働く主婦のじゅんこです 

自分探しから始まった幸せへの道・・いくつになっても旬な女性で生きるカギ☆

オウム裁判

2011-11-29 08:03:42 | 世事情いろいろ
オウム裁判が終結した。

裁判が始まって16年。

地下鉄サリンなど無差別テロの凶悪事件を引き起こし、教団の元教祖、
麻原以下元幹部13名の死刑が確定した。

関与した弟子達には、医師や科学者など高学歴で、エリートと目された
人も多い。

そんな彼らが、なぜ命じられるまま、殺人まで犯したのだろう。

バブル期だった当時、衣食足り、受験競争を勝ち抜いてきた彼らには、
それなりの展望があったはず。。。

今、死刑を待つ身になって、どれだけの後悔があることか。

被害にあった方々や、殺された遺族の無念さは想像もできないが、
エリートから一転、死刑囚の息子を持った親の気持ちも、はかり知
れない。

中川智正被告の母が、公判に証人として出廷した。
「息子は大変な犯罪を犯したけれど、私には大切な宝です。。。。
私も息子を(死刑で)失う時が来たら、その時は、遺族の方々のお
気持ちに1ミリでも2ミリでも近づけるのではないかと思います」
減刑の嘆願はしなかった。

命を救う医師となりながら、どこでどう間違ったのか。
本人も家族も、ただ死刑執行を受け入れるしかないのである。

香樹院語録に、以下のような記述がある。

五人七人の子を持つたる親が、
其の子がみな首の落ちるやうな悪事をしたを、
並べて眺めてゐる親の心はどう云ふものであろう。
ただ涙こぼして、みるより外はあるまい。
在家も出家も、男子も女人も、彼尊の御膝元にならべて、
天眼の御まなこより、御眺めあらせらるるのに、
首一つ斬らるる位のことではない。
無量劫の永の間、又再び人間に生れ出させて、
爰までに育てるは、並大抵の御骨折ではない。
それをば是れも無間の罪人ぢや、あれも無間の罪人ぢやと、
御眺めあらせらるる御慈悲の思召は、どのやうであろう。

この世だけではない、無量劫の永い時をへて、再び人間に
生まれた今、一体、何を為すべきなのだろう。
あっという間の人生、何のために生きるのか。

将来を嘱望され、名誉、地位を手にしていた彼らにも、この人生の
目的が分からない限り、奥底にある漠然とした不安を埋めることは
できなかったのだ。

当時、これ一つあきらかにされた仏法にめぐり合えたなら、どんな
に救われたことだろう。

弥陀の大慈悲は、すべての人にかかっている。
ひたすら仏縁を念ぜずにおれない☆