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僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

(3/28)住宅顕信 自由律俳句

2009年03月28日 12時41分01秒 | 文学/言葉/本
今日も寒い。
洗濯をして干しても、日差しが弱い。
もう3月は終盤。
マフラーをします。



     ずぶぬれて犬ころ


これは俳句。
俳句というと
5・7・5という定型、季語、切れ字等
授業で教わったかと思う。
そんな中

     せき(咳)をしてもひとり

という、字数の合わない俳句が掲載されている。
そして教師は
「これは、自由律俳句と言って・・・・」と
尾崎放哉のこの句の説明に入る。
上の「ずぶぬれて犬ころ」という句は
住宅(すみたく)顕信という夭折した俳人の自由律俳句。
なかなか教科書には載ってこない人。
彼は文学史的には、ついこの間亡くなった方。
私の持っている「現代句集」にも載っていない。
なぜならこの「現代句集」が出たころには
彼はまだ俳句を作っていなかった。

私が自由律俳句に触れたのは
山頭火。
高校の時に彼の手記を買った。
定型句を主流に授業で習う中
私は山頭火の句に惹かれて
山頭火風に句を詠んだ。
名詞止めや「かな」「けり」の切れ字で終わる句と
違って
まるで文章の一部のような、季語もない、平易な句に
共感した。

    吠えつつ犬が村はずれまで送ってくれた 

    のびのびと尿してゐて咎められた

    縫うてくれるものがないほころび縫ってゐる

    吹雪吹きこむ窓の下で食べる

放浪の旅の途中、こんな句が生まれている。
放哉の場合は、自分の性格が災いしたのか、東大を出ながらも
最後には寺男として庵にこもり結核で亡くなっていく。
その放哉に傾倒していたのが
住宅顕信。
彼は25歳という若さで亡くなった。
作品の裏には悲しい物語がある。
それらが全てわかってしまう。

    かあちゃんが言えて母のない子よ

    脈を計っただけの平安な朝です

    若さとはこんなに淋しい春なのか

    消灯の放送があってそれからの月が明るい

    
そして私の好きな句は
    
    四角い僕の夜空にも星が満ちてくる

奥さんが妊娠して、彼が白血病を発病し、離婚。
子どもを引き取って彼(の家族)が病室で子育てをする。

夜、消灯の時刻が早くて目が冴えているころ
病室の四角い窓から見える夜空の星に
心、目がきらめく気持ちをその句に託している。
その情景が浮かぶ句です。

さて
最初の
    ずぶぬれて犬ころ

はどのような場面だったのか。
その句を見て、情景を浮かべるとすれば
犬がずぶ濡れになってトボトボ歩いているところだろうか。
時代的に、もう野良犬は街の中にいないときである。
尾崎放哉にも

    朝早い道のいぬころ(ひらがな)

という句がある。
そして先ほどの山頭火の

    吠えつつ犬が村はずれまで送ってくれた

のように、普通に犬が放し飼いにされていたり、野良犬が
いたりと、犬の管理がされていない時代だった。
顕信はどのような場面に遭遇したのだろう。
あるいは
そのずぶぬれた犬は自分を詠ったものなのだろうか。
犬ころの響きには哀しさがある。
しかも雨に濡れてそこにいる。
泣き濡れて犬が歩いている。
首輪のない、雑種の名もない犬が雨の中
さまよいつつ歩いている。
そんな場面を思い浮かべる句である。
彼の句には雨が多い。
雨は人の心を寂しくさせる。
雨降りの人生か。





今日は土曜日。
午後、日差しが出てきた。
うちにはネコがいる。
日差しを受けて身体を舐めてくつろいでいる。
犬の目は悲しいね。
切なくなるね。



最後に
尾崎放哉の句を一つ


    犬が覗いて行く垣根にて何事もない昼

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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (JMC)
2009-03-29 22:54:49
染みました。
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