働く主婦のじゅんこです 

自分探しから始まった幸せへの道・・いくつになっても旬な女性で生きるカギ☆

「女性は長命」なワケ・・・

2009-06-09 04:44:11 | 男類と女類
学生時代、恋愛の悩みや、失恋の悲しみを女友達からよく聞かされ、見て学んだことがある。

一時は泣いたり、わめいたりするが、落ち着いたと思ったら、「おいしいもの食べて忘れよう」と
急に切り替わったり、気晴らしに誘い出して、飲んだり食べたりしゃべっているうち、いつの間にか、
いつもの笑顔が復活したりする。

案外、そんな人から、早く届く結婚の知らせ・・・。
付き合ってた彼氏以外の男性と仲睦まじいツーショットを見ると、別人のような変貌に、驚きを
隠せなかったものだ。

かくいう私も他人のことは言えないのだが、この切り替え、立ち直りのたくましさは何なのだろう。

今なら女性の長命に通じるように思えてしまう。

ストレスを溜めない手段に通じているのか、ストレスにならない性質なのか、
ストレスに強い体質というべきか。

いずれにしても、男性と異なる神経の持ち主と言える。

男性は終わった恋でも、美しい思い出として残るようだが、女性は、今の恋を手に入れたら、
過去の思い出には頓着しない。

男性のロマンチストで繊細で憎めない少年の心と、女の現実的で時に大胆で母のように包み込む心。

自分にはないところに魅力を感じ、惹かれるのだろう。

違いを互いに自覚し、無いところを補い、支えあって、愛情を育む努力が、成長につながっていくに違いない。

更に願うべきは、どこへ向かって生きるのか、何の為に生きるのか、方向と共に歩調が合えば、
一層努力を惜しまず、努力が報われ、未来への絆を喜び、心豊かな人生になるのだろう☆

「女の泪」と「泣けない男」

2009-06-07 05:49:17 | 男類と女類
昨日より、河島英五の「酒と泪と男と女」について考察している。

「忘れてしまいたいことや どうしようもない寂しさに、包まれたときに男は酒を飲むのでしょう」
と歌詞にある。
女はそんなとき「泪みせるのでしょう」・・とある。

この男と女の違いのカギは、後半の「俺は男 泣きとおすなんて出来ないよ」
「俺は男 泪はみせられないもの」の歌詞にあると思う。

一般的に「男なら泣くな」と言われて育った男性は、思うように「泣けない」のではなかろうか。

これは、渥美清の「泣いてたまるか」というダイレクトな歌のタイトルにもあることだし、
渥美が演ずる寅さんの「男はつらいよ」はその切ない男心が、おかしさを伴って共感を得ているのだと思う。

今の若い男性のことは、わからない。
そして、深い男心は、女性の私には、分からない。

ただ、「泣けない」男性の事情には、それなりに大変さがあると想像するだけである。

その点、女性は楽だ。
泣くことで、鬱積した感情を吐き出し、一時的であってもスッキリする。

もし、ストレス発散ということで、泣くことが有効ならば、女性はそれだけ有利ということになろう。
更に、涙によって、男を動かす術も知っているから、時により、ちゃっかり自分の思いを通す手段に変わるのだ・・・。

大阪弁で言えば、男性の方があえて「しんどい」道を進み、自分を律していると思える。

ただ、そのしんどさを、「酒」に解決を求めたらどうなるか。
一時ごまかせても、根本の解決にはならないから、「飲んで飲んで飲み疲れて眠るまで飲む」しかなくなる。

泣いてストレス発散する女性に比べ、「またひとつ女の方が 偉く思えてきた またひとつ男のずるさが 見えてきた」と
歌わずにおれないのでなかろうか・・・。

これらは、すべて私見であり、ある意味、暴論、極論だろう。

ただ、最も多感な学生時代、この歌を聞き、口ずさみながら時に涙した心境を思い出す時、
当時の仲間を想って書かずにおれない。

仏法に出会って、あの頃の「どうしようもない寂しさ」はどこから来るのか、そこから抜け出す解決の道はどこかを
はっきり教えられた。

だから今も、そこから抜け出せず、夜の酒場で、この歌を懐かしむ友あらば、どうにかして伝えたいと
願わずにおれないのだ。
その気持ちに、男も女も決して違いはないのである☆

「酒と泪と男と女」の考察

2009-06-06 04:53:07 | 男類と女類
河島英五の「酒と泪と男と女」という曲がある。

学生時代、男子の先輩がコンパのカラオケで好んで歌い、よく聞かされた。

「忘れてしまいたいことや どうしようもない寂しさに、包まれたときに男は酒を飲むのでしょう」と
歌詞にある。
また、そんなとき「女は泪みせるのでしょう」・・とある。

このフレーズに共感があって、多く歌われたのだと思う。

仏とも法とも知らなかった大学4年間で、酒に飲まれる男子や、恋に泣き疲れる女友達を
どれだけ見てきたかしれない。

本来なら、やりたいことが自由にできるバラ色の学生時代。
時間も体力も申し分なく、当時は、バブルでバイトの求人はあふれ、経済的な不自由も
ほとんどなかった・・・。

なのに、酒やマージャン、タバコにパチンコ、恋愛に浮かれ、旅行や遊び、サークルにバイトと
身をやつす若者がいかに多かったことか・・・。

少なくとも、キラキラ輝く充実した目をした学生は、身近にいなかった。
かくいう私も、体育会バドミントン部に明け暮れる変人だった。

なぜこうなるのか。
時間やお金、体力を持ち合わせても、それを何に使えばいいのか、何をなすべきか、
わからなかったのだ。

実は、ここに「どうしようもない寂しさ」があり、「飲まずにおれない酒」があり、
流す「涙」があると思う。

モノや人、時間やお金に不足はない。なのに、満たされない。
この寂しさ、虚しさは、解決の糸口が見えないだけに、深刻さも格別なのである。

人は、一体、何によってこの苦しみを忘れようとし、心癒そうとするのだろう。
それをこの曲では、男は「酒」、女は「泪」と歌われているのだ。

この男と女の違いはどこからくるのか。
前置きが長くなったが、次にもう少し考察を進めてみたいと思う☆

大地の女性

2009-06-05 04:16:29 | 男類と女類
住友信託銀行主催の「60歳のラブレター」がある。
今回の大賞授賞作品の概要を聞いてみよう。

これは、退職を控えた夫から妻へのラブレターである。

定年直前に「百年に一度の経済危機」で気落ちしている夫。
「給料もボーナスも減らされるだろうな」と言ったら、「頂けるだけ有難いじゃないの」と妻。
「会社も倒産になるかも」と心配したら、「命があって元気な体があるんだからどうにでもなるわよ」・・・。
こんな暗い時代、明るく前向きな君と一緒で良かった・・・とまあ妻に感謝する内容だ。

このようなことは、ままあるケースだろう。

この女性のおおらかさはどこからくるのか。
いろいろなことを言われても、私は、忍耐から培った強さでないかと思っている。

たとえば、主婦の仕事である洗濯や掃除。
どれだけやっても、汚れてはきれいにする、の繰り返し・・・。

家事のほとんどは、子供が積み木を立てては崩れる賽の河原と言えるだろう。
こんな非生産性で、建設的でないことを、主婦は何十年も毎日、続けるのだ。

それに比べ男性は、たとえ同じ仕事の繰り返しでも、それに伴った収入がある。
地位や名誉も付随する。これは家事と、あきらかに異なる。

男性の職業選択肢の一つとして、どれだけの人が専業主夫を望むだろう。
まず、社会に出てバリバリ働くことを選ぶのでなかろうか。

表に受ける社会的立場や報酬を、上に顔出す芽とすれば、女性は、暗い地中に根っこを張っていくようなもの。
時間をかけて深く張った根は、やがて風雪に耐える太い幹を天に伸ばす。
人はこれを「カカア天下」と言うのだろう。

時として、男がうろたえるようなことでも、泰然と構え、ゆるがない女の信念は、この当たりからくるのでないか、
と思えてならない。

「本来の女性は人生の大地のようだ」と言われるが、繊細な男性を支える大地のようなものが女性なら、
強いと言っても問題はあるまい。
勿論、男女共に支えあって生き、寄り添う努力があるのは言うまでもないこと。

だからこそ、まず己を知り、相手を知ることが大切だと思うのだ。
男と女の違い。これはまだまだ続く☆


「女王」が君臨するとき

2009-06-04 03:52:20 | 男類と女類
働き蜂の40倍も長生きし、最盛期には1日2000個以上もの卵を生むと言われる女王蜂。
この驚くべき生命力は、まさに「女王」と言われるにふさわしい。

人間の世界でも、女性の平均寿命86歳、男性79歳。
女性の方が長命であることは、周知の事実。これは一体、何を意味するのだろう。

大学で4年間、体育会バドミントン部に所属し、男性と練習は勿論、合宿を共にこなしてきた者として、
体験的に分かることがある。

男性は、体力の限界を超えるまで、力を出し尽くす。

特に夏は、冷房もなく、扉を閉ざした蒸し風呂の体育館で、何時間も打ちっぱなしの練習では、
倒れる男子が続出する。
だから、バケツをコートの外に置いて、水をかけたり、急ぎ、体育館の外に連れ出されるのだ。
今は、おそらくないであろう、過去の壮絶な練習風景である。

女性はどうか。
私も含めて、倒れるものは一人もいなかった。
どうしてかわからないが、女性は、限界を超えることができない。
決して手抜きでも不真面目でもなく・・・。
強いて言えば、倒れる直前に、本能的に身をかばう感じ・・。

だから、ぎりぎりまで向かっていても、限界を超えないから倒れない。

夏合宿の時は、早朝10キロのランニングが定番だった。
5キロまでは隊列を組んで一緒に走るが、折り返しての後半は、競争だ。

始めのうちは、勿論、男性が先頭集団で突っ走り、女性は最後を必死でついていく。

それが、日を追うにつれ、女性が、だんだん追いつくようになり、合宿が終わる頃には、
ゴール直前のスパートで、男性を追い抜く女傑さえあらわれる。

これは自分でも驚くべき現象であった。

しかし、答えはしごく簡単である。

極度の強化練習が続くと、男性は、手抜きのできない全力主義がたたり、加えて暑さに食欲も減退し、
かなり見事にやつれていく・・・。

それでも、意地と我慢で,女性に弱みは見せられぬ、早朝から食べておれるかと、飲まず食わずで出発し、
折り返し点を過ぎると、いきなりトップギアで走り出すのだ。

一方、女性はどうか。

こんな過酷な毎日では、しっかり食べないと身が持たない。
本能的に、猛暑の中でも食欲増進。
いつまでも男性に負けてはおれん、とリベンジに燃え、早朝からクッキーやチョコを手当たり次第
ほうばってから、いざ出陣・・・。

これでは、持久戦になるほど、男性に勝ち目はなくなるのだ。

なぜ女性は、強いのか。

いよいよ避けては通れない来るべき命題となった。だから今のうちに・・そう次回から書いていく。
優しき寛大な男性の方々、どうか笑って身にこたえて下さいませ☆

「きれいになりたい」補足編

2009-05-29 05:37:14 | 男類と女類
『B.C.』ビューティー・コロシアムという番組がある。

容姿にコンプレックスを持った女性の「きれいになりたい!」という願いをかなえる番組だ。

「顔じゃないよ、心だよ」とは言っても、第一印象は、9割見た目で決まると言われる。

きれいになったら、明日から違う人生が待っているかもしれない。
その思いに一縷の望みをかけて、大事な顔に敢然とメスを受け入れるのだ。

「美」の追求は、女性のサガとはいえ、いかに涙ぐましく、深刻で果てないものか・・・。
男性には想像もできないだろう。

反面、我が妻は、家ではノー化粧。きれいに見せるどころか、開き直ったあの醜態、
あれで女かと、とまどう夫もいるようだ。
「しゅうち心 なくした妻はポーニョポニョ」(サラリーマン川柳より)

一体、女性の美の追求はいつまで続くのか・・・。

分かりやすく言えば、誰の前なら、きれいになるのか・・・。

これはストレートで、ちょっと怖い命題となる。

なので、これ以上、深い詮索はやめておく。

言えることは、釣った魚にえさをやらないような主人には、妻の側でも、夫に対し
化粧する気はたちまち失せていくだろう。

家庭で、妻がきれいであるのは、夫を異性として見る目が続いているということ。
「化粧」は女性にとって、ときめく恋愛のバロメーターであることを、男性に一言、
参考に告げておきましょう☆


節目を厭う女性の心理

2009-05-28 05:40:17 | 男類と女類
何故だかわからないが、今でも頭に残るシーンがある。

十数年前のこと。女優、若尾文子が、テレビでインタビューを受けていた。
「60歳」になったところだったと思う。

無礼にも「60を迎えた心境は?」など、年齢に関する質問を何度か受けていた。
そのうち彼女の硬い表情が、嫌悪に変わり、いきなり立ち上がって、その場をスタスタ出て行ったのだ。

「この質問はないだろう」と同情したのか、「60にもなって適当にあしらえばいいのに」と思ったか、
「プロでも感情は抑えられないんだ」と驚いたからか・・・。
たぶん、全部だと思うが、とても印象的だった。

その頃は、まだまだ若かったからこんな程度。

今なら、彼女の悲憤の気持ちが、よくわかる。
できることなら、質問者をぶん殴りたかっただろう。

女性は、30代から40代、40から50、50から60代へと移る節目は、それまでの人生で、最もナーバスと言っていいと思う。
少なくとも、大台突入には勇気がいる。

それは「美しさ」を求めるサガだからである。

若さは美に通じるから好むが、老いは醜に通じるから厭う。

実齢より、1歳でも2歳でも若く見せたい。そしてきれいと言われたい。
これが切実な願望なのだ。

輪をかけて、世間の目は、年齢で、値踏みするような残酷なところがある。
30と思っていた女性が50だった、と判明したらどうだろう。それまでの印象は、相当変わるのではないか。

だから、少しでも美しく見せたい女性は、年を重ねるほど、実齢を隠し、若さを手に入れたいとやっきになるのだ。

それを事もあろうに、ナーバスな節目の時に、大衆を前に年齢を話題にされたら・・・。
マライア・キャリーにしても、若尾文子にしても、深い同情を禁じ得ないのである。

女性の年齢は、聞くものではない。

ただ、「いくつになっても旬な女性」なら、自分の年齢と向き合い、ごまかさずに生きる勇気と覚悟はいるだろう。
化粧や、体型補正で外見勝負だけでなく、年を重ねるほど、魅力ある中身の濃い女性をめざしたいとつくづく思う・・・。

有難いことに、生きる目的に向かう人生だから、どんな節目を迎えても、新たな挑戦と受けて立ち、
溢れてくるエネルギーに身も心も若返る刺激的な日々・・・。どこまでも深く感謝せずにおれません☆

口喧嘩じゃ女性に勝てぬ?

2009-05-25 04:38:01 | 男類と女類
「口喧嘩は、女性に勝てない」。

昨日は、脳の働きから検証しかけ、脱線した。
そこで、仕切り直し・・・。

脳には右脳と左脳がある。

右脳は直観力、感覚的、左脳は思考力、論理的とおおまかに言える。

片方の脳だけ働かせるより、右脳と左脳、共に働かせる方が、脳力は最大限に発揮する。
その右脳と左脳をつなぐ脳梁は、女性の方が大きい・・・。

つまり、女性は、左右の脳を行き来して脳全体を使って話をし、
男性は、ほとんど言語中枢がある左脳だけ使っている、と言うわけだ。

男性が、理論で通し、女性は、感覚的、感情的にも訴えるのは、この為と言われる。

口喧嘩は、相手を打ち負かすのが目的だから、戦闘体制の頭の中は、常に高速回転し、
かなりヒートアップしていると思う。

男性が、左脳で必死に必要事項を組み立てている間、女性は脳全体を駆使して、
相手の過去の罪や非を詳細に検索し、感情豊かに洗い出す。

あの時、あの場所で、あの一言に傷ついた・・・。実に細かい。

男は、不意を突かれ、驚くべき記憶力に、畏怖の念さえ抱くだろう。

更に、直観力が冴えるから、男性のその場限りのウソやごまかしは、たちどころに見抜かれてしまうのだ。

こんな女性を敵に回せば、勝機は容易に見つからず、やがて戦意喪失していくに違いない。
相手が、防戦一方になれば、口撃の速射砲で、有無を言わさず、最後のトドメ・・・。

やはり、片方の脳より、左右の脳を共に働かせる方が、断然、強い。

と言うわけで、「口喧嘩は、女性に勝てない」・・・。
ちょっと生々しかったでしょうか☆

男と女のすれ違い

2009-05-24 05:50:55 | 男類と女類
「口喧嘩は、女性に勝てない」。

この現象を脳の働きからみるとどうか。

脳には右脳と左脳がある。

右脳は図形を読み取ったり、音楽を聴き取るなど、直感力、イメージ的働きがあると言われる。
左脳は、言語の読みとりや、言葉の聞き取り、分析や思考力、論理的働きがあるそうだ。

大きく、右脳は感覚、左脳は理屈とも言えるだろう。

片方の脳だけ働かせるより、右脳と左脳、ともに働かせる状態が、脳の持つ力を最大限に発揮させることができる。

右脳と左脳をつなぐものを脳梁という。これは、男性より女性の方が大きい。

つまり、会話をする時、女性は脳全体を使って話をするが、男性は、ほとんど言語中枢がある左脳だけ使っていると言う。

男性が、理論で通そうとするのに対し、女性は右脳も使い、感覚的、感情的になりやすいと言うわけだ。
あの女性特有の飛躍した超論理は、ここからくるのだろう。

「夫が話を聞いてくれない」と不満を持つ妻がいる。

女性としては、会話にムダは一点もない。
しかし、右脳や左脳を行ったり来たりでは、一貫性に欠け、理路整然と聞きたい男性は、きっと耐えられない。

「聞いてやらない」より、「聞けない話」なのではあるまいか?
決して妻の人格を軽んじたり否定しているのではない、と弁護しておこう。

勿論、妻の切羽詰った聞いてほしい気持ちを、事情はどうあれ、受け止めなかった報いは必ず、受けねばならぬ。

妻の不満は積もり積もって、ドロドロの愚痴に引火し、一気に炎上して、共に朽ち果てる憂き目にあうだろう・・・。

なんだか、だんだん感情的になり、論点がずれてきた・・・。これでは結論は出ない。
つまり、私はこれでも女性で・・・・。   

「口喧嘩は女性に勝てない」。明日こそ、焦点をずらさず、論理的に引き継ぐことにしよう☆

越すに越されぬ男女の仲

2009-05-23 05:47:49 | 男類と女類
先日、次女が家族に買った修学旅行のお土産の分配で、長男と珍しく言い合いをしていた。

長男は、一箱10個入りの菓子を家族5人で分け、1人2個と計算し、無断で食べてしまったらしい。

「何でお兄ちゃんの分が2個なの!」。
妹は激しく非難し、長男は、「10を5で割ると2!自分の分を食べて何が悪い」。
劣勢ながら負けじと繰り返し応戦する・・・。

ああ、息子よ。これは、数が割り切れればすむという単純な問題ではないのだ。

男が、たし算の思考なら、女はかけ算。
男女の間には、分かり合えない深い溝、違いがあると言われる。

そこで、ついに彼女は残酷にも言い放った。
「お兄ちゃんに1人2個分の思いはない!自分としては、兄ちゃんの分は1個の計算だった。
その分、他の人にあげるつもりだったのに・・・」。

「・・・・。つまり、自分には1人2個分の価値もなかったってこと?」
ようやく気づいた長男が、深く傷ついたのは言うまでもない。

子供達3人は、ほとんど喧嘩のない仲ではあるが、たまに口げんかすると圧倒的に
女に軍パイが上がる。
幼少の頃から息子は女2人に勝ったためしがないのだ。

姉は勿論、2歳下の妹にでも・・である。

「口喧嘩じゃ、女性に勝てない」。
一般的にも言われるが、どうしてなのか、息子のためにも次に書いてみようと思う☆