「おしどり夫婦」と言われるように、オシドリは仲のよい夫婦の象徴として扱われる。
しかし、実態は、子育てはメスが行い、繁殖期ごとに別の相手と結ばれるそうだ。
その点、丹頂鶴(たんちょうづる)のつがいは、一生解消されない。
「丹」は「赤い」、「頂」は「頭頂部」ということ。
白黒赤の清楚な姿は、美術絵画にも映え、「松に鶴」は花札だが、「鶴の恩返し」や、
「鶴は千年」の長寿の象徴など、日本では、大変馴染み深い。
いつまでも仲睦まじい夫婦は「タンチョウ夫婦」と呼ばれてもよさそうな・・・。
それをなぜ「おしどり」かは、別として、年を重ねてなお、仲良い夫婦は、見ていて、
実に微笑ましい。
相性というか、長年にわたる双方の努力、忍耐、向上心あってのことだろう。
「ずっと愛し続けます」という、最近、婚約発表した歌舞伎俳優のコメントには、オッと
驚いたが、始めは誰でもそう思うもの。
新婚時代は「○○さん」と名前で呼び合っても、子供が生まれると、いつの間にか
「お父さん」「お母さん」。
子育てするうち、「おい」と呼ばれて「なによ」となる。
すれ違いも、互いの忍耐で乗り切れるうちは脈があるが、どちらかが、ふっと切れて
しまうこともあるだろう。
他人同士が、長年連れ添うのは、大変なこと。
まして「おしどり」夫婦なんて・・・。
先週に続き、そのほのぼのとあたたかいご夫妻のお宅で、歎異抄第1章について、一語
一句尊く聞かせて頂いた。
参詣者も格段に増え、暖炉のある、庭園を一望する大広間で会食し、その後も各部屋で、
仏法讃嘆の声が溢れた。
グルメのご主人お勧めのお茶菓子まで頂いて・・・。
「つくべき縁あれば伴い、離るべき縁あれば離る」(歎異抄第6章)
「連れ添う縁あれば同行するが、離れる縁あれば、別れねばならぬ。人の離合集散は、
入り組んだ因縁によるもの」と親鸞聖人は仰言っている。
真実知らされた同志が、一軒の家に会するのは、余程の因縁がないと有り得ないこと。
一人で求めるには、難しい遠い道だから、連れが大事とも言われるが、夫婦で仏縁あれば、
一層、強い絆となるだろう。
昨日ご縁の無かった法友も、共に百千萬劫の仏縁を感謝して、仲良く光に向かって奮起
したい☆
しかし、実態は、子育てはメスが行い、繁殖期ごとに別の相手と結ばれるそうだ。
その点、丹頂鶴(たんちょうづる)のつがいは、一生解消されない。
「丹」は「赤い」、「頂」は「頭頂部」ということ。
白黒赤の清楚な姿は、美術絵画にも映え、「松に鶴」は花札だが、「鶴の恩返し」や、
「鶴は千年」の長寿の象徴など、日本では、大変馴染み深い。
いつまでも仲睦まじい夫婦は「タンチョウ夫婦」と呼ばれてもよさそうな・・・。
それをなぜ「おしどり」かは、別として、年を重ねてなお、仲良い夫婦は、見ていて、
実に微笑ましい。
相性というか、長年にわたる双方の努力、忍耐、向上心あってのことだろう。
「ずっと愛し続けます」という、最近、婚約発表した歌舞伎俳優のコメントには、オッと
驚いたが、始めは誰でもそう思うもの。
新婚時代は「○○さん」と名前で呼び合っても、子供が生まれると、いつの間にか
「お父さん」「お母さん」。
子育てするうち、「おい」と呼ばれて「なによ」となる。
すれ違いも、互いの忍耐で乗り切れるうちは脈があるが、どちらかが、ふっと切れて
しまうこともあるだろう。
他人同士が、長年連れ添うのは、大変なこと。
まして「おしどり」夫婦なんて・・・。
先週に続き、そのほのぼのとあたたかいご夫妻のお宅で、歎異抄第1章について、一語
一句尊く聞かせて頂いた。
参詣者も格段に増え、暖炉のある、庭園を一望する大広間で会食し、その後も各部屋で、
仏法讃嘆の声が溢れた。
グルメのご主人お勧めのお茶菓子まで頂いて・・・。
「つくべき縁あれば伴い、離るべき縁あれば離る」(歎異抄第6章)
「連れ添う縁あれば同行するが、離れる縁あれば、別れねばならぬ。人の離合集散は、
入り組んだ因縁によるもの」と親鸞聖人は仰言っている。
真実知らされた同志が、一軒の家に会するのは、余程の因縁がないと有り得ないこと。
一人で求めるには、難しい遠い道だから、連れが大事とも言われるが、夫婦で仏縁あれば、
一層、強い絆となるだろう。
昨日ご縁の無かった法友も、共に百千萬劫の仏縁を感謝して、仲良く光に向かって奮起
したい☆