「どんな人も必ず、絶対の幸福に救う」と誓われた弥陀の本願まことだから、早く絶対の幸福になって
もらいたい、生きている今が勝負だよ、モタモタせずに聞き開いてもらいたいと、善知識方は常に真剣
な聞法を勧められた。聲をたよりに光に向かいたい☆

贈る言葉

2020-04-09 05:42:54 | その他
日々刻々、変化しているコロナ状況。。。
その日の発言も、明日はたちまち変わる日常となっている。

これでは、何を言っても、少し時間がたてば変わるので、言葉を重く受け止めるどころか、
軽んずる習慣となってしまうだろう。

発言する側も「誰もそんな昔のことは覚えていない」で済むから、緊張感もなく、誤りがあっ
ても、その失敗から学ぶ習慣もなくなるだろう。

4月8日は「花まつり」。
昨日は「お釈迦様の誕生日」だった。

時空を超えた、釈迦の真実の教えは、2600年後の今も変わらず、全人類の心に重く響き、
届いている。

どれだけ時間がたっても、どこの国の人にとっても、変わらぬ本当の幸福を教えられた
お釈迦様。。。

三世十方を貫く釈迦の教え、仏法は、限りなく尊く、重くて深い。

その仏法を伝える身にとって、最も大事な自覚は「言葉は命」。。。

誰もが心に残る真実のお言葉を、自分の言葉で軽く流されないように、今日もしっかり、
目の前の「貴方」に届けたい☆

「震災に咲く花」

2020-04-05 05:55:33 | その他
このデジタル化の時代に、昭和を思い出すような丁寧な手書きの
葉書が2枚、郵便受けに届いていた。

差出人は、今年、高校入学した双子の男の子。。。
先日、入学祝と称して渡した「なぜ生きるノート」に対する礼状
だった。

東北大震災で、住み慣れた故郷をあとにした方々は多くあるが、
その2人も、被災地から、祖父母のいる石川県へと家族で移住し、
初めて会ったのが、彼らがまだ小学生の時だった。

どんな思いで、ふるさとを離れ、慣れない土地で、新たな環境で、
過ごしていただろう。。。

当時、そんな寂しい素振りなど、全く見せなかった健気な二人が、
背丈もぐんと伸びて、今春、たくましく凛々しい高校生となった。

そして届いた葉書に「なぜ生きるノート」を喜ぶ言葉。。。

「法話などで、有効に使わせて頂きます」
「クラスメイトの中に、仏縁深い人もいると思うので、その人
 たちにも教えを伝えていけたら良いと思います」
                    (原文のまま)

そう、震災をきっかけに仏縁を結ばれたご両親と共に、毎月欠
かさず二千畳に参詣し、教学に励み、礼状は、二度の顕真学院
の短期研修で、身についたものだった。

ああ、素晴らしきかな。。。。。

もう、言葉が見つかりません。
ご家族全員の深い仏縁を祝して、心から「おめでとう!!」

果たせる夢

2018-01-01 07:58:25 | その他
NHK紅白のテーマは「夢を歌おう」だった。

2020年の東京五輪に向かって4年間、様々な世代の夢を「歌の力」で応援していきたいと言う。

夢は、世代によって変わる。

10代、20代のこれから勢いづく上り坂の夢と、人生半ば過ぎてすがる夢。。。

このブログを書き始めた頃は、40代だった。
まだまだこれから、と気持ちも軽く踊った内容になっている。

しばらくブログから離れている間に50代になり、還暦がもう手の届く年齢となって愕然とする。

この調子なら、70、80なんてすぐである。

昨年上半期のベストセラー佐藤愛子氏の「90歳。何がめでたい」の中で、「老人の夢」が、
同い年の友人の言葉で語られていた。

友達は言う。
「私の夢はね、ポックリ死ぬこと」。。

しかしそれは佐藤氏も指摘しているように、現実には掴めないことをわかっていての「夢」
である。

誰でも本音は「健康で長生き」が夢であって、死ぬことではないだろう。

また、ポックリ死にたくても日本は延命治療で、約10年は寝たきり状態の平均寿命と言わ
れている。

長寿大国といえども日本は寝たきり大国であり、ピンピンコロリでなく、ねんねんコロリ
が主流なのだ。

それにしても人生の荒波越えて、最後の夢が「ポックリ死」とは。。。

若者は夢に向かって前進しても、老人になれば、夢破れ、夢を持てずに死に向かう。

これは誰もが辿る道。。。

夢も希望も持てない老後に、あきらめ以外、何の明かりがあるだろう。

命でさえ夢とはかなく散る前に、人間に生まれてよかった、という充実感と大満足で老いを
迎えたいもの。。。

その究極の夢を、どんな人にも果たせる道があるのだよ、と教えられたのが仏法である。

生きている現在、よくぞ人間に生まれたものぞ、の絶対の幸福になれるのだ。

どんなに孤独であっても、貧しくても、寝たきりになっても、命果てる瞬間まで、決して
あきらめることはないのだよ。。。

お釈迦様が教えられたこの確かな夢を持って、高齢者ならぬ、未来輝く「光輝高齢者」に
向かい、今日も一日全力で生きよう★

大人とは

2012-01-16 13:38:17 | その他
「大人とは何だろう?」
ラジオのある番組で問いかけられていた。

自分の間違いを素直に認められる人。。。

他人のために尽くせる人。。。

いろいろと意見が出されていた。

これだ、と一言で片付くものではないが、大きな定義の一つに「協調性のある人」と
言えないだろうか。

それまで喧々諤々と意見が対立していても、一たび決まれば、その方針に従っていく。。。

みんなと力を合わせてやっていこうとなれば、自分の気持ちや都合は後回し。

互いに協調性あれば、空気がなごんで、団結力も増してくる。

いつまでも自分の思いを通せば、和を乱し、自損損他でやがて浮いた存在になるだろう。

そんな人は、大人とは見なされない。

成人式に、傍若無人の言動を取り、その場の空気を損なう若者があるが、年齢は二十歳
でも、決して大人とは言えないのである。

だからと言って、おとなしく目立たなければいいというものでもない。

みんなが集まって会話している中で、一人不機嫌に黙っていたり、突然退席すれば、
その場の雰囲気は悪くなる。

空気が読めない人も、大人とは言えないだろう。

自分の思いを通し、幾つになっても協調性のない人は、孤独なもの。

今の自分の言動が、周囲にどんな影響を与えるのか瞬時に分別し、自己を制御できる
大人になりたいものである☆

教訓とするために

2011-08-08 21:06:15 | その他
国立がんセンター名誉総長の垣添忠生氏が、医師となって駆け出しの頃、患者が死亡する医療
事故があった。

東京地検から呼び出され、救急措置など間違いなかったか、時間を追って厳しく追求される。
「嫌疑不十分により不起訴」になったものの、この被疑者となった体験が、2つの教訓を生んだ。

一つは、今は一般的になっているが、患者さんや家族にしっかり説明するインフォームドコン
セントの徹底。
もう一つが、カルテの綿密な記載である。

事故後、氏は、どんなに長時間の手術で疲れていようとも、その日のうちに手術記録やカルテを
完璧に仕上げることを自ら課した。

「変わりなし」を意味する「NP」「OB」としか記さない医師もいた時代。
その鉄則は、後にトラベル時だけでなく、診療や研究にも役立ったと言う。。。

誰でも、失敗や悔しい出来事、思い出はある。

それをどれだけしっかり受け止め、繰り返さないように改めるか。
ここが一番大事なところでなかろうか。

事故車両を穴に埋め、何事もなかったかのように済ませようなど、論外の中の論外。。。

東大名誉教授の畑村洋太郎氏は、著書「失敗学のすすめ」にこう指摘している。

「人は聞きたくないものは聞こえにくいし、見たくないものは見えなくなるもの。失敗を
隠すことで起きるのは次の失敗、より大きなマイナスの成果でしかない」

2年連続甲子園出場の秋田県代表・能代商の室内練習場には、「0対15」のイニングスコアが、
横断幕のように貼られているそうだ。

これは、昨年夏、初戦で鹿児島実業に惨敗したときのもの。
選手にとって二度と思い出したくない、見たくない数字だろう。

痛恨の敗戦を、雪辱のバネに練習した成果はいかに。。。

奇しくも能代商は、明日の第一戦、その鹿児島県代表と対戦する。

失敗や苦しみから逃げたり隠したり、他人のせいにしていては、望む善い結果は得られない。

教訓として向上するためにも、悪い結果の受け止め心を、まず真摯に振り返ってみたいもの
である☆

無駄がいけないのは

2011-07-29 23:23:27 | その他
この夏、深刻な電力不足。

エコ、節電、自然エネルギー。。。

まず、身近なところから、はじめましょう。

エアコンの設定温度は大丈夫?

電源プラグはこまめに抜いて。

飛び交う言葉に、無駄遣いはいけないよ、とつい気は引き締まる。

だって限られた電力に、限られた資源なんだから。

そう、一番大事な自分の命も、ね。。。

何より一番無駄にしていけないのは、いのちの時間なんです☆

死ぬまで勉強

2011-06-30 09:02:00 | その他
「大津波 みんな流して バカ野郎」

南三陸町で、母親と家を流された女性の川柳である。

普段は使わない荒い言葉に、ぶつけようのない悲しみ、怒りが伝わってくる。

一方、記者団に大震災の復興を問われた菅首相の言葉。
「私自身、燃え尽きる覚悟で、この事に取り組んでいきたい」。

浜岡原子力発電所の運転停止要請を表明した際も
「私が判断しました」。。。

自分の決意やリーダーシップを強調するだけでは、何も心に響かない。
訴え力の欠如したトップに、どれだけ周囲は動き、協力するだろう。

保身に汲々とし、聞き手の心を揺さぶらずして、国民をその気にさせようとしても、
世の中そんなに甘くはないのである。

やはり、胸を打つのは、飾り気のないストレートな思いでなかろうか。

「すっぴんで 外を歩く日が 来るなんて」

冒頭の川柳をうたった女性の最近の作品である。

行き場のない悲しみも、言葉にし、発信することで癒される。
そんな心境の変化で、言葉に回復を感じられたら、周囲もきっと笑顔が増えてくるに
違いない。 

それにしても言葉の力は、おそろしい。

感動したり、しらけたり。。。
やる気にさせたり、失わせたり。。。

学ぶべきことは限りなく、真実伝える使命思えば、死ぬまで勉強になるのだろう☆

新年も通過点

2011-01-05 21:26:53 | その他
いつものことではあるけれど、年末年始、あまりに凄ましい日々だった。
年明けて早や5日となる。。。

思えば、新年を迎えたと言っても、世の中変わったわけでも、心境の変化が見られる
ものでもない。

5日もたてば、結局、いつもと同じじゃないか、と実感する人も多いだろう。

平成23年になっても、寒い冬のあとには、春が来て、春のあとには、夏がくる。
巡る季節は変わらない。

その間、誰が死んでも生まれても、太陽は変わらずのぼって沈む。。。

はるかな過去から、果てしない未来へ続く時の流れに比べ、あまりにも儚い人生。。。
一年明けたと言っても、何が変わって、何をめでたいと言うのだろう。

もちろん、科学はますます発達し、技術革新は進んでいく。
今年もあっと驚く新機種のシロモノに、胸を躍らすこともあるには違いない。
しかし、生活が変わる、便利になる、ということと、自分の幸せ感は別である。

たとえば、ケータイが出始めた時は、便利になったと喜んでいても、いつでもどこでも
呼び出しがかかって忙しくなると、持たない方がのんびりできた、と思えてくる。

また、ケータイを持っても誰からの呼び出しもメールもないために、孤独感は深刻で、
イジメに使われることもある。

科学の進歩と、自分の幸福度は別物だということを、世界有数の豊かな日本だからこそ、
気づく人がもっとあらわれてもいいのでなかろうか。

そうして、本当の幸せとは何か、どうすればなれるのか、という人生の目的に向かう
きっかけになれば、それらの存在意義もきっと増すはず。。。

先日、この世のすべてのものは、「なぜ生きる」の解明に存在する、と教えて頂いた。

政治も科学も医学も経済も、すべての営みは、全人類が未来永遠の幸福になるために存在し、
その達成に向かって進歩する。。。

そうでなければ、それらの存在意味はない。

ズバリ、そう断言される教えが、仏法なのである。

すべての営みは「変わらぬ幸せ」に向かって「進化」する。。。

こんな凄い真理に生きる幸せを、どうして黙っておれようか。
たとえブログの更新ができなくとも、仏法を伝え、感動に輝く日々に変わりはない。
今日も、いつもの通過点。光に向かって疾走しよう☆