働く主婦のじゅんこです 

自分探しから始まった幸せへの道・・いくつになっても旬な女性で生きるカギ☆

「心の成長した人」

2009-04-29 06:58:21 | その他
ある夫婦が回転寿司に行ったときのこと。
奥さんがヒラメ一カンに手をつけないで勘定に立ったとき、店長が近寄って尋ねた。
「乾いていましたか?」
「ええ、まぁ」。奥さんの声を聞くや、店長は丁重に詫び、その分を勘定から差し引いたという話がある。

賑わった店内で、わずか一カンの食べ残しにすぐさま気づいた感性、代金の差し引きという対応に、
夫婦が感心、満足したのは言うまでもない。

本田宗一郎が、一線を退いたあと、全国に700にのぼる事業所、工場などをくまなく行脚し、
社員と握手して回っていたときのこと。

ある小さな町工場で、握手を求めてきた作業員があった。
ところが、差し出した手が油まみれだったことに気づき、あわてて洗い場に戻ろうとしたとき、
宗一郎は「その油にまみれた手がいいんだ」と両手で愛おしそうに握り締め、懐かしんだという。
感涙のシーンであったことは、想像に難くない・・・。

アメリカの心理学者ハインツ・コフートは、他者への共感能力があり、それを通じて、
なめらかなお互いの関係をつくれる人が「心の成長した人」だと言っている。

共感という体験を通じて、人間は心理的に結びつくことができる・・・。

相手の気持ちがわからない、と言う人がある。
共感できないと、対人関係もぎくしゃくするだろう。

どうすれば、他者の気持ちがわかるのか。
相手の立場に、自分の身を置いて、どんな気分や感情になるのか想像すればいい、と教えられる。

失敗や挫折は避けたいものだが、相手の苦しみを共感できる幅を広げる糧と受け止めることもできるはず。
最近とくに老若男女、人間関係が広がるほど学びは多く、これを実感する日々なのです☆

「知っている」から「している」へ・子供編

2009-04-28 06:12:08 | 家族
注意すると、かえってくる子供達の言葉は決まっている。
「そんなことぐらいわかってる!」。

「部屋を片付けなさい」
「言われなくてもわかってる」
(じゃ、なぜ片付いてないんだ?)

「勉強しなさい」
「そんなことわかってる」
(じゃ、なぜいつまでも漫画読んでるんだ?)

子育てで、これらがおそらく最も多く繰り返される「なぜ」だろう。

「わかっている」と言っても実行しなければ、「わかっていない」。

こんな単純なことが、実は多く「わかっていない」のである。

健康によい、と聞いても運動しない人は、運動の効用が分かっていない。
朝起きは三文の得、と言われて起きないのは、一文も理解していないのである。

自分にとって利益がある、得をすると本当に分かれば必ず動くし、動いてそれが実感できれば、
より励んで実行し、幸せのサイクルも回ってくるもの・・・。

子供達は、部屋を片付けることや、勉強することが、自分の幸せにつながることが、
悲しきかな、まだよく「わかっていない」のだ。
動くまで根気よく話をして、わからせるのが親のつとめなのだろう。

「知っている」から「している」へ・・・。
分かったら、即、実行!

我が家は、すぐやる課の課長が私である。
長年つとめるが、いまだに所属する者は誰もいない☆

「知っている」から「している」へ・親編

2009-04-27 07:03:13 | 家族
「知っている」と「やっている」とは大きな開きがある。

「挨拶しなさい、元気よく!」と子供にハッパかける親はゴマンといるだろう。

しかし、自ら挨拶してみせる親は、どれだけあるだろうか?

人とすれ違うとき、いつもうつむいて黙って過ごす親がいる・・・。
その親が、人が通り過ぎるたび、顔を上げ、「挨拶はよいことだ!挨拶しなさい」と
手をつないでいる子供に叫んでいたら・・?
その子は、幼くして人間不信に陥るに違いない。

「言うとおりにしなさい」と理想を語る親は多いが、「やるようにしなさい」と
体で示す親は案外少ないものである。

横歩きの親ガニが、子ガニにまっすぐ歩けと言っても無理なもの。

「やってみせ、言って聞かせてさせてみせ、ほめてやらねば人は動かじ」(山本五十六)

まず、「やってみせる」。
実践で導く気概が子育てにも大事ということでしょう。

「知っている」から「している」へ・・・。
幸せに向かっての実践。親たるもの、まず率先垂範で示したいものです☆

「エレベーター」で宇宙に行く?

2009-04-25 05:45:00 | その他
「上に参ります。次の階は宇宙でございます」

長さ約10万キロのケーブルをよじ登り、ロケットを使わず宇宙へ飛び出す
「宇宙エレベーター」の研究団体が日本で結成された・・・。

星新一のSFショートショートではありません。

11月に科学者が集まって第1回国際会議が東京で開催されるそうです。

「宇宙エレベーター」とは、赤道の上空、高度約3万6千キロに浮かぶ静止衛星から、
地上に向けてケーブルを垂らし、それをガイドとして宇宙まで昇降するエレベーター型宇宙船のこと。

バランスが取れるよう、静止衛星から地球と反対方向の宇宙にもケーブルを伸ばすため、
総延長は月までの距離の約4分の1に達する。
ケーブルは、静止衛星と共に宙に浮いた状態となるので、よじ登っても落ちてこない。
重力を脱出する燃料不要で、宇宙旅行のコストが約100分の1、総建設費は、約1兆円だそうです。

まるで「ジャックと豆の木」のような・・・。

ライト兄弟が、空を飛びたいと、飛行機を考案した当時に比べ、宇宙に人間が長期滞在する今、
当時の飛行機より、手の届く実現可能なことなのでしょう。

けれど、超高速で昇っても、1日では行けないだろうし、故障で止まればたちまち狭いエレベーターが
恐怖の棺桶となる。
そんなリスクを背負って宇宙まで上り下りしたとして、地上のジェットコースターで絶叫する体験と
どれだけ異なるのだろうか・・・。

「人間は考える葦である」とはパスカルの言葉。

地球や宇宙の探検も大事ですが、自己の探求、なぜ生きるを考える葦が人間ではないでしょうか。

人間の英知をしてもわからない、最も大切な生きる目的が、仏智であきらかに宇宙の果てまで教えられている・・・。
それが仏教なのです☆

虚飾に生きるタダの人

2009-04-24 06:46:19 | 芸能
昨日、公園で酒に酔い、公然わいせつの容疑で、SMAPの草なぎ剛が逮捕されました。

「あの善良そうで清潔感のある草なぎクンが?」と耳を疑った人は少なくないでしょう。

思い出すのが、吉田兼好の『徒然草』にある有名な静然上人のエピソード・・・。

『奈良の西大寺に、80歳の長寿で静然上人と呼ばれた老僧がいた。
腰が曲がり、眉が白く、実に徳の高そうなありさまであった。その上人が宮中に参上したとき・・・。

静然上人のようすを見た内大臣が
「ああ何と尊いご様子であることか」と上人の風貌に傾倒する気配であった。
だが、これを見た日野資朝は、
「それは仏教の功徳によるものではない、ただ年を取っただけだ」と切って捨てたのである。
それだけではない、後に資朝は、ひどく年取ってやせ衰え、毛のはげたむく犬を
「この犬は尊く見えます」と言って内大臣に献上した・・・』という話。

社会的な身分や権威から、その人を尊いとか、素晴らしいとか人間の価値を判断し、
自分とは異なる人間のように錯覚しがちです。

しかし、それは本当の姿でない・・・。
虚飾をはぎとれば、酒を飲んで暴れたり、大声あげたり、逮捕に至る言動を起こしかねない
生身の人間に変わりはないのです。

もともと何をしでかすか分からない煩悩具足の凡夫がすべての人間、と仏教では教えられます。
肩書きや立場というフィルターを通さずして人を見れない、ましてそれが自分に向けば、
欲目で本当の私に迫れない・・・。

社会的身分を失い、容疑者という汚名で苦悩する人、それを他人事で流す人、あるいはネタにコメントする人も、
すべての虚飾を剥ぎ取られた裸の自分とは何なのか、深く考える縁にしたいものです☆

「能力」より「悩力」

2009-04-23 06:32:37 | その他
仕事がたてこんでくると「自分には能力がない」と嘆きたくなる。
「では、知恵を出し切っているのか?」と問えば、「イエス」と即答もできない。

知恵は誰にでもある。知恵を引き出す術に差があるだけ・・・。
考え抜くことで、ひらめきや打開策は浮かぶもの。

能力がないのでなく、そこまで悩むほど考える気がないのだ。

逃げ場のない厳しい状況になれば、なんとしても打開せねばと、必死に頭をひねるはず。

「条件が厳しければ厳しいほど知恵の出しがいがある」。
そう言ったトヨタは、当時、不可能と言われた世界最高水準をすべて満たした
「レクサス」という車を生み出した・・・。

あの有名なカイゼンも、クリアーすべきハードルが高いからこそ、徹底的に考え抜いて
知恵を出し合い、改善につぐ改善となっていくのでしょう。

大切なのは「能力」より「悩力(悩む力)」。

自ら難局に当たって知恵を引き出し、苦しみ悩みから素晴らしい発想を
生み出そうとする姿勢が大事なのですね。

「悩み苦しみこそ、勝利を生み出す母」と教えられます。

どれだけ大きな目標を掲げ、困った苦しい戦いに身を置くか。
愚痴をこぼさず汗流し、生まれた目的をかみ締めて挑戦したいものです☆

『レッドクリフ』に学ぶ

2009-04-22 05:45:27 | 文学・歴史
好きな書物に吉川英治の「三国志」がある。

父の書棚に揃っていたのを、中学生の頃、読んですっかり惹きこまれてしまった。

登場人物がとにかく魅力的。
中でも劉備に「三顧の礼」で迎えられ「天下三分の計」を説いた天才軍師、諸葛亮孔明が凄い・・・。

今、映画「レッドクリフ PartII」が劇場公開されている。

「レッドクリフ」とは、三国志で最も有名な「赤壁の戦い」のこと。

約1800年前、天下統一という野望に燃える曹操は80万の兵力を使い、怒涛のごとく敵国を攻めていた。
その前に立ち上がったのが、諸葛孔明と、もう一人、孫権軍の知将・周瑜。(周瑜も美貌で天才軍師と言われた)
この二人は、たぐい稀な才能を認め合い、曹操の巨大な勢力に対し、連合軍を結成する。
その数、わずか6万。水軍の船で言えば、曹操軍2000隻に対し200隻。

圧倒的に兵力で劣る連合軍が、2人の知略と奇策によって、不可能と言われた勝利をつかむ奇跡的な戦いです。

不可能を可能に・・・。これは決して偶然ではありません。

勝機をつかむため、どんなに不利な条件も克服する執念と決断力、実行力あってのこと。
しかも一歩間違えば殺される。半端な思いではなかったはずです。

現代も景気が悪い、病気、借金、人間関係などそれぞれの危機に直面し、打開は不可能と苦悩している人は多いでしょう。

しかし、活路も勝機もきっとある・・・。

三国志の2人の軍師は、危機的状況になるほど、それをまるで楽しむかのように
知恵を働かせ、策を巡らせ、思うツボにはめ込んでいくのです。

どんな状況も打開するには冷静さと強い意志が必要なのでしょう。
少なくとも、苦しみに直面してパニックになり、流されるだけでは何の解決にもならない、
と書きながら改めて知らされたことでした☆

自分に原因を求める人

2009-04-21 05:48:53 | 政治・経済
ある企業が、商談がうまくいかなかったケースについて、営業マンのあげた理由と、お客の言い分を比較した。

営業マンの理由は、「商品力が弱い」「相手の予算の都合」「他社の方が強かった」など
自分以外に原因を求めるものが多かった。

一方、客の理由は「営業マンが約束を守らない」「身だしなみ、言葉遣いに問題がある」「商品知識の不足」など
営業マンへの不満が多かったと言う。

売れない時、物事がうまくいかない時、どうしてもその理由を相手のせいにしがちです。
しかし本当の原因は、自分にある・・・。
この調査はそれを物語っています。

謙虚に自分に原因を求める人は、至らぬところを反省し、成長につなげていくでしょう。

他人のせいにする人は、ますます事態は悪化して、人は離れていくでしょう。

仏教では、どんな些細な結果でも、すべて自分に原因があると教えられ、これを因果の道理と言われます。

善い結果も悪い結果も、自分にあらわれるすべては、みな自分に原因がある。
いつでもどこでも変わらぬ真理が因果の道理です。

とかく悪い結果、不幸や災難に見舞われた時は、「親のせいだ」「社会が悪い」「あいつのせいだ」と
他者に原因を求め、怒り恨んで苦しみます。
しかし、原因が間違っている限り、いつまでたっても苦しみの解決にはなりません。

心を反転し、どんな苦難も不遇も「自分のせいだ」と認めて、努力し改める。
因果の道理を信じ、光に向かって人生を切り開く第一歩、共に踏み出したいものです☆

手塚治虫「日本発狂」のメッセージ

2009-04-20 06:22:26 | アニメ
「アニメの巨匠」と聞けば、今の子供達は宮崎駿と答えるだろう。

昭和の子供達に問えば、手塚治虫だ。

残された700にものぼる作品は、枚数にすると15万枚になると言う。
1日1枚描き続けても411年。1日10枚で41年。
いかに膨大なアイデアに溢れていた人であったか、凄さがわかる。

その彼の作品「日本発狂」に、こんなシーンがある。

『夜のベンチに腰掛けた若い男女。「なぜ、生と死があるんだろう?」と男に問われ、
「わかんないわ・・・。」困惑する女性』

手塚作品には、考えさせられるシーンがいろいろありますが、人間の持つ本質的な問いは、
これに尽きるのではないでしょうか。

なぜならすべての人の究極の願いは「いつまでも死なないこと」でしょう。
死ぬのは恐ろしい。誰もが一番避けたいのは「死」。これに例外はありません。

ところが、その一番避けたい嫌な「死」に向かって人々は一分一秒休みなく進んでいる・・・。
結局「生きる」ということは、せっせと「死」に至り着く過程に過ぎないのです。
絶対死にたくないのに必ず死なねばならない。

世に矛盾はいろいろあっても、これ以上の大矛盾はありません。
ここに人間の逃れられない大苦悩があるのです。

「なぜ、生と死があるんだろう?」
「やがて死ぬのに、なぜ生きる?」

すべての人にとってこれほど知りたい切実な問題はないでしょう。

手塚氏は「本当に大切なもの、必要なものは何なのか、じっくり考えなければならないギリギリの地点に来てしまっている」
と言っています。

死を見つめてこそ、本当に大切なもの、必要なものは何なのか解くカギがありましょう。
そしてそれは仏法にあきらかにされているのです。

手塚氏が、本当の仏法までたどり着けば、どんな作品が遺されただろう・・・。

生誕80周年を記念して開幕した「手塚治虫展」。
遺された膨大な作品を前にちょっと想像してみたくもなるのでした☆

尾崎豊の『闇の告白』より

2009-04-18 06:58:23 | 音楽
亡き母が好んで聞いた歌に尾崎豊の曲がある。

尾崎豊とは、26歳で夭折したシンガーソングライター。
当時、若者のカリスマ的存在であり、今なおファンは多い。

『闇の告白』にこんな歌詞がある。

『血にまみれて汚れてしまう心
 償う術もなく生きる
 この世に生を受けた時から
 人は誰もが罪を背負い 
 何時しかやがて銃の引きがねを弾く
 いつの日か自分を撃ち抜く
 ただ一人答えを撃ち抜く・・・・』

闇とは、おそらく心の闇のこと。

尾崎の見つめた心は、傷つき傷つけ、血にまみれ、償うことのできない罪を
一生背負い続けるものであったのでしょう。

それは、決して彼が望んだ「生」ではなかった。
望んだものなら、銃で自分を撃ち抜く、という過激な言葉にならないはずだから・・・。

『酔いどれ』という歌には、

『おいらは酔いどれ・・・・・・・
 おいらの人生かい。無駄使いのあぶくぜにさ。
 生きてるわけかい。そんなものありゃしないよ・・・』とある。

生きてる訳。これがわかれば、どんなに汚れ罪深くても、自分の人生を
あぶく銭とは言わなかったでしょう。

尾崎が強烈に求めていたものは、きっと愛でも夢でもない。
「生きる理由」であり、「なぜ生きる」の答えだったのです。

その心の叫びが、若者の共感を得、今なお人々の胸を揺さぶるのではないでしょうか。

すべての人は生きる目的を知らない闇の中にいる。
そして、どんなに叫んでももがいても、闇の外に出られないことを、
おそらく知っているのです。

その閉塞感に押しつぶされそうになりながら、太陽に背を向け歩いていた
かつての自分が、仏法にめぐりあえて廻れ右、生きる目的に向かって
明るい幸せな道を進ませて頂いています。

あのとき仏法にあえなかったら・・・。
17年前の4月25日、亡くなった尾崎の酔いどれの最期に哀れな自分の姿を
そっと重ねずにおれないのです☆