働く主婦のじゅんこです 

自分探しから始まった幸せへの道・・いくつになっても旬な女性で生きるカギ☆

「和する」の心

2010-06-27 06:16:43 | スポーツ
サッカーのワールドカップ南アフリカ大会で、日本が下馬評を覆し、決勝トーナメント
進出を果たした。

海外開催のW杯では白星を挙げたことがないという。
今回も、全敗の可能性すらあった強豪ぞろいの1次リーグE組で、格上相手に2勝した。

期待されずに日本をたった岡田武史監督は、サポーターの「岡ちゃん不合格」から一転、
日本列島、岡ちゃん人気で、今はどんな心境だろう。

勝てた要因として彼は、「我々には、他のチームにない力がある」と言っている。

それは「サポート陣を含めた27人が一つになれる」こと。。。
インタビューでは「サッカーがチームスポーツであることを証明できた」と、狭い肩身から
開放されたように胸を張った。。。

団体競技は、言うまでも無く、チームワークが力の源泉である。

一人一人の力は劣っていても、それぞれが役割を果たし、勝利に向かって一糸乱れず
団結すれば、総合力はぐんと増す。

逆にどんなに個々が優れた才能を持っていても、まとまりがなければ、その力は生かさ
れるどころか半減する。

日本と対照的だったのが、前回準優勝のフランスだ。

暴言による主力選手の追放から、練習ボイコットにまで発展した内紛で、有力選手を揃え
た代表チームが、一次リーグで早々に敗退し、姿を消した。

だから、同じ目標に向かって、それを達成するに大切なのは、まず団結することと知らさ
れる。

考えてみれば、スポーツなどの団体競技だけでなく、家庭にしても、地域や職場、学校に
しても、どの道、組織から離れては生きていけない私たち。。。

無人島で暮らさぬ限り「オレがオレが」と自分勝手に動いたり、相手を尊重する気持ちが
無ければ、たちまち和は崩壊し、その目標は果たせない。

我利我利亡者の人間だから、強い団結を望むほど、互いに譲り合い、それぞれの立場を
理解する努力が必要となる。

まして、その目的が崇高であるほど、協調性を持ち、団結する努力が大切であるのは言う
までもなかろう。

日々「和することを貴し」と教えられる「和する」の心をよく知って、実行したいものである☆

「はやぶさ」を超えるもの

2010-06-25 04:47:22 | 世事情いろいろ
小惑星探査機の「はやぶさ」が、3億キロかなたの小惑星イトカワをめざして地球を飛び立ったのは、
2003年5月。。。

今月、総行程60億キロの旅を終えて、再び地球に戻ってきた。

この7年の長旅では、絶望的とも言える危機に何度も見舞われたそうだ。
7週間も交信が途切れたり、4つのエンジンが故障したり。。。

あやうく宇宙の迷い子になるところを、熟知した高い技術と研究者の力によって、粘り強く乗り越えた。

それはちょうど、よちよち歩きで無重力の空間をさまよう幼子を、親が命がけで守るような、必死な
努力であったに違いない。

重さ0.5トンのちっぽけなロボットが、地上の探査チームの知恵と工夫に支えられ、ついに前人未到
の大仕事を成し遂げた。

数々の苦難に満ちた宇宙の旅は、かの「宇宙戦艦ヤマト」が、14万8千光年彼方の大マゼラン星雲、
イスカンダル星へ旅立ったロマンを想起するような話である。

チームのリーダーである宇宙航空研究開発機構の川口淳一郎教授は、「世界でまだ誰もやっていない
ことに挑戦したかった」と言う。

関係者にとってこの7年間は、心配もさることながら、胸躍る長い挑戦の旅であったのだろう。

無事、イトカワに着陸した「はやぶさ」が、その表面の砂を採取することは「東京から南米のハエを撃つ」
ほどの難事だそうだ。

その難事を無事クリアーした日本は、世界に誇る技術力を改めて世に証明し、大きな自信を得たこと
だろう。

もともとは、新型エンジンなどの技術試験を目的とした計画だったと言う。
それを、小惑星探査という意欲的な目標に加えたらしい。

どんな難事も、心躍る夢に変え、高い目標に向かって、あえて挑戦する。。。
これは、人も技術も大きく育っていく秘訣には違いない。

仏教では、人間に生まれ、人生の目的を知り、それを果たすことは、「東京から南米のハエを撃つ」
以上の難中の難と教えられる。

大宇宙に説かれる三世を貫く仏の教えを、ちっぽけな我が身に徹底する難しさは、「はやぶさ」が、
イトカワに無事着陸し、地球に帰還するどころではない。

その最大の難事である、未来永遠の幸福になれるかけがえのないチャンスをようやく目の前にした
私たち。。。

どれだけ苦難に満ちても、あきらめず、粘り強く、どんなに必死になってもなり過ぎることはない、
とつくづく知らされることである☆

夢が持てる人生!

2010-06-21 11:05:36 | 家族
「なんか夢がないんだよね。夢を持てない人が多いんだよ」。

仏法の話を友達にし始めた長女が、しみじみ言ってくることだ。

「お母さんの世代は、若い頃、夢に向かって頑張った人が多いと思うけど、そんな親の
成れの果てを子供が見ると、頑張って生きても大したことないじゃん、って冷めてしま
うんだよね」。。。

長引く不況で就職率も低下し、少子高齢化もあってか、社会全体に、かつてのギンギラ
ギンの漲るエネルギーは感じられない。

まして、人生に疲れた親の姿を見ると、夢が持てないと言う若人の気持ちも分かる気が
するのである。

確かに、将来の夢を語れる人は、確実に減少しているのだろう。

その中で、「ぼくは、大人になったら世界一のサッカー選手になりたい、と言うよりなる」
と小学校の文集に書いた、元気な少年がいる。

W杯、カメルーン戦で、唯一の得点を上げてひときわ存在感を示したFW本田圭佑選手。。。

3学年上の兄やいとこと一緒に、毎夜、近くの企業のグラウンドにこっそり入り、サッカー
の練習をしたと言う。
しかし、ゲーム形式では、とても年上の兄達にかなわない。

ことごとくボールを取られ、シュートを決められた。が、絶対にあきらめない。
「もう帰ろう」と兄に言われても、泣きながら「勝ち逃げする気か」とその場に座り込み、
「帰らへん。絶対帰らへん」と駄々をこねたと言う。

プロになる夢を実現するのだと、練習内容や技術的な課題を、子供の頃からノートに
地道に書き続けた。

明確な目標と、達成に向けてのあきらめない不断の努力。。。

夢や目標を持てる人は幸せであり、努力を継続できる人は、更に恵まれた人なのだろう。

しかし、目標や夢を持ちながら、これでいいのか、という悩みや、とまどいに沈んでいる
人が、実際は多いのではなかろうか。

何をしても、どんなに働いても、同じ繰り返しの毎日、一体何の意味があるのだろう。
結局、夢を実現したと言っても、儚く散って消える夢に過ぎないのでなかろうか。

そんな夢に向かって生きる人生とは何なのか。。。

ここに、人生の最も輝きの増す、二十歳前後の娘達にして、先行き不透明な、漠然とした
悩みがあるのである。

その友達に、「今までの人生で一番輝いていたときは?」と聞くと、「中学校のころ」と
答えたそうだ。

娘は「うちの母なら、今が一番輝いている、と答えると思うよ」と返すと、
「素敵なお母さんだね」と驚いたと言う。。。

ようやく仏法を自ら求めるようになった長女だから、少しは母の奇抜な言動も理解できる
ようになったのだろう。

そうなのだ。
今が、生きててよかった、生きるって素晴らしい!とはっきりする教えが仏法なのである。

仏法に人生の目的を知れば、よどんでいた目の前も明るく輝き、眠っていた力も蘇り、
生きる目的に向かって、夢を持って生きる、素晴らしい人生が、開けてくる。。。

愁嘆の老若男女を問わず、急ぎ伝えたいことである☆

「言葉の教室」

2010-06-18 23:16:50 | スポーツ
今年もセ・リーグ首位を走っている巨人だが、昨年来、選手の若返りの印象が強い。
若手の才能を伸ばすため、いろいろな取り組みをしているそうだ。

スポーツ心理学から見たメンタル面の強化や、動体視力の強化プログラムなど。。。

面白いのは、元アナウンサーが講師を務める「話し方教室」まであると言う。

試合に勝ってヒーローとなった野球選手が、お立ち台で質問に答える時、まず最初に
発する言葉が「そうですね」の一言だ。

必ずと言っていいほど、どの選手もまず「そうですね」から始まる。

最近はどうだろう。
「話し方教室」の効果で、少なくなったかもしれないが、言葉遣いによって、品格、教養
が伝わってくるものである。

かつて、オリンピックでメダルに近い一流選手が、世界に発信するインタビューで、
「私のお母さんが・・・」を繰り返していた。
ここは当然、「母が・・・」というべきところ。。。

たとえ、スポーツ選手であっても、人前に出る以上、正しい言葉遣いを身につけなければ
礼儀も失することになってしまう。

更に、言葉は、信頼関係を築く上で、極めて大切なのは、言を待たない。

人の印象は、言い方によって、随分異なるものである。
フツウに会話していても、こわい人もあれば、怒っていても、あたたかく感じる人もある。

言葉かけ一つによって、人を元気にしたり、励ましたりする反面、傷つけたり、やる気を
失せさせたり。。。

言葉遣いで、随分損をしていると思われる人は少なくない。
大事なのは、相手の立場に立って、相手のことを思いやって語ること。

そうして言葉を自在に繰って、周囲を明るくできたら、どんなにいいだろう。

まして、三世十方を貫く、すべての人が救われるたった一つの教えを伝えるのが
親鸞学徒。。。

言葉遣いが間違ったり、相手に不快な思いをさせては、その使命は果たせない。

まさに「言葉は命」と教えられる。

我々は「言葉の教室」で言葉遣いのセンスを磨き、一人でも多くの人に仏法をお伝え
したいものである☆

笑って鉄鞭を受ける者

2010-06-16 22:17:21 | スポーツ
サッカーW杯南アフリカ大会で、日本は待望の白星発進した。

日本が自国以外で行われたW杯の試合で、勝ったのは初めてと言う。

その勝利した記念すべき対戦相手は、アフリカの雄、カメルーン。。。
その代表チームに、今回のW杯公式ポスターのモデルにもなった、サミュエル・エトー
選手がいる。

今やサッカーの国民的ヒーローだが、貧しい家庭に育った彼は、16歳で欧州に渡り、
17歳でW杯に出場し、以後、いろいろなチームで存在感を示してきた。

観客から猿の鳴きまねでやじられると、逆にゴールを決めて見返したと言う。

人種差別の心無いヤジや非難にも、「打撃を受けるたびに、強くなった」と言うから
その不屈の精神力は、見上げたもの。。。

傷つくのを怖れ、壁があれば避けて通る人が多い中、非難や中傷も、あえて力に代えて
強くなっていくなんて、言葉で言うほど、簡単なことではなかったに違いない。

サッカーを通し、肉体の鍛錬もさることながら、これは精神力の鍛錬と言えるのだろう。

ほめる人ばかりが周囲にいたら、自惚れて、精神的にひ弱な人間になっていくもの。。。

日本刀も熱いうちに、打って打って叩いてこそ、折れない名刀になるように、いつも
厳しく叱って下さる人は、精神を鍛錬して下さる人なのだ。

叩かれるのを恐れ、ほめる人ばかり求めていけば、精神力も軟弱で、ちょっとした注意や
指摘にも、耐えられず、心も折れやすくなっていく。

そうなれば、結局、その人の向上は望めない。

だから、叱って下さる人は、一回りも二回りも自分を大きく成長させて下される、大きな
ご恩のある方々なのである。

避けるどころか、感謝して近づかせて頂かねば、どうして向上心を持って光に向かう
親鸞学徒と言えるだろう。

笑って鉄鞭を受ける者は、必ず新生する。。。

強靭な精神力を身につけて、光に向かって、どんな苦難もおそれず、逃げず、共に力強く
進ませて頂きたいものである☆


悩みこそ母

2010-06-13 07:03:56 | 文学・歴史
「弱者を育て、強者を倒す」。。。
カッコいい言葉だが、現実は、なかなかこうはいかないもの。

新規参入球団の楽天は、昨年、元野村監督のもと、わずか5年で悲願のAクラス入りを
決めた。
発足当初のメンバーは、他球団の戦力外選手を無償トレード等でかき集め、年齢層も
高く、あきらかに力に見劣りのするチーム。

「寄せ集め集団」で臨んだ1年目は、38勝97敗1分けで、首位と51.5ゲーム差の最下位
だった。

その翌年から指揮を執ったのが野村監督。
過去に南海、ヤクルト、阪神でも監督を務めたが、就任当時はいずれも弱小チーム。

「最下位ばかりに縁がある。よその球団の人から“監督、よくこの戦力で戦ってますね”
ってよういわれるんや」。。。

そうボヤく一方で、入団した選手には「いい球団に来たよ」とねぎらった。
弱小だから、新人でも1軍で、平等に才能を発揮する場を与えられる。
走攻守がそろわなくても、一芸に秀でた選手は、適材適所に配置された。

活躍の場を与えられると、自信を失いかけた選手でも、ここぞとばかり力を発揮する
から、互いに刺激しあい、団結となって、緻密なデータによる野村采配の元、勝利を
積み重ねていったのである。

戦国時代、あの織田信長が最も怖れた武将は、上杉謙信と言われる。

鉄砲3000丁を装備する3万の信長軍を、1万3000の謙信軍が撃破したときのこと。。。

兵の数にしても、鉄砲を持たぬことからしても、謙信側の戦力は、あきらかに信長に
劣っていた。

ところが、である。

両軍が対峙する中、ひたすら降雨を待ち続けた謙信は、やがて豪雨となると見るや、
総攻撃を命じ、信長軍は、たちまち千人あまりの戦死者を出して敗走した。

それまで無敵の信長も、雨に脆い火縄銃の弱点を衝かれたのである。

謙信の見事な作戦勝ち。。。知将と言われるゆえんであろう。

戦いに、兵力も、武器も、食料も、十分持っての戦いはないだろう。
あれも足らないし、これもない。
寝ても覚めても、困った困ったと苦しい展開になるものだ。
しかし、その限られた中で、いかに勝利するか。

そこに作戦あり、戦術あり、戦略が生まれてくる。

素晴らしい発想も悩みから生まれ、苦しみこそ勝利を生む出す母、と教えられる。
法の戦いも、いつもここだなあ、と。。。
ひるまず光に向かって進みたいものだ☆

未来への挑戦

2010-06-09 07:49:15 | スポーツ
「国家の代理戦争」とも呼ばれるサッカーW杯が、11日に開幕する。

全国民の注目を浴び、国家の威信をかけてぶつかりあう国際試合で、最高の結果を
求められる代表監督のプレッシャーはいかほどだろう。

その熱狂の渦中で、日本の代表、岡田監督は、あえて目標を「ベスト4」と宣言した。

国際サッカー連盟の最新ランキングでは、日本は残念ながら45位。
今の戦力を見れば、やや現状と乖離しているようにも見える。

実力とあまりにかけ離れた目標は、時に空回りし、周囲から孤立を深めることにも
なるだろう。

そこをあえて高い目標を掲げた真意は、どこにあるのだろうか。

当の岡田監督は、こう述べたと言う。

「人がどう思おうと関係ない。新しいことにチャレンジすることは裏付けなんか何も
ないわけだよ。『そんなの無理だよ』と言った瞬間に何も起こらない」。。。

スケートの高橋大輔選手が、今年のバンクーバーオリンピックで、男子シングルの
選手として、史上初の銅メダルを獲得したことは、まだ記憶に新しい。

当時、彼はメダルの期待がかかったフリーで、難度の高い4回転ジャンプに挑戦した。
失敗のリスクを顧みずに飛んだのは、コーチの一言に後押しされたからと言う。

「宝くじも買わなければ当たらない」。。。

何事も、無理だと思って行動を起こさねば、結局、何も得られない。
そうわかっていても、ついリスクを恐れ、楽を求め、現状維持に汲々としてしまうもの。

しかし、失敗は無敗に勝る。。。

何もしないで、敗北を避けるより、大きな目標にチャレンジし、たとえ失敗しても、
そこから得られる糧や経験を選びたい。

悔しさも、いつか成功の扉を開く信念ともなるだろう。

そんな生き方が、その道を極めようと挑むプロの心意気と言うものだ。

だから大きな目標は、大きな結果に向かう気持ちの表れなのである。

しかし、あのオリンピックの興奮も、今は跡形もないように、世界が熱狂するW杯も、
あっという間に失せて夢と終わるだろう。

そんな一時的な幸せを求めるスポーツの世界において、こうなのである。

未来永遠の絶対の幸福を人生の目的と、知らされた親鸞学徒の心意気、法戦に
向かう姿勢はいかに。。。

どんな苦難の戦いであっても、多生の大目的を忘れず、失敗を恐れず、常に戦意を
もって挑戦する、そんな日々でありたいものである☆

処理も処分も

2010-06-07 23:28:11 | 世事情いろいろ
口蹄疫による豚や牛の殺処分が約28万頭にのぼったと言う。

畜産農家の人が、どんなに抵抗しても、処分されたところもあれば、区域外で、
出荷できたと安堵する人もある。

家畜を処分されたと泣いている人、その肉を加工処理できたと喜ぶ人。

殺される豚や牛の命に差別はないが、その肉が売れたか、埋め立てられたかで、
育てた甲斐があったか、無かったか、価値が分かれるようだ。

牛にすれば、人間の都合で殺されることに変わりはない。

大義名分は異なっても、おそろしい死を受け入れざるを得ないことから言えば、
処分も処理も、どちらも同じ、悲劇の結末と言えるだろう。

逃げ惑い、悲しい瞳を潤ませる牛達を、情け容赦なく殺していく。。。
彼らにとって、人間こそ、まさに鬼畜と映るのではなかろうか。

そもそも肉の好きな私達がいるから、苦労して育てる人あり、豚や牛を殺す人が
いるのである。
つまり、鬼畜の親玉は私たち。。。

食べていくには仕方がない、と、日々どれだけの命を奪って生きていることだろう。

可愛がっていたペットの死骸を、山林に捨てられたと憤慨しながら、食する家畜は
平気で、殺生を繰り返す人間達。。。

仏教では、すべての生命は平等であり、上下はないと教えられる。

そんな生き物の命を、勝手な都合で価値をつけ、底なしの無慈悲で、傍若無人な
振る舞いを、見聞知の仏様はどのように見ておられるだろうか。

料理番組など含めて、連日、恐ろしい殺戮が全国放映されながら、誰もその大罪に
驚くコメントがないのが驚きである☆

「友愛」の躓き

2010-06-04 05:56:39 | 政治・経済
「国民が徐々に聞く耳を持たなくなった。残念でならないし、私の不徳の
致すところだ」。。。

ついに辞任を表明した。
「友愛」が何をめざしたのか、よく分からずに、終わってしまった。

理想だけなら、何を言っても自由だが、実現する厳しさを思えば、軽々しく
言えない言葉はいくらもある。

我利我利の凡夫が、相手の幸せを願って、平和な社会を作り上げることは、
なんて難しいことだろう。

私欲を離れて、国家のため、国民の為、他人のためと尽くせたら、どんなに
素晴らしいことか。

しかし、そんな政治家を望むなら、まず自身が、家庭という社会で、どんな
振る舞いをしているか、顧みると、どうだろう。

果たして、生涯「続投だ」と家族の信頼を得て、日々安定した幸せを築く行為
をしているだろうか。

「行き違い」「思い込み」「勘違い」。。。
身近な家族でさえ、様々な私欲が「友愛」を簡単に実現させないことに気づか
される。

やってみてこそ、理想の甘さや、実現の厳しさを思い知らされるもの。

まして、愛する家族でない、他人ならなおさらである。

誰でも自分の頑張りを認め、受け入れてもらえれば、どんなに嬉しいだろうが、
現実は厳しく、なかなかそうはいかないものだ。

やった行為の結果は、その人自身にあらわれるのだから、その頑張りを他人が
認めようが、認めまいが、もともと関係ないのである。

それを、なんでわかってくれんのだ、と腹を立てたり、相手に背を向けては、
因果の道理で、ますます孤独で苦しくなるだけ。。。

聞く耳を持たなくなった国民を責めず、自身の不徳を責めるのは当然であるし、
本音ならば、救いともなるだろう。

しかし、立場が変われば、同じこと。
置き換えてみて、自ら反省すべきことが多々見えるものである☆