働く主婦のじゅんこです 

自分探しから始まった幸せへの道・・いくつになっても旬な女性で生きるカギ☆

日本の復興に根ざすもの

2011-04-19 10:20:09 | 世事情いろいろ
桜の満開は、愛でる間にも、散りゆくはかなさを思わせる。

すべては続かないという無常を、あっという間に散っていく桜に、重ねて見る日本人は少なくない。

日本の国土は、気候が変化に富み、四季折々の風情の美しさは、すべては移ろい変わることを
身近に知らせてくれる。

その上、プレートの境界線上にあるから、大地は不安定で火山、地震、津波、その上、台風と
天災が多い。
地域でも、家庭でもどこでも突然の災害に備えているものだが、今回の大震災により、すべては
永続しないという無常観を、改めて多くの日本人が実感したのでなかろうか。

敵襲ならば反撃もできようが、天災は甘んじて受けて、泣いても立ち上がるしかない。

だから、「こんな目にあわせた相手にやり返せ」ではなく、
「起きたことは仕方がない、やり直そう」となっていく。。。

被災地からは、「なんで自分がこんな目にあわなくてはならないのか」という怨嗟より
「自分はまだまし、頑張ろう」という声が多く聞こえてくる。

原因を他に求め、怒りや恨みを持っている間は、その問題を解決するに至らない。
自分に起きたどんな結果も、その原因を自身にあきらかにみてこそ、次のステップにつながる
のである。

この因果の道理を根幹とする仏教の教えが、日本人の根底に流れていると思わずにおれない。

地震と津波は多くを奪い去り、原発が輪をかけて人々の生活を脅かし、身近な電力不足に、
これから日本は貧しさを実感していくことだろう。

しかし、仏教に根ざした日本人の精神は脈々と豊かであることを、今こそ世界に示すチャンス
ではなかろうか。

仏教は不滅の光であり、それをあきらかにされた親鸞聖人は世界の光と言われている。

冷酷な運命に甘んじて従うのでなく、自ら未来の幸せの種を蒔くことができると教えられた
親鸞聖人。。。

その思想を支えに、戦後、瓦礫の中から復興した日本に世界が驚いたように、今も未曽有の
災害に立ち向かうチーム日本は、今後ますます世界の熱い注目を集めるに違いない☆

生きる力のもと

2011-04-16 09:30:03 | 家族
長女が最初に目にしたアニメ。。。
1歳の当時、口が回らず「あんまんまん」と言っていた。

そう、アンパンで出来た自分の顔を、困った人に与えて助けるヒーロー、アンパンマンである。

顔を削ったり、食べられたりする幼児アニメに、始めはぎょっと驚いた。
しかも、顔を与えるほど、体力はなくなり、時には倒れてしまうヒーローに、強さを求めた世代
には、なんとなく頼りなく思えたものである。

今回の未曽有の被災地で、流れていたというアンパンマンマーチ。。。

 そうだ うれしいんだ
 生きる よろこび
 たとえ 胸の傷がいたんでも

何もかも津波で流され、生きる明りを失った人達が、あるなら知りたい「生きるよろこび」。。。
これは、一体どこからくるのだろう。

目の前で苦しんでいる人があれば、倒れると分かっても、顔を与えずにおれないアンパンマン。

仏教では「利他の精神」と言われるが、自分のことは後回し。
まず他人に与えることだけを考える。

今度の震災で、自身も震災にあいながら無料で品物や料理を提供する工場や飲食店が相次いだ。

そんなことをすれば、赤字が増えるだけじゃないか、品薄のときだからこそ売れば儲かるのに、
と思う人もあるだろう。

だがそうではない。
仏教では、自利利他と言って、他人に幸せを与えるままが、自分の幸せになるのだよと教えられて
いるのである。

反対に、人から奪うことばかり考えるのは、我利我利亡者と言って、決して幸せになれない。

善意の募金を盗んだり、振込み詐欺をするのは論外だが、スーパーで物を買いあさったりする。
これも自分さえ備えあれば、という我利我利亡者。。。
物を手に入れ、一時、得をしたように思っても、心は晴れず、元気も出ない。

我利我利亡者には真の友達がいないから、いつも寂しく暗いのだ。

では幸せになるにはどうしたらよいのだろう。
仏教では、利他に徹しなさいと教えられる。
オレが、オレがと取ることばかり考えず、与えることを考える。

「情けは他人のためならず」。
他人にかける情けは、そのまま自分に返ってくる。与える者は、与えられるのである。

与えると減ると思い、与えることに躊躇していては、幸せになれない。

「施しは、生きる力の元と知れ」と言われるように、与えるほど生きる力になる、元気になる、
生きる喜びになるのだ。

実際、身を挺して被災地へ応援活動してきた人達が、被災地の方から逆に元気をもらった、と
喜びの発言をすることはよくあること。。。

アンパンマンが、顔を与えても与えても、新しいパンをもらって強くなるように、他人の幸せを
優先して、自分が損をするとか、不幸になるということは絶対ない。

だから、自分が苦しくても、胸がいたんでも、利他に徹すれば必ず生きる喜びになって、幸せに
なれるんだよ。。。

幼い子供たちにも、自身にもぜひ言い聞かせたいことである☆

日本人の心

2011-04-04 19:28:19 | 世事情いろいろ
「お先にどうぞ」「いえ、私は大丈夫です」。

東日本大震災で、各地で見られる譲り合いの精神が、毎日のように報道されている。

地震直後、停電した秋田市内のホテルでは、非常食としてうどん10杯が用意されたが、約50人
の宿泊客らは先を争うことなく、互いを気遣った。

待ちに待った救援物資が届いても、秩序立てて待つ行列は、今やどこでも見られる光景である。

最悪の状況下でも、他人を気遣う被災者の姿に、世界中の人が感動し、称讃している。

9日ぶりに祖母と共に救助された高校生は、倒壊した家の屋根の上で、寒さに震えながら、
開口一番、訴えた。
「中に80のおばあちゃんがいる」。

警察官から差し出されたお菓子を受け取ろうともせず、
「先に助けて」。。。
祖母と孫の2人、こうして支えあった9日間は、奇蹟の生還を生んだ。

最後まで避難を叫び続け、殉職した警察官や消防団員。
自分より家族や仲間を先に避難させ、逃げ遅れて命を絶たれた人も少なくない。

「ままへ。いきてるといいね。おげんきですか」
4歳の子が、亡き母に、生まれて初めて書いた短い手紙。。。

帰らぬ親を待ち続け、涙の乾かぬ震災孤児も、どれだけいることだろう。

最愛の家族を失い、深い傷を心に秘めながら、全国の熱いエールを背に、あたたかい絆を深め、
前を向いて歩み出す人達。

津波はすべてをのみこんでも、譲り合い、相手を思いやる日本人の心まで流し去ることはでき
ないのだ。

数々の苦難を乗り越え、日本人に脈々と受け継がれている仏教精神。。。
それをここに見るにつけ、被災された方々の一日も早い復興と仏縁を、心から願わずにおれない。

そうして、物資の救援はもとより、仏教で教えられる真の救済を示さん、と同志とともに奮い立つ
日々なのである☆