僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(5/21)母のことと仕事のこと。

2017年05月21日 17時55分34秒 | 日常、仕事、認知症
暑い。
明日まで仙台も27℃位の気温が続くらしい。
病院通いにはきつい暑さである。


さて。
実家の母親が入院して10日ほど経った。
毎日、仕事が終わって(ほぼ途中)、地下鉄に乗って
母の昼食時間に間に合うように通っている。
地下鉄は本当に便利だ。
職場に自転車をそのまま置いて
一番近い乗り場に降りていき、10分位乗って、目的地に着いたら歩いて5分だ。
食事の介助をして、マッサージをして、2時間ほど滞在し、
その町の八百屋などで買い物をし、再び地下鉄に乗り、職場に着く。
職場にはまだ仲間が帰らずに仕事をしている。(退勤時刻は過ぎているのに)
少しお話をして、帰宅。すぐに義母と猫たちの食事の準備。
そして夫の食事の準備。
自分は食べないままか、帰宅後にパンなどを食べてその日の食事は終わりにしている。
朝も食べないし、一体まともに食べているのはいつか、なんて思っている。

こういう忙しさを早くから予測していた。
そのために、昨年の3月に退職願を出した。
しかし、会社の事情もあり、私の休みを増やすこと、仕事を最低限にすることの条件で
続けることになった。
両親のどちらかがガン再発になれば、あるいは義母が寝たきりになれば
兄弟のいない私達夫婦は必然的に私に負担がかかる。
自分が倒れたらどうにもならないのだ。
そのために、仕事を減らすか、辞めるかと決断したのが昨年3月。
そして新人が入ったことによって、人事は落ち着き、私の続ける条件も安定した。
しかし
再び、この4月の人事異動で、落ち着かない月日が流れ、今その最中である。
これが痛い。
休みが減り、身体を酷使しているような日々。
今月に入っても落ち着いていない。
そんな時に、とうとう母の入院。
退院を目指しての入院ではない。
もうその段階ではない。

4月に父から2度手紙をもらった。
母の様子がおかしい、と。
その都度、実家に訪れたが、我慢に我慢している表情の母。
そして、10日に定期的な検診を受けるために病院に行った母だが
検査の結果、翌日入院するようにとなった。
11日。
入院の準備をするために、仕事の休みをもらい
実家に。
その後入院。
レントゲンや数値を見ながらの説明で、
いつ急変してもおかしくない、と言われた。
夏まで持たないかも、とも。
肺にまで転移し、水が溜まっている状況。
栄養状態も悪い。

そして、昼食時に間に合うように今通っている。
食べたくない、という母に
いろいろなゴハンに混ぜるものを持っていき、おかゆに混ぜて食べさせているが
一口二口くらいの量。
食べてくれ、と毎日だましだまし給仕をしている。
口の中に食べたものを吐きだそうとする姿は
もう、健常な時の母の姿ではない。
それでも持参したヤクルトやヨーグルト(ブルーベリーなど混ぜたもの)を
「これは味がある」と言って食べたりするのを見るとホッとする。

この病院にはずっといられない。
今週辺りに別の病院に転院となる。
最期の病院となる。
療養病院である。
自宅で看取るということにはならない。

人が穏やかに死を迎えるというのは稀だ。
これから苦悶の表情の母になっていくのか。
今は、寧ろ家にいる時よりも穏やかで落ち着いた表情の母だ。
父からの圧迫から解放された母。
もう少し長く、穏やかな時間を与えてほしい。



ということで
仕事の件が今ネックです。
辞めれば、という気持ちはあるが
何とかする、という上司の声を信じて、
頑張っている新人(この人も、休み返上で仕事をしている。せざるを得ない。)に
申し訳ないという気持ちがあり、私自身も様子見です。