書名 乱読のセレンディピティ
著者 外山 滋比古
発行社 扶桑社
発行年 2016年10月10日
頁数 227頁
価格 580円+税
一般に、乱読は速読である。
それを粗雑な読みのように考えるのは偏見である。
ゆっくり読んだのではとり逃すものを、風のように速く読むものが、案外、得るところが大きいということもあろう。
乱読の効用である。本の数が少なく、貴重で手に入りにくかった時代に、精読が称揚されるのは自然で妥当である。
しかし、いまは違う。
本はあふれるように多いのに、読む時間が少ない。
そういう状況においてこそ、乱読の価値を見出さなくてはならない。
本が読まれなくなった、本ばなれがすすんでいるといわれる近年、乱読のよさに気づくこと自体が、セレンディピティであると言ってもよい。積極的な乱読は、従来の読書ではまれにしか見られなかったセレンディピティがかなり多くおこるのではないか。
それが、この本の考えである。
・セレンディピティ:思いがけないことを発見する能力
・距離の美学
☆人から本をもらうのは、ありがたさ五分、めいわく五分が多い。
☆もらった本は、面白くないものだ。
感心するのは、買った本である。
☆近きものは疎ましく、遠きものが美しい。
☆人と交わるのは、遠くの人がいい。
☆モモタロウのおとぎ話は、近くのもの同士で生きる危険を暗示している。
川から流れて来たモモは、遠い人である。
これを迎入れることによって、気はやさしくて力もちの英雄が生まれる。
・本は身ゼニを切って買うべし
☆もらった本は、ありがたくない。