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僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

(9/2)New Year's Day - 令和になって初めてのブログです。

2019年09月02日 10時34分39秒 | 名曲
New Year's Day - U2


令和時代に入って初めてのブログ。
恥ずかしい限りです。

春が過ぎ去り、さあ令和時代に突入、心機一転、ブログを更新しようと
思っていたのが
初夏が去り、梅雨が去り、暑い暑い夏に突入していた。
その夏の猛暑の勢いも去りつつある9月、私にとって「惑いの季節」(3月と9月を18歳の時に命名した)に入って、いよいよ更新しようという気持ちになった。
18歳の頃は、夏が終わっていくのを9月の雨で実感していた。受験生は夏休みを勉強一色で、
充実させていたことだろう。
私は全くその実感がなかった。
今、年をとって、猛暑の収まりを見て、9月は有りがたい、行動の季節(とき)と思っている。
昨年の夏、義母の「熱中症」を心配していた。暑さの自覚が無く、重ね着をしては私達に叱られていた。2回ほど、その兆しがあり、幸い、私達が家にいた時だったので、事なきを得た。
老人の熱中症がニュースなどで取り上げられれば、それをよく義母に言い聞かせていたが馬耳東風であった。
が、その熱中症、この私に襲った今年。
街の中でよくそれに似た症状で具合が悪くなったと、ブログで書いてきた。
今年もそれだった。
家に辿り着く寸前だった。倒れるまで、何度も自転車を降りて、道路に転がった。
あと400メートル、300メートル、と倒れる寸前に自転車を降りては座り込んだり、寝転がったりした。
そしてあと100メートルでたどり着く、というところで再び、アパートの駐車場で座り込んだ。
このまま無理して自転車を漕いでいたら、意識が無くなって転倒して頭を打つ、という危機感は持っていたので、もうだめだと、降りた。
地面が熱い。日陰を選んでも、地面も空気も何もかも熱い。
すると、通りがかった人が声を掛けてくれた。一人が声を掛けると、次々と声を掛けてくれた。
「そのまま座っていて。私はこの辺に住んでいるので、自宅から何か冷やすものを持ってくるから。」と走り去った。
座ってもいられなくて、コンクリートの上に寝そべった。その間、色々な方が声を掛けては励ましてくれたが、答えること、声を出すことも苦しかった。
親子が戻ってきて、冷たい氷嚢や小型扇風機を当ててくれた。
座っていたのが、寝そべっていたので、「救急車を呼ぶ。」となった。
少し自分の事情を話した。何しろ、すぐその路地を曲がってまっすぐ行けば自宅なので、なんとしてでも帰りたかった。姑もいること。
自宅が目の前にありながら、帰れないつらさ。
皆で懇々と救急車の説得をしてくれた。
「病院に行かなくてもいいのよ、涼しい救急車の中で色々と手当もしてくれるから、今家に帰っても、倒れたら大変、専門家に診てもらいましょうよ。」と言われて初めて納得した。
そうだ、救急車の中で、何とか快復するかもしれない、そのまま自宅に戻れるかもしれない、と彼女たちのアドバイスに従った。
ほどなく救急車が来た。あのピーポーという音が近くで止まると、一体どこの家の人だろう、と一般に思うであろう。
何人かいたのだが、顔を見ることができなかった。
そして、救急車の中で隊員たちと会話する。血圧も図る。心電図も。
私は帰宅することを前提にしていたので、涼しい所に身体を横にして、意識もあり、言葉も発せられることをアピールした。
名前、年齢、「今日は何日?」の質問等に答え、日にちは1日間違えた。夫の電話を聞かれたが、携帯の番号がわからない、あとからわかったことだがうちの隣の方々が夫の会社に電話をしてくれ、事情を説明して夫を探してくれた。夫と電話で話したが、耳が聞こえないため、隊員の方が替わって話してくれた。「家に戻れるのか。」と聞かれ、「戻る。」と言った私。

そして電話を切って、しばらくして「もう大丈夫です。」と言って立ち上がったとたん、再び具合が悪くなった。吐き気と右腕がしびれてきたのである。こんなしびれ、今まで経験していない。またベッドに横たわった私を見て、隊員は「このままではだめだ、家に入っても倒れたままですよ。病院に行きましょう!」これ以上、隊員の責任問題になったら大変だ、具合の悪さはこれからどう変化するかわからない、病院に行く、と素直に従った。
そして、救急車は出発する。「Sさん(私の名字)、近所の方々、皆さん心配していましたよ。」と隊員に言われる。
病院は街の中で、他にも数名同じような患者がいた。
点滴と血液検査。そして身体を休める。動悸も落ち着いてきた。
やはり、あのまま帰ったら、事の重大さは誰にも分らない。
夫や姑の食事の準備もしなくてはならない。そのまま寝ていたら、疲れて帰宅した夫に「具合悪くて寝ていた」と言っても、ただただ、カチンと来るだけかもしれない。
病院で休んでいる間、自分の会社にメールで連絡した。翌日出勤だからだ。早朝3時に起きて、ハードな仕事をこなすことに自信がなかった。また、倒れたら・・・と頭をよぎる。
しかし、急なこと、しかも翌日は日曜なので、シフトをすぐに替えることが難しい。
それでも一応頼んでみようとなった。
上司は、自分も含めて2名でヘルプすると返事をよこした。だが、会社から遠い彼らの家では
早朝の出勤は難しい。タクシーで来なければならない交通手段だった。
そういうわけにはいかないので、とにかく家ですぐ休んで翌日早朝出勤することにした。
夫が病院に迎えに来た。
ごめんなさい、夫。仕事が忙しいのに、会社に迷惑をかけてしまって。

姑に、私が救急車で運ばれたことを説明してもわからない。
ただ、憮然とした表情はあった。
エアコンが切れていた(その日はタイマーセットし、帰宅したときには切れていた)。それも心配だったんだ。
翌日から、エアコンは四六時中点けっぱなしにするようになった。
遅い時刻だったが、最初に声を掛けてくれた親子の家に、病院から戻ったことを報告に行った。
自転車は自宅のいつもの置き場所に戻っていた。
誰が戻し、誰が夫の会社に連絡してくれたのか一切わからなかった。

そして翌朝、いつものように出勤した。
もう一人の同僚が、上司から連絡を受けていたようで、
「帰っていいよ、大丈夫だよ。」と言ってくれたが、
朝の準備のことは上司が来ても細かいところはわからないので、やれるところまでやることにした。
上司が来た。2人来た。なんと社長自ら来た。(敬語表現ダメですね。)
帰って休むように、と言われる。
まさか社長にまで伝わっていたとは。

翌月曜、火曜は続けて正規の休みなので、休息の日々とした。
その間、向かいの家に、あの日のことを聞きに行った。
私に最初に声を掛けて助けてくれた人のことも同じ町内会ということでよく知っている方だと言っていた。
自転車もその方が戻してくれた、夫の会社の電話も、うちの隣の方が(よく、うちの駐車場に夫の会社の車が停まっているので、会社名を覚えていた旦那さん)電話してくれた。
などなど、わかった。

隣の家にも挨拶に行った。ちょうど旭川の妹から例年送られてくる北海道メロンなどを持参して
あの日のことを説明した。

改めて、あの親子の所にメロンやら子供たちへの菓子やら持参したが、夏休みのせいか、ずっと留守だった。
ようやく連絡取れたときには、子供たちしかいなかった。
子供たちは私に小型扇風機やうちわであおいでくれたんだ。
「また、こういう人たちを助けられる素敵な大人になってください。ありがとう。」と御礼を言う。息子たちが、私がそのように言っていたことを率直に母親に伝えてくれたらいいのだが、
言葉少ない世代(中3)の子はどのように伝えたであろうか。

そして職場では。
私達が働いている場所2か所、エアコンが壊れているのだ。
そんな状態の所で仕事をしていた。
窓もない、風の流れがない。
あちこち開けて流れをよくしていたが、とても追いつかない。
扇風機も用意してもらったが、デスクワークでもない、肉体労働なのだ、
換気の悪い所でずっと働いていた。
アルバイトの私が訴えても、エアコンの工事は日にちがかかるから来年・・・などと言われていた。
いや、ここであなたたちも会議をするでしょう、精神で我慢して耐えられるものじゃない、人命にかかわること、などと言っても現状維持だった。
そんなときに私が倒れ、上司が私たちの代わりにヘルプに来て、おそらく汗だくで働いたことであろう、身をもってこの暑さを体験したであろう、エアコンの工事、急遽入ることになった。
調査して、一週間ほどで入れ替えるから、となった。
同僚曰く「Sさんのおかげでエアコン、工事決まったからね。」だって。
この同僚については後に詳細を。
彼女に何度か訴えて、上司に掛け合ってほしい、と頼んできたが、自分は別に大丈夫、という人で、壊れたら壊れっぱなしでも、会社にものが言えない人である。
それがこの言い方だ。
私が倒れたから、エアコンを交換することになった、というにはあまりに切ない理由ではないか。もっと、仕事をやる現場として、サービス業として、不快な空気のままにサービスを提供すること自体おかしい、夫にも言われる。
会社のエアコンが壊れていたことが直接の倒れた原因ではないが、もう一人の同僚も、仕事後帰宅しても、体調が芳しくない、と言っていたので、30℃超えた職場での仕事も一因であると思っている。
何より、私自身の体力の無さ。湿度に弱い身体。数年前にも仕事場で、倒れるのを予測して、自ら身体を横たえた姿を同僚が2回ほど見ている。
食事もきちんと摂っていないこと。早朝からの仕事なので、家を出る前には何も口にしていない。職場でも少し食べたり食べなかったり。遅い昼食は、よく行くパン屋でパンを買って姑と食べる日々だ。あの倒れた日も、パン屋で具合悪くなり、レジの前でしゃがみこんだ。汗が猛烈に出てきて、他のお客さんに迷惑をかける、と思い、店の人にすみませんと謝り、外に出たら暑さが襲い、木陰で休んだものの座った所すべてが熱かった。そう、そして救急車騒動である。

あれ以来、ちょっとした登りの道も自転車を降りる。
あれ以来、弱気な自分である。
あれ以来、同僚はエアコンが取り付けられるまで、私の背中に扇風機を持って当てる。彼女なりに気を使っているのだ。

あれから一カ月だ。
夏の暑い盛りだった。異様な暑さだった。
七夕も、自粛。いつもの盛大な飾りを観に行くこともしなかった。
人混みの中を歩くのも怖かった。
お盆になると母の墓参りや舅の墓参りも気になったが、今年は行くことが怖かった。
倒れた翌日は父の米寿の誕生日だったが、その祝いの言葉もなく、墓参りを別な時に、と
メールを送った。
お墓、蝉の鳴き声の響き渡る真夏の光景をよぎらせると、暑さに閉口している自分も想像できた。


長々と書いてしまった。
令和を丸4カ月過ぎて振り返ると、まずそのことが引きずるように出てくるのです。
相も変わらず、夏は庭の草取りはせず、ぼうぼうに伸びた雑草、樹木に、まもなく、まもなく、とつぶやきつつ、9月、雨が降る日に、雑草と戦うのです。

冒頭のU2のこの曲、80年代の衝撃の名曲でしたね。
新しい年の日々ということで。
来日したとき、83年でした、渋谷公会堂で観ましたよ。
その後、bigになり、来日公演の場所はドーム型になった。
このノリが私の原点。

























































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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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安心しました (隠れファン)
2019-09-07 06:55:59
ホントに久々の更新でしたね。読ませてもらって、この夏に随分大変ことがあったことが分かりました。
無理なさらずに、またあなたの日常をアップしていただければ、引き続き読ませていただきます。

まずは、一安心しました。
返信する
Unknown (隠れファンさんへ)
2019-09-08 19:26:52
コメントありがとうございます。
本当に久しぶりで、何を先に書いていいやら、
月を追って順に書いていけばいいのか迷いましたが、未だに引きずっているこの件をまず載せようと思いました。

内容のない、ネガティブなブログですが、訪問してくださりありがたい。
現在進行の良い事がない、過去を振り返るようなブログですが、今後もよろしくお願いいたいます。
本当に嬉しい、励みになるコメント、心に刻みます。
これからも継続していく弾みがつきました。
ありがとうございます。
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