僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

(3/11)あれから2年

2013年03月11日 20時48分57秒 | 東日本大震災
昨日の暖かさが幻のように
今朝は
雪がうっすらと積もっていた。

今日は特別な日だ、と思いつつ
早朝家を出る。
あの時も寒かった。
突然の雪が降り出した。
空と陸と海が繋がっているかのように
大地震後の大雪は
今でも不思議な現象としか考えられない。
あの日、雪が降る予報だったのだろうか。
予報外の大雪、人の不安を更に煽るかのように
横殴りに視界を遮るように降り出した。
昨日の天候から
明日(今日)は寒いと予報であるが
雪は降らないだろうと思った。
が、今朝雪景色である。

今日のあの時刻、
私は街の中にいた。
大急ぎで県庁に行くところだった。
この日は
できるだけ記帳に、献花に行きたいと思っていた。
その時刻、間に合わなかった。
そして街の中で2時46分を迎える。
通りでは
黙祷の案内の放送が流れる。
行き交う人、お店の人たちが外に出て
皆立ち止まり黙祷を捧げる。
皆に刻まれているあの時刻の出来事。

急いで県庁に。
別の大きな所で
追悼式をやっているのだが
ここ県庁でも記帳、献花を受け付けている。

一昨日
夫とともに
亘理に行った。
ここは宮城県の南の海沿いの町。
暖かいところで
いちごの栽培が有名だ。
ここも大きな被害に遭った。
かつて
私が
将来老後住む場所として選択をしていた所だ。
南の方に行けば
適度な冬を感じて(豪雪は老後にはきついと思っていた)
仙台にも近いし、田舎暮らしを希望している自分には
適度な人口、など考えて
よく不動産情報を見ていた。
亘理、角田、丸森、川崎、大河原・・・今でも食指は動く。

夫は
海の綺麗なところがある、と教えてくれた。
河口のキラキラとガラスが光るような場所。
一瞬だった。
車の往来の関係で後戻りできなかった。
その後は
ずっと被災地を巡った。
復興には遠い。
ただただ
塩害の田圃と海沿いの家が無くなった跡地ばかりである。
ポツンと時折
祠のようなものが残っている。
それも不思議な気がした。
そこだけ無傷だった。
海に沿って防砂林が残っている。
頑丈な家々が流されて
弱弱しい樹木や祠が残っている。
ダンプが行き交う。
この日も国交省の幕をつけて、ダンプは走る。
風の強い日だった。

あれから2年、3年、4年・・と3月11日はずっと思うのであろう。





癒しのシンノスケの写真を。

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