働く主婦のじゅんこです 

自分探しから始まった幸せへの道・・いくつになっても旬な女性で生きるカギ☆

「継続は力なり」

2010-08-28 11:32:40 | スポーツ
「継続は力なり」

力をつけることは、難しい。
それは、「継続」することが難しいからと知らされる。

表舞台で力を発揮できる人には、その舞台裏で、どれだけ地道な「継続」の努力があるのだろう。

先の全国高校野球で、春夏連覇を果たした沖縄の興南高校。。。

春の選抜優勝の後、自惚れもあったのか、服装の乱れなどを理由に主力選手がそろって、練習を
禁止された。

その中、主将の我如古選手は、ひたすら草むしりに黙々と取り組む。

彼は、誰もが認める努力家で、昨夏の新チーム結成時、圧倒的な支持を受けて主将になった。
厳しさにも率先して立ち向かう、監督からも頼りにされる存在である。

その彼の腐らずひたむきな姿勢に、やがて奮起したチームは夏の大会に向かって、一層、結束を
固めていったと言う。

黙して語らずとも、姿で思いを伝えることはできるのだろう。

なぜなら、我如古選手は、グラウンドにいる時だけ、模範を見せているのではない。
朝起きてから寝るまで、何一つ手抜きをしないと言う。
「大舞台になるほど、私生活が結果に出る」と思うから。。。

誰でも人目につくところでは力が入るが、認められないと知れば、気力も途端に失せてしまうもの。

しかし、褒められ認められることを目的としたら、何事も続かない。

春夏全国制覇という目的に向かって、評価されようが、干されようが、朝から夜まで手抜きをしな
かった。
その彼らの日々の「継続」があったなればこそ、「力」となり、優勝という大きな結果を掴めたので
なかろうか。

派手なパフォーマンスも、継続すれば、身につくこともあるだろう。

しかし、たとえ誰も見ていなくとも、評価されなくても、地道に種を蒔けば、その人自身に結果は
必ずあらわれてくるもの。

因果の道理を信じ、教えに従って光に向かえば、不満な心も深い反省と翻る。
人相手でなく、あくまで見聞知の仏様相手と晴れやかに、大きな目的に向かい「継続」して進ませて
頂こう☆

児童虐待の悲劇

2010-08-25 22:08:49 | 世事情いろいろ
児童虐待の悲劇が後を絶たない。

これは、できるだけ触れたくない、最も悲惨な事件である。

どうしてこんなことが起こるのだろう。
なぜ、こんなに心が痛むのだろう。

事件のあらましより、ここが気になるところである。

なぜなら、母親の立場として、完全に孤立状態になった時、こんな悲劇がまた起こりうると
思うから。。。

虐待し、殺してしまう母を、勿論、擁護する気持ちはない。

ただ、子供は文句なしに可愛いけれど、育児は24時間体制で、どこまでやっても当たり前、
しかも成人式を一区切りとしても、先の見えない長期戦。
いかに子のためとは言え、親も時に心身が消耗する人間なのである。

一昔前なら、母親は、家にいて子供優先の社会だった。
今は母親になっても仕事を持ち、それぞれの立場で頑張らねばならない状況になっている。

その上、母性愛は万能という大前提で、偉大な母親像の情報が氾濫し、子は親を映す鏡の
ように語られる。

これでは、真面目な人ほど、子育てがプレッシャーとなり、「母親失格」と追い詰められる人
があってもおかしくないのでなかろうか。

長女が赤ん坊の頃のこと。。。
生まれて3ヶ月までは、よく泣く子で、寝たと思ってもすぐ起きた。

どうしてこんなに泣くのだろう。
泣かせるのは自分のせいだと、日中はほとんど抱っこしていた記憶がある。
バドミントンで鍛えた手首が腱鞘炎になるほどに。。。

3ヶ月検診では、おでこに湿疹ができているのを恥ずかしく思い、オムツかぶれができると、
下手な育児と自分を責めた。

今なら「神経質」で「過敏」。はっきり言えば「ヘン」である。

だが、そんな過剰な反応が、新米母にはあるということだ。

そして、そのヘンな感覚から脱出するには、親でも姉妹でも友人でも、他者とのかかわりが
必要であり、親子だけの閉塞した世界に、風穴を開けることが、重要になってくる。

もし、そんな関わりが全くなく、家族の支えもない、社会から完全に孤立してしまったらどう
だろう。
後を絶たない悲劇の背景の一端を、ついここに見る思いがしてしまうのである。

子育てで体得したこと。
それは、「できないときは、助けを求める」。。。
何もかも抱え込み、自信喪失や、育児放棄になる前に、できないときは、いったん肩の荷を
降ろして、助けを借りる。だって、それまで十分頑張ってきたのだから。。。

そうして受けた親切が身に沁みたら、今度は自分の番だと、助ける側に立てるだろう。
社会全体が、支援を差し伸べる窓口となって、子育てに優しい体制になれば、少子化に傾く
頑なな心も、きっと緩むに違いない。

そうして、願うことは、すべての人に真の幸福を教えられた仏教を、半生かけて育てた子供
と共に聞かせて頂き、救われること。。。
仏縁を仰げば、子育てもご方便と、有難く感謝せずにおれない☆

男の道

2010-08-21 06:44:19 | 家族
「試験どうだった?」

昨日終わった模試の結果を、息子に聞く。
何せ一学期の成績では、軒並みE判定で、先生も「このままでは」とダメ出しばかり。

当の息子は「E判定はいい位置だ」とあくまでもマイペース。。。
この時期、根拠も無いのにこの自信。一体どこからくるのだろう。

小学生の頃から、「一番強いのは自分だ」と、友達を負かしては自慢した。
「喧嘩はだめ」と、どんなに諭しても「これは男の戦いだ」。。。

中学3年にもなると体力テストも学年トップで、すでに向かってくる相手は無かった
らしい。

一昔前だったら「単純」で「元気な子」。
今はそんなに甘くない。
先生から呼び出しがあるたび、冷や汗かいた。

そんな彼にも忘れられない思い出がある。

小学校5年のとき。
給食のおかずに、誰かが悪ふざけで、塩をたくさん振って友達を泣かせた。
その時、担任は事情も聞かず、息子をいきなり前に立たせ、みんなの前でぶったと言う。
ところが、調べてみると犯人は息子ではなかったのである。

その事件の経緯を後日知った私は、熱くなって思わず叫んだ。
「訴えてやる!」

どんなに子供心に傷ついたことだろう。
いきなり犯人扱いして、みんなの前で体罰なんて。。。
「お母さんだったらショックで不登校になるよ!」

取り乱す母に、息子は静かに言ったものだ。
「先生だって間違うことはある」。。。

その時、息子は確かに大きく見えた。だが、錯覚だった。
その後の彼は、漫画のような浮き沈みの青春を送っている。

ただ、ドンゾコでも僻まず、自分が不利になるとわかっても、ごまかさない。
これは、幼児期から変わらぬ長所でなかろうか。

長女の時は、二人三脚のように受験を戦ったものだが、息子には一人で切り開き、
ダメでも立ち上がる力があるのだろう。

ここまでくれば、テストの結果を聞いたところで所詮はない。
「我事に於いて後悔せず」。。。今日も見る、いかつい後ろ姿に、せめてエールを
送ることにしよう☆

言葉で育つこと

2010-08-20 06:38:17 | 教育
コメディアンの萩本欽一さんは、子供の頃、目立つのが嫌いで、おとなしかったと言う。
その人生を、大きく変えた「事件」がある。

中学校の頃、いたずらっ子にそそのかされて、黒板に担任のあだ名を書いた。
教室に入ってきた先生が
「誰が書いたの?」。。。
みんなとぼけるから、つい先生の声が怒気で荒くなる。
「誰!!」

ものすごく大きな声の勢いに押され、気づいたら立っていた。

どんなに怒られるかと、ビクビクして「はい」と答えたら、
「男の子はね、これぐらいの勇気がないとダメなのよ」と、
意外にも優しい言葉で、ニコッと微笑まれたと言う。

普段は怖い先生だったから、この一言が嬉しくて、先生への恩返しをしようと、
おとなしかった彼が、授業中に勇気を持って手を挙げるようになる。

ところが指されて立ち上がると「わかりません!」。。。
これが、どっとクラスに受けた。

黒板事件の先生のあの一言で、大変わり。。。
いわば、あの日は「欽ちゃん」の誕生日なのだと言う。

普段は笑顔を見せず取っ付きにくい萩本氏だが、叱られるという覚悟が相手に見えれば、
どこかで褒めるそうだ。
その一言で、相手が変わるきっかけになるかもしれないから。。。

ここで「叱られる覚悟」とは、自分の非を認めたことだろう。
自分が悪い、間違っていた、と心から認め、反省している人に、それ以上叱る必要はない。

むしろ、気遣う言葉の方が、奮起させる。。。

叱るにしても、褒めるにしても、相手を思い、育てるため。。。

つい怒りをぶつけたり、落ち込ませたり、おだてて好かれようという自分のご都合主義に
なりがちだが、それでは人は育たない。

どんな時も、自分より相手のことを優先する。
つまるところ、常に自己との闘いなのだが、世の師表とは、この心がけが身についた人を
言うのだろう☆

関連記事 ほめる達人 http://www.bwcreativegroup.com/?p=116

「改正臓器移植法」

2010-08-17 05:50:33 | 医学
2009年7月に成立した改正臓器移植法に基づき、本人の意思が不明でも、家族の承諾が
あれば提供が可能になった。

先日、20代男性が脳死と判定され、家族の同意で、5人の患者にそれぞれ臓器が提供さ
れたという。

死を待つばかりの患者にとって、どんなに救われた思いがしたことか。。。

不慮の事故には違いないが、短い生涯で5人の命を助けたと言える。

突然愛する肉親を失い、とまどいの中、重い決断をされた家族の方々の心情もはかり
知れないものがある。

こんな時、自分はどうしただろう。。。

振り返って想像した人も多いのでなかろうか。

脳死になった自分。
そして、そんな家族を持った私。。。

「脳死」になった「自分」の「心」はどんな状態なのだろう。

ここが曖昧である限り、論議は尽きず、評価も難しい。。。

なぜなら、「生」と「死」の境界を、誰の意思で決めるかの問題の前に、死に至る「心」の
状態を、誰もが知りたいからである。

ここがはっきりすれば、「臓器」を生かす本当の意義も見えてくる。

「肉体」はこの世、焼いて終わるものだが、私たちの「生命」は、果てしない過去から
流転を重ね、生死を繰り返し、永遠の未来へと連なっていると仏教で教えられている。

その果てしない生命の歴史からすれば、この世100年生きたとしても一瞬の命。。。
その儚い命で、何をするために生まれてきたのだろう。

それは、弥陀の本願を聞いて、この世から未来永遠の絶対の幸福に生かされるため。。。

親鸞聖人は、救われた世界を「無碍の一道」と言われている。
弥陀の救いは、一念だから、最悪、臨終の人も正客なのだ。

この多生の目的を知らされ、三世十方を貫く真理を物差しとして見れば、いかなる空中
分解に見える論議も、果てしなく続く論争も、このためだったのか、とその解決が見え
てくる。。。

どうか仏縁あれかし、聞いてくれよ、と念ずるほかはない☆

1番のんびりしている人

2010-08-15 21:21:22 | 医学
今は諏訪中央病院名誉院長である鎌田實氏が、院長の頃、「パニック障害」になったと
言う。

疲労の蓄積による精神疾患。。。
院長になって9年目、48歳の時だった。

増床する病院の運営と分院の改善、全体の機能分担や高度化、医師の確保。。。
一人でこなすには、相当な負担が続いていたに違いない。

「がんばるカマタ」が、初めて弱い自分を認めたら楽になり、病気の向こう側で支えて
くれた「家族」の存在に気づかされたと言う。

家族なしでは乗り越えられない。
病気をきっかけに、家族の絆が有難く、長年、足元を見ていなかったことが知らされた。

漫画家のさかもと未明さん。。。
2年前に膠原病を告知され、闘病生活が始まった。
病気が進行して、体が思うように動かない。
常に誰かの手が必要な毎日。。。

しかし、辛い闘病生活を通じて、心が大きく変わったという。
「それまで、アシスタントのミスを見つけては怒っていたのですが、今は『だめなお姉さん』。
彼らの力がないと何もできなかったと気づきました」。。。

周囲の優しさに接し、謙虚な心になり、人に感謝できるようになる。

それまで「恨みが強すぎる文章」と指摘されて実現できなかった自伝も改まり、昨年秋、
初めて出版の運びとなった。。。

誰しも、自分が一番苦労していると思っている。

一番頑張っているのが自分、と思いがちだが、実際は、どれだけ多くの善意で支えられて
いることだろう。

この事実が分からないと、頑張るほど腹も立つし苦しくなる。。。

本当は、一番のんびりしているのが私。
みんなはギリギリ一杯努力しているのだ。

至らぬ自分と、みんなの頑張りが、素直に認められれば、「おかげさまで」と感謝して
「ありがとう」と言わずにおれなくなる。

そして、いよいよ張り切って進まずにおれない。

事実、「がんばらない」と言っている鎌田氏も、ますます多方面で活躍し、前述の漫画家
さかもとさんも難病を抱えながら、歌手としても活動し、来春に初めて個展を開くと言う。

外に向きがちな心を内に向け、「蒔いた種は必ず生える」の因果の道理から常に自戒して
いきたいものである☆

「我事に於いて後悔せず」

2010-08-11 05:56:41 | 家族
「我事に於いて後悔せず」

息子の部活のTシャツの後ろに印刷された言葉である。

ようやく受験生の立場に目覚めた息子は、机に向かう時間が多くなった。
時々見に行くと、冒頭の言葉が、その後ろ姿から目に飛び込んでくる。

一昨日も、昨日も今朝も。。。

何しろ、日々身につけるTシャツは異なるが、背面の言葉は全部同じ、、これなのだ。

そして、覗き込むたび、目に入るのは「数学」のテキストばかり。。。

ひょっとして、好きな科目だけで勝負しよう、と無謀な計画を立てているのでなかろうか。
何かとバランスの悪い息子だから、心配は尽きない。

それにしても、「夏を制する者は受験を制す」と言われるように、長期の自由時間で、どれだけ
自分をコントロールし、勉強に励むかは、受験の大きな勝負どころになるだろう。

何事も、望む結果を得るには、それ相当の原因、種まきがある。

今、熱戦が繰り広げられている夏の全国高校野球。。。
球児なら、誰でも憧れる甲子園であるが、その土を踏めるのは、ごくわずか。。。

時に理不尽とも言える過酷な練習に耐え抜いた者が出場できる、と言われている。
その中、しのぎを削った全国の代表校の頂点に立つことは、球児にとって、「我事を為す」
最高の結果に違いない。

問題は、どんな難事も、為せば「我事に於いて後悔せず」と、生涯変わらぬものであるかどうか。。。

まして、人生の幕引きに於いておや、である。

死んでいく時にも、「我事に於いて後悔せず」と言えるもの。。。
それこそ、万人の求める究極の生きる目的でなかろうか。

それを知り、掴んだ人は、どんなに幸せだろう。

仏法に、その最も知りたい「人生の目的」が説かれてある。
それを果たされた親鸞聖人は、「無碍の一道」と喝破された。

聖人の「よろこばしかな」で始まり、「よろこばしきかな」で終わる『教行信証』。。。
このご著書は、人生の目的を達成された聖人の、熱火の法悦で溢れている。

息子よ。。。
ここに至る一つの節目が受験だと、先の大きな目的に向かって進んでほしい。
光に向かう日々の努力の積み重ねが、来春、そう、たとえどっちに転んだとしても、きっと
「後悔せず」の結果となるはずだから。。。☆

「最小不幸社会」

2010-08-09 07:22:29 | 政治・経済
菅首相が、就任当初に掲げた「最小不幸社会」。。。
これは、「国民が不幸になる要素を少なくするのが、政治の役割」と言う。

何だか後ろ向きというか、消極的な感じもするが、案外、実感として受け入れられて
いるのでなかろうか。

今春の大学予定者で、就職も進学もしていない「進路未定者」が、5人に1人に当たる
10万6000人。。。。
就職先がないと留年する人もほぼ同数と言われている。

若い世代だけではない。
100歳以上の高齢者の所在不明が、次々に明らかになり、虐待死の子供の数が増え、
殺伐とした家庭崩壊が身近に危惧されている。

今日、社会に漠然と広がっている「不幸」気分。
「一億総中流」だった日本社会が、いつの間にか「一億総不幸」になってしまった。。。。

戦後生まれの「戦争を知らない子供たち」は、「平和な世に生まれて幸せな子たち」と、
言い聞かされて育ってきた。

それを「幸せ」と感じていたかどうかはともかくも、学生時代、自由を謳歌した彼らは、
社会に出ると、日本を背負う気概を持ち、その多くが馬車馬のごとく働いた。

そのエネルギッシュで統率を得た労働力は、日本経済を押し上げて、世界も驚く右肩
上がり。。。
あっという間に、世界のナンバー2まで躍り出た。

働きバチ、ウサギ小屋など、海外からの妬み、嫉みのバッシングにもめげず、長期の
単身赴任を、ものともせず、過労死で倒れる戦友の屍をも乗り越えて、ただひたすら
走り続けた日本人。

その先に見る夢の経済大国に、世界に輝く幸福な姿があったに違いない。

ところが、である。
行き着いた日本が、思いもよらぬ「一億総不幸」であったとは。。。

退職を迎えた団塊世代の先輩達は、今の日本を、どんな思いで見ているのだろう。

平和が当たり前になり、豊かな経済に甘え、孤独な心が、貧しさに泣いている。
周囲は、真実を求め、本当の幸せを探し、聞きたい人で溢れている。
独り、安んじて済むことではない。
寸刻を惜しみ、お伝えする秋は今と、ますます奮起せずにおれない☆

関連記事「今こそ親鸞学徒の心意気」http://www.bwcreativegroup.com/?p=26

「大阪のおばちゃん」

2010-08-07 07:35:52 | 家族
兵庫県西宮市にあるワッフル専門店から、期間限定の「大阪おばちゃんロール」が
全国で販売されたと言う。

おばちゃんが好む黄色と茶色のヒョウ模様をイメージし、チョコとキャラメルが入った
クリームをワッフルで包んだもの。。。
包装もヒョウ柄にそろえてあるそうだ。

「大阪のおばちゃん」と聞くと、つい郷愁をそそられ、懐かしい。

確かにヒョウ柄を身につけている人は、いつの季節もなぜかいる。

しかし、「大阪のおばちゃん」は、外見も派手だが世話好きで、その溢れるパワーで、
ボケと突っ込みを自在に操る人が多い、と思うのは私だけだろうか。

小学校の頃、福岡県から大阪に転校して驚いたのは、生徒の舌の回転と、お笑い劇場
のような学びの教室。。。

福岡では、授業中、教師の厳しい風格もあって、私語はほとんど聞かれなかった。
ところが、大阪では、先生の言葉に突っ込む生徒あり、それにまた突っ込みが連鎖し、
爆笑の渦がたびたび起こる。

なんて、頭の回転の速い人が多いのだろうと感心したが、これは学力とは関係ない。

つまり、ボケと突っ込みは日常にあり、家庭で演じる役割の中心が母親、つまり
「大阪のおばちゃん」だったのである。

友人が母親をネタに、面白い話をよく聞いた。
勿論、そんなオモロイ母ばかりではなかっただろう。

でも、生真面目な自分の母とのあまりの違いに、育つ環境でこうも考え方、受け止め方
が違うのか、と子供なりに学んだものだ。

あの頃、畏敬をもった「大阪のおばちゃん」のたくましい年齢に、自分も近づきつつある。
いやいや子供達からすれば、すでに立派なおばちゃんだ。

物忘れ、勘違い、思い込み、そして聞き分けの悪い母に、昨日も3人の子供達から
「お母さんも、もう年齢だね」と三下り半。。。

すかさず「四捨五入すれば、もう百歳!」。
「・・・・」。

そう、十の位を四捨五入すれば。。。

子供達の笑顔で元気になる。
最近は、どんなギャグも不発に終わるが、そこがめげないおばちゃんパワー。
文法的に成立しないおかしな日常の英会話も、脳力アップの鍛錬なんだよ。

仏法に向かっては厳しい母だが、周囲もあきれるこの落差。。。
やっぱり原点は、「大阪のおばちゃん」なのかな☆

「風の谷のナウシカ」

2010-08-05 09:26:01 | アニメ
宮崎駿の作品に、「風の谷のナウシカ」がある。

劇場公開は、なんと26年前の1984年。
時々テレビ放映されている。
今も通じるテーマが、描かれているからだろう。

28世紀頃、極限まで発達した人類文明が、「火の七日間」と呼ばれる最終戦争を引き起こし、
世界の殆どが不毛の地と化した。

一方、瘴気(有毒ガス)が充満する「腐海」と呼ばれる菌類の森や、獰猛な蟲(むし)が発生
する。

わずかに残った人類は、拡大を続ける腐海に脅かされながら、「中世」の時代のような生活を
細々と営んでいた。

ナウシカの時代は、その最終戦争から1000年を経た「未来」の地球。。。

映画では、公害や自然破壊などの環境問題が、話題になったようだが、原作は、映画とは
少し違った設定で、より踏み込んだ感がある。

文明の破壊と再生、族内紛争で、人間のエゴや愚かさも描かれる。

ナウシカは、時代に翻弄されながら、さまざまな人々と出会い、腐海と人類との共生の道を
探っていくのだが、ここで描かれている太古より繰り返されて来た人間の営みに、「戦争」が
ある。

実際、過去から今日まで、人類の歴史上、どれだけ戦争が繰り返されてきたことだろう。
万国で「人殺しはダメ」と教育されている現代社会でさえ。。。

おびただしいほど、無意味にばたばたと大量に死んでいく物語。。。
その中、主人公や一部の取り巻きの命は、生き延びる。

これは「風の谷のナウシカ」だけではない。

人間は平等だと、言いながら、命の尊さがはっきりしない。
だから、どの物語でも、要の抜けた曖昧さが残るのである。

この作品は、腐海の秘密を知らされ、未来に希望のあることが、ナウシカの消息に暗示されて
終わっている。

どんな愛しい人も、やがて死んでどこへゆく。。。
この命題に、ズバリ解答を教えられたのが、仏法なのだ。

ゆくべき、本当の幸せな世界を知らされ、明るい未来に向かってこそ、無意味な生が、地球
より重い生命と燦然と輝くのでなかろうか。

止まない愚かさを自己に知らされるほど、真実の救いにあえた喜び一杯、仏法を伝えずに
じっとしておれないのである☆

関連記事「ポニョの世界」http://www.bwcreativegroup.com/?p=83