働く主婦のじゅんこです 

自分探しから始まった幸せへの道・・いくつになっても旬な女性で生きるカギ☆

尾崎豊の『闇の告白』より

2009-04-18 06:58:23 | 音楽
亡き母が好んで聞いた歌に尾崎豊の曲がある。

尾崎豊とは、26歳で夭折したシンガーソングライター。
当時、若者のカリスマ的存在であり、今なおファンは多い。

『闇の告白』にこんな歌詞がある。

『血にまみれて汚れてしまう心
 償う術もなく生きる
 この世に生を受けた時から
 人は誰もが罪を背負い 
 何時しかやがて銃の引きがねを弾く
 いつの日か自分を撃ち抜く
 ただ一人答えを撃ち抜く・・・・』

闇とは、おそらく心の闇のこと。

尾崎の見つめた心は、傷つき傷つけ、血にまみれ、償うことのできない罪を
一生背負い続けるものであったのでしょう。

それは、決して彼が望んだ「生」ではなかった。
望んだものなら、銃で自分を撃ち抜く、という過激な言葉にならないはずだから・・・。

『酔いどれ』という歌には、

『おいらは酔いどれ・・・・・・・
 おいらの人生かい。無駄使いのあぶくぜにさ。
 生きてるわけかい。そんなものありゃしないよ・・・』とある。

生きてる訳。これがわかれば、どんなに汚れ罪深くても、自分の人生を
あぶく銭とは言わなかったでしょう。

尾崎が強烈に求めていたものは、きっと愛でも夢でもない。
「生きる理由」であり、「なぜ生きる」の答えだったのです。

その心の叫びが、若者の共感を得、今なお人々の胸を揺さぶるのではないでしょうか。

すべての人は生きる目的を知らない闇の中にいる。
そして、どんなに叫んでももがいても、闇の外に出られないことを、
おそらく知っているのです。

その閉塞感に押しつぶされそうになりながら、太陽に背を向け歩いていた
かつての自分が、仏法にめぐりあえて廻れ右、生きる目的に向かって
明るい幸せな道を進ませて頂いています。

あのとき仏法にあえなかったら・・・。
17年前の4月25日、亡くなった尾崎の酔いどれの最期に哀れな自分の姿を
そっと重ねずにおれないのです☆

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