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僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

(2021/11/22)感謝の対象。モーさん、そしてリハビリ散歩。

2021年11月22日 20時05分18秒 | 日常、仕事、認知症

公園のグランドを一周しては、この銀杏の木にタッチして次の周回に入る。

昨日日曜日の朝の散歩は、杖無しリハビリ散歩で初めて行かなかった。
特別な理由があるわけじゃない。
夫に、行かない、と伝えると
「あー、明日も行かなくなるぞ。」と言われた。
でも今日は夫を見送った後、雨の中、動き出した。
あの公園で何周も回ろう、と決めて。
あ、そうだ、昨日の朝、寒かったんだ、思い出した。
おそらく一番冷え込んだのではないか。

雨が降っているので公園には誰もいない。
あのおじいさんもいないし、高校生くらいの若い男の子がトレーニングしていたのを土曜日など
見かけたが、今日は当然学校なのでいない。
私一人で公園独占。
脇の道路はこれから出勤していく人たちが急ぎ足で次々と歩いていく。
この人達の邪魔になる私の歩き方なので、ますます増えるであろう時間には退散しなくては。
3000歩になったら帰ろう。
色々な樹木があるのだが、圧巻は

プラタナス。
もう葉が朽ちてそこら中、歩きの所、絨毯である。
写真では圧巻さが伝わっていないようだが、とにかく根本が大きい。
それがもう1本ある。
しっかり抱擁したいほどに頼もしい太さである。
生きている。
見ている。
見守っている。
包容力がある。
そんな印象の樹木たちである。
もっともっと立派な公園はあります。
樹木の豊富さも。
何十年も傍にいながら、樹木に触れたのは今日が初めて。
それも、この病気にならなかったら、見上げることもなかっただろう。
仕事に追われて、仕事のストレスが心の大半を占めて毎日が通り過ぎる。
それでも良かった、それが当たり前だった。


そういえば、
このリハビリ散歩に出かけることを機に
私の心の在り方が少し変わったような気がする。
退院して
(例年にないくらい)雪が多く、寒く、引きこもってしまった自分。
自らリハビリに通うことなく、じっとしていた。
何をどうしたらいいのか、どう整理したらいいのか、何を目標にしたらいいのか
何から手をつけたらいいのか、周囲の人間は変わらないけれど、自分自身が変わったことに
どう自分を納得させたらいいのか。
リハビリしても元の状態に戻らない、と歩きを見て思う。
時折襲うあのいやな気持ち。
何とも名状しがたい錘の気持ち。
死にたくなくても、死を選択してしまうような、引っ張られるような気持ち。
その気持ちに襲われたら、とにかく一日待とう、一日経って続いていなければ
大した悩みじゃないんだ、と昔からの対処法を心掛けた。
そしてほとんど、その日だけの襲いだった。

あれが遠ざかっていく。
その気持ちから解放された大きな一因は
モーさんの存在だった。
ご存じの通り、モーさんに夢中になった。恋心に似ていた。
恋をすると、切ない気持ちになる。
どんなに愛しても自分のものにならない切なさがある。
私の携帯の待ち受けは、うちの猫じゃなく、愛人のモーさんである。
しかも私の長靴にべったりと頬寄せている姿である。切なさという苦味があるけれど、
私のあのモヤッとしたものを払拭してくれたのはモーさんだった。


もう一つ大きな要因として
このリハビリ散歩である。
杖無しで街の中を歩きたい、買い物に行きたいと
うちの周りから始めた。
そして段々欲が出てきて、歩けるだけ苦しくならないだけ遠くに行こうと思うようになった。
するとそれに夢中になって、あのいやな思いが入る隙間が無くなってきた。
歩きながら、石碑や案内板を見たり、写真に収めたり、空を仰ぐことが多くなった。

この神社については記事にしていないが、先週ここにも行ってきた。



この空を仰ぐ、という行為は嬉しい。
深呼吸をして空に挨拶。
感謝している、こういうそれらの行為。

この時間、長々と書いているのだが
今夜は夫が会社の親睦会ということで、パソコンをゆったり使っています。













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